もうひとつの『ハクソー・リッジ』 ─ ハリウッドに実在した良心的兵役拒否者、『西部戦線異状なし』リュー・エアーズ物語

メル・ギブソン監督、アンドリュー・ガーフィールド主演の映画『ハクソー・リッジ』では、良心的兵役拒否者としてアメリカ史上初めて名誉勲章を授与されたデズモンド・ドスの衝撃の実話を描いている。戦争史上最も悲惨な白兵戦が展開された激戦地ハクソー・リッジで、一切の武器を所持せず駆け回り、たった1人で敵味方問わず75人もの命を救ったデズモンド。彼を支えた良心的兵役拒否者としての信念を分かつ者が、ハリウッドにも存在していた。
『西部戦線異状なし』
「国のために死ぬのは、汚く苦しい。死なないのが一番だ!大勢が国のために死んでいるが、それが何になる!」
第一次世界大戦の激戦地から久々の休暇で故郷ドイツに戻ったポール・バウマーは、自分をまるで英雄でも見るかのように目を輝かせる生徒たちに、力なく叫んだ。ポールが戦場で経験した英雄的行為について話すよう促した老教師は、期待する言葉が得られずに「違うだろう!」「それでは人生の指針にならん!」と激昂する。ポールは「僕は現実を見てきた」と肩を落としたままだ。ついに何も知らぬ小僧生徒らにまで「腰抜け!失せろ!」とまで野次られると、「話が通じないのか」と教室を後にする。耳をつんざく爆撃音響く戦地からようやく離れられたというのに、ポールにとって故郷や実家はもはや馴染めない場所になっていた。休暇をあと4日も残しながら、帰郷を後悔して再び自ら戦地に戻っていくのだった。
1930年公開の映画『西部戦線異状なし(原題:All Quiet on the Western Front)』で主人公ポール・バウマーを演じた俳優リュー・エアーズは、第二次世界大戦では良心的兵役拒否を宣言。しかし、当時の世情はエアーズの選択を許さず、厳しい批判の声を挙げた。
『ハクソー・リッジ』デズモンド・ドス同様、リュー・エアーズの兵役拒否にも信仰上の理由がある。しかし、『西部戦線異状なし』への出演も、少なからず彼の意思に影響を及ぼしているという。
「敵兵にも、自分たちと同じ生命や価値がある」
『西部戦線異状なし』は、当時のアメリカ映画としては珍しく対立国ドイツの目線から戦争を描いた反戦映画。エアーズ扮するドイツ兵ポールは、戦場の狂乱の中で次第に年長兵として成長を遂げる。とある静かな晴れの日。塹壕でまどろむポールは視線の先に一羽の蝶を見つける。敵の潜伏に気づかず、塹壕から身を乗り出しそっと手を伸ばす。一撃。若きポールの命は短い発砲音と共に潰える。
エアーズは後のインタビューで答えている。
「(『西部戦線異状なし』は)戦争の愚かさと恐ろしさを描いている。敵兵にも、自分たちと同じ生命や価値があるのだと初めて学んだ作品だ。誰かが死んだ時、自分の一部も死ぬんだと。」
第二次世界大戦当時、人々は映画スターであるエアーズに兵士として国のために立派に仕え、プロパガンダを求めた。しかし、既にポール・バウマー役を通じて反戦のメッセージを世界に投げかけていたエアーズに言わせれば、銃器に触れること即ち「偽善の悪夢に生きること」だという。世間に影響を及ぼす立場として”けしからん”と人々は怒り、スタジオはすぐに彼に締め出した。多くの劇場は、彼が出演する映画の上映を禁ずるなどボイコットの動きを見せた。平和主義者リュー・エアーズは、ハリウッドと世間から見放されたのである。
戦場とハリウッド
『ハクソー・リッジ』デズモンド・ドスがどんな苦境に立たされても信念を曲げなかったように、エアーズもその姿勢を貫いている。出兵の拒否を認めなかった米軍に対し良心的兵役拒否宣言を行うと、看護兵として従軍。世間のバッシングを余所に南太平洋の戦線に赴き、3年半の間、看護兵として粛々と兵士の手当を続けた。ここでの報酬は全てアメリカ赤十字社に寄付している。1944年12月25日のライフ・マガジンは、フィリピンのキャンプで負傷した日本兵捕虜にテーピングを施すエアーズの姿を収めた写真を掲載している。
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