【レビュー】『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の海にただよう、『ジェシー・ジェームズの暗殺』の果てしない後悔の記憶

人というのは、過ちを犯す生き物である。では、その過ちはいつになれば許されるのだろうか?
10年先か20年先か、あるいは死ぬまで許されないのだろうか。その過ちの度合いをどの程度受け取るかで、場合によっては、人は無意識に抱えた罪の意識を拭い去ることが難しくなる。その程度がより深刻であれば、果てしない後悔の記憶の中に自分自身の心を閉じこめてしまうことになる。視点は常に過去をめぐり、今を生きることができなくなる。そのような途方もない苦しみを生きる人は、現実の世界にも少なからずいることだろう。
『マンチェスター・バイ・シー』の物語は、そのような人たちを救済する可能性を秘めている。主人公リー・チャンドラーの生々しい実在感が物語に強い説得力を与えていたからだ。リー・チャンドラーもまた、自分自身が犯したけっして拭い去ることが困難な過ちにより、果てしない後悔の記憶の中に心を閉じこめてしまっている。その立ち振舞いや言動は異様に真に迫っていて、現実にいる人物と見間違うほどだ。なぜ、そのようなリアリティを、リーは身にまとっていたのだろうか? それはリー役のケイシー・アフレックが、かつて演じた、心に深い後悔の気持ちを抱えながらも救済されなかった男の記憶を背負っていたからかもしれない。
【注意】
この記事には、映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』『ジェシー・ジェームズの暗殺』のネタバレが含まれています。

なぜリーは一人で生きるのか、その過去とは
マンチェスター・バイ・ザ・シーの海のただよいをじっと眺めていると、まるで記憶の迷宮をさまようかのように、現実感が曖昧になる。その海に浮かぶ船でリー・チャンドラーと、リーの兄ジョー、そしてジョーの息子パトリックの三人が釣りを楽しんでいた。他愛のない、ある一つの家族の戯れに心がゆるむ。しかし、その柔らかい風景は、リーが体験した過去の記憶だった。現在を生きるリーは、感情豊かだったかつての頃と打って変わり、故郷を離れ、心を閉ざし、人との関わりを避ける日々を送っていた。
なぜ、リーは心を閉ざし、一人で生きることになったのか? 過去にいったい何があったのか? 映画は、リーの現在と過去を並列的に描きながら進行していく。出だしこそ、現実感が曖昧な、宙を浮かんでいるような感覚が過去のシーンには見られたが、物語の核心(リーが心を閉ざしてしまった原因)に近づくにつれ、その映像は鮮明になり、臨場感を増していき、やがて現在と過去のシーンから伝わる臨場感に大差がなくなっていく。
ここから分かるのは、リーが過去の記憶に見るイメージが、現在になっても生々しく生き続けているということだ。途方もなく続く罪の意識、後悔の気持ち、それらを背負いながら、リーは救済を得ることもなく、自分自身の記憶の中に閉じこもり、そこから抜け出る意思を完全に失っていたのだった。
『ジェシー・ジェームズの暗殺』ボブ・フォードの面影
リーを演じたケイシー・アフレックの並々ならぬ存在感は、この映画に尋常ではないリアリティを与える一方、ケイシー自身の映画俳優としての人生の記憶をめぐる気分に浸らせる。リーの姿には、ケイシーが兄のベン・アフレックと共演した初期出演作『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(1997)のモーガン・オマリーや、『オーシャンズ11』(2001)のマロイ兄弟の兄バージル、『ジェシー・ジェームズの暗殺』(2007)のボブ・フォードなど、ケイシーがかつて演じた登場人物の面影が蘇ってくる。