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【レビュー】『モーリタニアン 黒塗りの記録』シリアスと娯楽性のバランス ─ カンバーバッチも自ら出演志願した理由とは

モーリタニアン 黒塗りの記録
© 2020 EROS INTERNATIONAL, PLC. ALL RIGHTS RESERVED.

マーベル映画『ドクター・ストレンジ』で知られるベネディクト・カンバーバッチは、この物語に惚れ込むあまり映画化権の獲得を熱望し、さらに当初はプロデュースを務めるのみの予定だったところ、自ら出演まで買って出た。映画『モーリタニアン 黒塗りの記録』には、それほど人の心を突き動かす力がある。

内容はシリアスだが、この映画は顔なじみの豪華キャストと、監督の優れたバランス感覚、そして題材となった実際の物語の篤実さが相まって、希望に満ちた前向きな娯楽作品に仕上がっている。

『モーリタニアン』は、9.11のアメリカ同時多発テロ事件への関与を疑われ、無実の罪で14年2ヶ月もの間投獄されたモハメドゥ・スラヒと、真実を求めて戦う者たちを描く実話映画。モハメドゥが拘禁されたグアンタナモ収容所では、司法手続きのないままに人権を無視した尋問や拷問が行われていたことが明らかになり、今も国際的な問題となっている。モハメドゥはその真実を伝えるべく獄中から手記を書き溜め、検閲による数千箇所の黒塗りが入ったまま出版。この異例の書籍は大きな話題となり、ベストセラーとなった。

カンバーバッチら超豪華キャスト集結

出演陣には豪華キャストが集結。先に記したカンバーバッチほか、連邦捜査官役にザッカリー・リーヴァイも登場する。マーベルのドクター・ストレンジ俳優とDCのシャザム俳優の夢の共演だと言えば、アメコミ映画ファンにも通りがいいだろう。

カンバーバッチが演じるのは、テロ関与容疑がかけられた主人公モハメドゥの起訴に執念を燃やす米軍中佐スチュワート・カウチ。スチュワートは9.11でハイジャックされた飛行機のパイロットとは家族ぐるみの付き合いだった。そのハイジャック犯を勧誘したのが、モハメドゥなのだという。政府は、この男を死刑第1号にすることを望んでいる。スチュワートは、多くの命と友を奪った怒りと共に、この仕事に着手する。

モーリタニアン 黒塗りの記録
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スチュワートが得た資料の上では、モハメドゥは未曾有のテロに関与した極悪人のように見える。しかし調査を進めるうち、この案件にはあまりにも不可解な点が多いことに疑問を抱かざるをえなくなる。なぜだか、ほとんどの情報が開示されないのだ。

ザッカリー・リーヴァイは、モハメドゥの取り調べに関与したことのあるCIAのニール・バックランドを演じている。スチュワートとは旧友の間柄だが、今では立場が異なる。スチュワートはニールを頼るのだが、妙によそよそしい空気が流れる。

モーリタニアン 黒塗りの記録
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一方モハメドゥは、実はテロには全く関与しておらず、たまたま主犯格との接点を持っていただけだった。柔らかい笑顔と謙虚な姿が印象的で、捜査にも協力的。真摯なイスラム教徒で、獄中でもサジャダ(マット)を敷いての祈りを欠かさず、瞳を閉じて故郷を想う。アメリカ文化も愛しており、看守ともアメリカンジョークを交わして仲を深めるほどだ。まさか彼がテロに関わようには見えず、観客は不当な拘束や拷問を受け続けるモハメドゥの姿に胸を痛める。これを『預言者』(2009)のタハール・ラヒムが誠実に演じている。

モーリタニアン 黒塗りの記録
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彼の無実を信じる弁護士ナンシー・ホランダー役を演じるのが、大ベテランのジョディ・フォスター。『告発の行方』(1988)『羊たちの沈黙』(1991)など名作の数々で知られるアカデミー賞女優であり、本作の演技でゴールデングローブ助演女優賞にも選ばれた。演じるナンシーは信念堅い鉄の女であり、同時に人情に厚い一面も持つという役どころ。百戦錬磨のこの弁護士でさえ手こずり、暴かれていく“黒塗りの記録”に驚愕する様子を通じて、観客もこの事件がいかに異常なものであるかを知ってゆく。

モーリタニアン 黒塗りの記録
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俳優らの熱演は間違いなく見どころのひとつだ。困難極まりない仕事を、ただ信念のみに突き動かされて貫き通すナンシー役のフォスター、テロ犯の起訴に執念を燃やしながら、自身も知り得なかった巨大な闇を察知して立場が揺らぐスチュワート役のカンバーバッチ、そしてスチュワートとは絶妙な距離を取り、腹の内の見えぬ男をギラギラと演じるニール役のリーヴァイ。

中でも特筆すべきはモハメドゥ役を熱演したタヒール・ラヒムだ。愛らしく誠実な人柄でありながら、不当な尋問や拷問を受け衰弱していく姿を全身全霊で演じている。とは言っても、ただ悲劇的な姿を見せ、強引に同情を誘っているわけではない。どんな目に遭おうとも、ラヒムの佇まいや眼差しは清くしなやかだ。もしもラヒムが演じていなかったら、ただ残酷な暴力行為に耐える囚人を為す術なく見守るだけのハードな作品になっていただろう。ラヒムが演じたモハメドゥは、なぜ過酷な拘禁の年月を、人間性を失くさず生き延びることができたのか。その心は、映画の終盤に語られることとなる。

モーリタニアン 黒塗りの記録
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娯楽映画としてのバランス感覚

この映画について最も巧みだと感じられるもののひとつは、その“バランス感覚”である。「9.11テロの容疑を受け収容所に不当拘束され、拷問を受け続けた男の物語」と聞けば、誰もが構えるだろう。少なくとも気軽に観られそうな作品には思えない。しかし実のところ、本作は題材の核を残しながら、重苦しさをかなり取り除いて映像化されている。実際にケヴィン・マクドナルド監督に直接話を聞いたところ、ここは特に気を使ったポイントだったという。

監督が考える本作の核は「人間性」だ。拷問シーンは過酷だが、これが映画のすべてを支配するようには作れていない。普遍的なヒューマンドラマとしての鑑賞感を持たせるのがねらいだ。

本作は「娯楽映画だ」と、監督は明言している。娯楽の力を通じて、幅広い観客に映画を届けることが重要だと監督は理解しており、「映画には、人の考え方を動かす力がある」と筆者に話す。「たくさんの人が映画を観るのは、そこに娯楽性があるから。政治の面、人間性の面、そして娯楽の面のバランス取りには気を使いました」。

モーリタニアン 黒塗りの記録
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娯楽性を重視していることは、出演を志願したカンバーバッチの他に、フォスターやリーヴァイといったスター俳優を起用した点にも明らかだ。「本作は、一般の観客を目指したメインストリーム映画」と監督は説明する。「そのために、娯楽要素やスリラー要素、ジョークも必要でした」。

マクドナルド監督はいくつかのドキュメンタリー映画や『消されたヘッドライン』(2009)といった作品で、真実を求める物語を描いた。彼を突き動かすのはジャーナリズムだ。かつてはジャーナリストを志していたという監督は、偏りのない視点で登場人物やその立場を観察している。正義の在り方は立場によって異なるとはよく言うが、『モーリタニアン』は、どの立場から見ても“真実”は同じ形をしているのだということを描いている。

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たとえば、起訴に燃えるスチュワートは、はじめは怒れる正義感を原動力に動くが、やがて汚れなき真実を求めるようになる。バックランドは頑固で保守的だったが、真実を前にして脱力する。モハメドゥをいたぶりつづける尋問官も、途中で疲れ切った素顔をちらりと見せる。拷問は正しいことではないという真実を直感しているからだ。「すべての当事者に対してフェアでありたい。真の実話というのは、悪者がいない物語だ」とはフォスターの談である。「それぞれが自分にできる最善のことをやろうとしている人間たちの集まり。でもそんな人間たちが恐怖によって導かれている」。

そして、『モーリタニアン』は、極めて深奥なメッセージを、娯楽映画の表皮にくるんで観客の心にストンと落としていく。人権のほとんどを奪われたモハメドゥが、地獄の日々を苦しみ抜いて出したたったひとつの答えに、あらゆる観客が胸打たれるだろう。

エンドロールでは、モハメドゥら劇中の人物らの、実際の“その後”の映像が挿入される。実話映画のお決まりだが、慈愛に満ちたモハメドゥの穏やかな笑顔を見ると、何よりも謙虚な気持ちにさせられる。「人間性が奪われた人物に、人間性をもたらすよう描いた」と監督は話している。この映画は、アメリカの闇や政治、宗教、軍法を題材にしながら、究極的には人間愛を説く映画だ。メインストリーム作品として広く配給される意義はとても大きい。

グアンタナモ収容所はテロ容疑がかけられた約780人が収容され、違法な尋問や拷問、長期拘禁が行われた。そのうちの1人であるモハメドゥ・スラヒは14年2ヶ月もの間一方的に拘禁され、2016年にようやく釈放。しかし、釈放後も様々な自由が制限され、アメリカからの圧力によって日本への入国申請も却下された。オバマ政権もバイデン政権もこの収容所の閉鎖を表明したが、未だに実現に至っていない。

釈放された後もモハメドゥはPTSDを患い、今もパニック発作に苦しんでいる。それでも、現在は自身の経験を世に伝え、より良い世界を作るという使命を感じられていると、マクドナルド監督は紹介する。「今も戦っている彼の姿を見ると、本当に心が動かされます。だからこそ、この映画を作りたいと思ったんです」。

映画『モーリタニアン 黒塗りの記録』は2021年10月29日、TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開。

Writer

中谷 直登
中谷 直登Naoto Nakatani

THE RIVER創設者。お問い合わせは nakatani@riverch.jp まで。

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