A24『マクベス』はコーエン監督流の緊迫スリラー、シェイクスピア映画の新たなスタンダードとなるか【レビュー】

オーソン・ウェルズ、ロマン・ポランスキー、黒澤明、手塚治虫。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『マクベス』は、長きにわたって世界の巨匠クリエイターたちを惹きつけてきた。映画や舞台、ドラマやコミックなど、ポップカルチャーのあらゆる領域に影響を与え続けてきた物語だと言っていい。
『ファーゴ』(1996)や『ノーカントリー』(2007)などを手がけてきたコーエン兄弟の兄、ジョエル・コーエンもこのストーリーに惹かれたひとりだ。自身初の単独監督作品となった『マクベス』では、主人公・マクベス役にデンゼル・ワシントン、妻のマクベス夫人役にフランシス・マクドーマンドを迎え、A24&Appleとタッグを組み、これぞ『マクベス』の新たなスタンダードになりうる力作を送り出した。
スピーディーでタイトな『マクベス』
シェイクスピアが『マクベス』を発表したのは1600年代初頭であり、今からおよそ400年前。同じくシェイクスピアの代表作、『ハムレット』『リア王』『オセロー』に並んで“四大悲劇”のひとつに数えられる傑作だ。
スコットランドの将軍・マクベスは、荒野で3人の魔女に出会い「いずれ国王になる」という予言を聞かされる。その言葉に突き動かされ、野心的な夫人にそそのかされたマクベスは国王・ダンカンを暗殺。予言の通り新たな国王となるが、「将軍バンクォーの息子が王になる」という予言に怯え、バンクォー親子を襲撃させ、さらなる殺人に手を染める。ダンカン王の息子であるマルカム王子や、妻子を殺されたマクダフはマクベス打倒のために動き始め、その一方、マクベス夫人は罪の意識から常軌を逸していく……。

人間の権力に対する野心、一度つかんだ権力を手放す恐怖、政治と暴力、復讐といったテーマを内包する物語を、ジョエルは自身のフィルモグラフィーに通じるスリラーとして理解し、スピーディーでタイトな作品にまとめ上げた。ストーリーは原作に忠実なまま省略や改変が施され、シェイクスピアの特徴である韻律や詩的な台詞回しは作品のリズムを損なわない範囲で、しかし大胆にカットされている。それでも、大幅な脚色がみられる『マクベス』の翻案作品としては非常にオーソドックスな仕上がりだ。ジョエル・コーエンによるシェイクスピアの映画化としては意外なアプローチだろう。
ジョエルは「シェイクスピアは大衆のためのエンターテインメントを書いていたと思います。偉大かつ奥の深い娯楽作品であり、英文学において最も高尚な詩でもありますが、あくまで大衆のために書いていたと思う」と語る。すなわちジョエルのアプローチは、『マクベス』の物語をエンターテインメントとして現代に甦らせること。シェイクスピアを知らない観客に、この物語をきちんと伝えること。すなわち、殺人や暴力に突き進む夫婦とその終焉をスリリングなサスペンスとして語り直すことだ。

ジョエル・コーエン版『マクベス』の魅力
ジョエルによる『マクベス』における最大のキーポイントは、デンゼル・ワシントンとフランシス・マクドーマンドという名優ふたりの起用だろう。日本の上演ではマクベス夫婦を比較的高年齢の俳優が演じるケースもしばしば見られるが、デンゼル&フランシスという組み合わせは、明らかに高年齢の夫婦としてふたりを描こうとするもの。製作も兼任したフランシスは、マクベス夫婦に子どもがいないこと、それゆえふたりには自分たちの未来が見えないのだということを重要視したと述べている。
デンゼル演じるマクベスは穏やかで、殺人に手を染めこそするものの、どこか誠実さを感じさせる人物造形だ。魔女の予言によって野心に取りつかれ、残酷な凶行に臨み、手に入れた権力を失うことに恐怖する様子は、デンゼルの繊細な表現によって切実な説得力を獲得している。かたや、マクベス夫人を演じるのは舞台に続いて2度目となるフランシスは、野心よりもむしろ切迫感にさいなまれ、それゆえ夫に行動を迫る妻として役柄を作り上げた。直接的な描写は控えめだが、愛情と罪悪感、苦悩、そして狂気を静かににじませる演技は圧巻。ダンカン王を殺した直後、マクベスがある不自然な行動を弁明し、その様子を夫人が見つめるシーンには両者の演技アプローチが凝縮されている。