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【レビュー】『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の海にただよう、『ジェシー・ジェームズの暗殺』の果てしない後悔の記憶

人というのは、過ちを犯す生き物である。では、その過ちはいつになれば許されるのだろうか?
10年先か20年先か、あるいは死ぬまで許されないのだろうか。その過ちの度合いをどの程度受け取るかで、場合によっては、人は無意識に抱えた罪の意識を拭い去ることが難しくなる。その程度がより深刻であれば、果てしない後悔の記憶の中に自分自身の心を閉じこめてしまうことになる。視点は常に過去をめぐり、今を生きることができなくなる。そのような途方もない苦しみを生きる人は、現実の世界にも少なからずいることだろう。

『マンチェスター・バイ・シー』の物語は、そのような人たちを救済する可能性を秘めている。主人公リー・チャンドラーの生々しい実在感が物語に強い説得力を与えていたからだ。リー・チャンドラーもまた、自分自身が犯したけっして拭い去ることが困難な過ちにより、果てしない後悔の記憶の中に心を閉じこめてしまっている。その立ち振舞いや言動は異様に真に迫っていて、現実にいる人物と見間違うほどだ。なぜ、そのようなリアリティを、リーは身にまとっていたのだろうか? それはリー役のケイシー・アフレックが、かつて演じた、心に深い後悔の気持ちを抱えながらも救済されなかった男の記憶を背負っていたからかもしれない。

【注意】

この記事には、映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』『ジェシー・ジェームズの暗殺』のネタバレが含まれています。

マンチェスター・バイ・ザ・シー
© 2016 K Films Manchester LLC. All Rights Reserved.

なぜリーは一人で生きるのか、その過去とは

マンチェスター・バイ・ザ・シーの海のただよいをじっと眺めていると、まるで記憶の迷宮をさまようかのように、現実感が曖昧になる。その海に浮かぶ船でリー・チャンドラーと、リーの兄ジョー、そしてジョーの息子パトリックの三人が釣りを楽しんでいた。他愛のない、ある一つの家族の戯れに心がゆるむ。しかし、その柔らかい風景は、リーが体験した過去の記憶だった。現在を生きるリーは、感情豊かだったかつての頃と打って変わり、故郷を離れ、心を閉ざし、人との関わりを避ける日々を送っていた。

なぜ、リーは心を閉ざし、一人で生きることになったのか? 過去にいったい何があったのか? 映画は、リーの現在と過去を並列的に描きながら進行していく。出だしこそ、現実感が曖昧な、宙を浮かんでいるような感覚が過去のシーンには見られたが、物語の核心(リーが心を閉ざしてしまった原因)に近づくにつれ、その映像は鮮明になり、臨場感を増していき、やがて現在と過去のシーンから伝わる臨場感に大差がなくなっていく。

ここから分かるのは、リーが過去の記憶に見るイメージが、現在になっても生々しく生き続けているということだ。途方もなく続く罪の意識、後悔の気持ち、それらを背負いながら、リーは救済を得ることもなく、自分自身の記憶の中に閉じこもり、そこから抜け出る意思を完全に失っていたのだった。

マンチェスター・バイ・ザ・シー
© 2016 K Films Manchester LLC. All Rights Reserved.

この映画は、過去に犯した途方もない罪の意識と後悔の気持ちに苦しむ一人の男の再生の物語であることに違いはない。ただし、いわゆる感動を強調した映画に見られるような、非現実的で、それでいていかにもありきたりな感動の物語を想像してはいけない。本作にも、どこかファンタジックなイメージや心が和むあたたかなユーモアもそこかしこに描かれてはいるが、貫かれる物語はどこまでも現実的で、観る人によっては想像を絶する衝撃を受ける人も出てくるだろう。しかし、だからこそ現実的な視点で人間の生の行方に深く寄り添ったからこそ、主人公リーの物語に癒される人も出てくるはずである。

『ジェシー・ジェームズの暗殺』ボブ・フォードの面影

リーを演じたケイシー・アフレックの並々ならぬ存在感は、この映画に尋常ではないリアリティを与える一方、ケイシー自身の映画俳優としての人生の記憶をめぐる気分に浸らせる。リーの姿には、ケイシーが兄のベン・アフレックと共演した初期出演作『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(1997)のモーガン・オマリーや、『オーシャンズ11』(2001)のマロイ兄弟の兄バージル、『ジェシー・ジェームズの暗殺』(2007)のボブ・フォードなど、ケイシーがかつて演じた登場人物の面影が蘇ってくる。

特に、ケイシーが初めて演技派として実力を評価された『ジェシー・ジェームズの暗殺』のボブ・フォードの面影はとりわけ鮮明だ。本作『マンチェスター・バイ・ザ・シー』でケイシーが演じたリーは、ボブ・フォードの生まれ変わりと言っていいほど、その生き方が重なって見えたからだ。

『ジェシー・ジェームズの暗殺』は、アメリカの西部開拓時代に銀行強盗や殺人を繰り返した伝説のアウトロー、ジェシー・ジェームズが仲間のボブ・フォードに暗殺されるまでを描いた西部劇映画だ。ジェシーを演じたブラッド・ピットは、その演技が評価され、第64回ヴェネツィア国際映画祭で最優秀男優賞を受賞した。このことからも分かるとおり、『ジェシー・ジェームズの暗殺』の主役はジェシー役のブラッド・ピットに違いないのだが、実際に映画を観てみると、ジェシーの他にもう一人スポットライトが当たっていた登場人物の存在が見えてくる。ジェシーを暗殺したボブ・フォードである。

『ジェシー・ジェームズの暗殺』は、ジェシーを暗殺したボブ・フォードの心理を深く描写した映画として観ることもできる重厚な映画だ。それを証明するようにジェシーの暗殺後は、ボブ・フォードが辿った後悔に塗れた悲惨な末路までじっくり描いている(『ジェシー・ジェームズの暗殺』のオリジナル・タイトルは『臆病者ボブ・フォードによるジェシー・ジェームズの暗殺』であり、同作がジェシーとボブの二人の物語を描こうとしたのは明らかだといえる)。

劇中で描かれたボブ・フォードは、登場当初はジェシー・ジェームズに憧れる若者に過ぎなかった。しかし、次第に自分とジェシーとの共通点を執拗に探したり、ジェシーを事細かに観察したり、さらにはジェシーの立ち振舞いを真似たりするようになり、その異様な行動を危険視したジェシーから距離を置かれるようになる。そして、仲間同士のある諍いに巻き込まれたボブは、ジェシーから信頼されていた仲間のウッド・ハイトを射殺してしまう。この頃からすでにジェシーを超えたいという意識を持っていたボブは、ジェシーに殺される前に、ある日、武器も何も持っていないジェシーを背後から射殺してしまう。

ジェシーは高額な賞金が懸けられた賞金首であり、多くの強盗や殺人を犯した犯罪者だったため、ボブの行為は世間から称賛されるはずだった。しかし、貧しい者からは強盗は行わず、むしろ彼らに金品を配るなど義賊として名声を獲得していたジェシーの死を世間は悲しみ、彼を背後から射殺したボブを臆病者として蔑むようになっていった。期待していた名声を得られるどころか臆病者として評価されてしまったボブは、心が荒み周囲との諍いが絶えず、暴力沙汰に発展することもあった。また、ジェシーの暗殺に加担したボブの兄チャーリーは罪の意識に耐えられず自殺してしまい、ボブは孤独の身に。周囲の冷たい視線と孤独から逃れるように町を離れたボブは、辿り着いた先でドロシー・エバンズという女性と出会い、心癒され、ようやく自分自身がやってきたことの愚かさに気づく。だが時すでに遅く、ある日の酒場、ボブはエドワード・オケリーという人物から銃撃され、死亡した。憧れの存在だったジェシー・ジェームズを殺してしまったという後悔の気持ちが晴れることのないままに……。

ボブ・フォードを演じたケイシー・アフレックの顔つきは、この頃より、深い後悔の痛みが刻みこまれたように重みを増し、孤独感や虚無感を放つようになった。俳優としての円熟味が滲み出るようになったとも表現できるが、いつかどこかで、その深い後悔の痛みを昇華する機会を待ち望んでいるようにもうかがえた。

ケイシーの顔つきは、恐らくこのボブ・フォードとしての記憶を背負ったまま、ここまで来てしまったように思われる。だからこそ、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』で描かれる主人公リー・チャンドラーの物語は、ボブ・フォードが生前に果たせなかったジェシー・ジェームズへの償いの物語でもあるように重なって見えてしまうのだ。

マンチェスター・バイ・ザ・シー
© 2016 K Films Manchester LLC. All Rights Reserved.

リー・チャンドラーとボブ・フォード、二人の後悔

もちろん、リーとボブが抱えた後悔の原因はそれぞれ根本的に異なる。しかしどちらも、想像を絶するほど重くやりきれないものがある。また二人には共通点があった。互いにまだ若く大人になりきれていなかったのだ。唯一の違いは、ボブは殺されてしまい、リーは生き残ってしまったことだ。リーの物語は、「もしもボブが生きていたら?」を描いたifの物語として観ることもできる。

ボブの生まれ変わりのように、リーは一人の大人になるために、遠くに逃げるように葬っていた自分自身の人生と向き合うことになる。亡き兄ジョーの息子のパトリックの後見人となったリーは、不器用なりにパトリックに接していく。父の死で心を閉ざしてしまったパトリックとのコミュニケーションは容易ではなく、リー自身も短気な性格が災いして、二人は衝突を繰り返してしまう。たとえ親族関係であっても、互いに人格が未発達で、互いに心を閉ざしてしまっていては良好の関係は築けない。しかし、二人を支えようとする支援者の存在により、二人の関係は徐々に温かくなっていく。

この映画が素晴らしいのは、決して人を見捨てようとしない人たちの存在を描いていることにある。現実に寄り添ったリアリティのある映画とは、単に重い内容の映画のことを指す訳ではない。それは絶対に間違いだ。人に寄り添う人たちの存在を無視してはいけないのである。本作では、ジョーの仕事仲間のジョージとその妻や、パトリックの高校の同級生たち、パトリックのガールフレンドやその家族などが見捨てるでもなく見放すでもなく二人を見守る。そしてリーにとっての最大の支援者は、尊敬していた亡き兄ジョーである。ジョーは、リーにとってのジェシー・ジェームズだったといえる。

良き人格の持ち主であり、父親としての愛情に溢れたジョーは、死の宣告を受けた際にもユーモアを忘れない男だった。リーが“ある出来事”によって心を閉ざし、町を離れることになっても、ジョーは彼を見守り励まし続け、生活家具を用意するなど世話を焼いていた。そんなジョーの最後の願いであるパトリックの後見人を務めることになった彼は、尊敬する兄のようになろうと思ったのか、啀み合いながらもパトリックの側に居続ける。

マンチェスター・バイ・ザ・シー
© 2016 K Films Manchester LLC. All Rights Reserved.

しかし、リーは兄のようにはなれなかった。心を閉ざしてしまったリーは無口で無愛想な人間のまま、たんたんと義務的な態度でパトリックに接してしまう。やがて、リーは周囲の人たちの影響もあり、兄のようになろうとはせず、あくまで自分本来の不器用な人間性を持ってパトリックと接するようになる。パトリックが小さな子供だった頃、マンチェスター・バイ・ザ・シーの海でリーとジョーとパトリックの三人で釣りをしてきた時のように、リーとパトリックは心を通わせていく。それを証明するように、過去の後悔の気持ちに苦しむ中で、ある日リーは、ジョーの船の壊れたモーターを直したいパトリックの願いを聞きいれ、自宅の銃を売却し、新しいモーターを買い、二人で久しぶりに船に乗り、楽しんだ。

ボブ・フォードはジェシー・ジェームズにはなれない。リーもまた兄のようにはなれない。しかし、自分自身の存在を受け容れ、自分になることはできる。リーは、兄のためでも自分のためでもなく、パトリックのために生きようと選んだのだ。次第に、リーは、自分自身の父親としての人格に目覚め、人を愛する感情を蘇らせていく。そして、映画の後半では、ようやく過去と向き合う覚悟を決める。別れた妻ランディと再会し、短い会話を交わした時の悲しみが噴出したリーの何とも言いようがない複雑な表情は忘れがたい印象を残す。リーの過去の悲しい記憶が、ついに現在と重なる時、映画は冒頭のマンチェスター・バイ・ザ・シーの海に浮かぶ船の場面を映す。自分自身の過去と向き合い厳しい決断を下した一人の男と、その男の気持ちを受け容れた一人の青年の後ろ姿には悲しみや後悔の面影は感じられず、どちらかといえば、今を生きようとする人たちに見られる力強い絆の光を放っているようだった。

ボブ・フォードであり続けた俳優の10年間

本作で主人公のリー・チャンドラーを演じたケイシー・アフレックは、第89回アカデミー賞で主演男優賞を受賞した。ケイシーは、俳優としても監督としても世界的に評価されるベン・アフレックの弟として知られている。だが、これといった特質のない俳優として扱われ、映画では、日本でも有名な作品に何本か出演しているが、どれも端役ばかりで目立った役や代表作に恵まれなかった。

そんな彼の実力を世界に大いに知らしめたのが、先にも述べた『ジェシー・ジェームズの暗殺』でのボブ・フォード役である。この映画の製作当時、すでに30代を迎えていたケイシー・アフレックが20歳のボブ・フォードを演じるというのは、多少の無理を感じてしまう配役ではある。だが、年齢を感じさせないある種独特の存在感と確かな演技力を持ってボブを熱演したケイシーは、同作で初めてアカデミー賞の助演男優賞にノミネートされた。それ以来、彼は、それなりに存在感はあるけれどどうにも冴えない役どころの多い俳優から、心のどこかに闇を抱えた深みのある俳優に変容していった。まるでボブが抱えた後悔の記憶を背負ったかのように。ボブ・フォードを演じてから『マンチェスター・バイ・ザ・シー』に至るまでに彼が演じてきた登場人物にも、その片鱗は感じられる。たとえば、『セインツ約束の果て』(2013)で愛する人のために強盗から手を引こうとしながらも悲劇的な結末にひた走ってしまうボブ・マルドゥーン役や、『インターステラー』(2014)で度重なる親族の死に心を病んでいった主人公の息子トム・クーパー役などは、明らかにボブ・フォード的な後悔の記憶を背負い、心の闇に苦しみもがく人間の複雑な心理的葛藤が内在して印象深い。そして彼は『マンチェスター・バイ・ザ・シー』でも、再びボブ・フォード的な人物像の主人公を演じきった。

ケイシー・アフレックは、『ジェシー・ジェームズの暗殺』から約10年の間、ひたすらボブ・フォードであり続けていたのかもしれない。それはケイシーが獲れなかったオスカーを獲得するためにそうあり続けたのだろうか、それとも本当は、彼自身もまた心のどこかにボブ・フォード的な後悔の記憶や心の闇を持っていたのだろうか。残念ながら、そこまでは分からない。しかし唯一分かることがある。それは『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を経て、彼自身がボブ・フォードから逃げず、ボブ・フォードを受け容れ、ケイシー・アフレックという人間の存在を確立していったであろうことだ。

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』は、ある後悔の記憶を背負った男の再生の物語である。そして同時に、その男を演じたケイシー・アフレックの俳優としての記憶をめぐる映画でもあったといっていい。役柄を変えながらも、西部の臆病者ボブ・フォードを演じ続けた男の悲しくも美しき傑作だった。

© 2016 K Films Manchester LLC. All Rights Reserved.

Writer

成宮秋祥
成宮秋祥

映画イベント兼交流会「映画の”ある視点”について語ろう会」主催/映画ライター(《neoneo(neoneo web)》《ことばの映画館(ことばの映画館web)》《映画みちゃお!》寄稿/お仕事のご依頼は[narifilm89@yahoo.co.jp]にお願いします。

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