【解説レビュー】ブラーで俺らはこじらせた ― 『モダンライフ・イズ・ラビッシュ~ロンドンの泣き虫ギタリスト~』とUK文系ロック

2005年、筆者が大学時代の話である。サークルの夏合宿で、我々は自然に囲まれたコテージに来ていた。もちろん、「合宿」とは名ばかりで目的は飲み会である。女子たちもたくさんいる状況で、筆者がやった自己アピールは何だったか。それは、ほかの男友達と一緒にオススメのCDを女子に聴かせることだった。
問題はCDのチョイスである。奴がASA-CHANG&巡礼をかければ、筆者はレディオヘッドをかける。奴が電気グルーヴをかければ、筆者はエイフェックス・ツインをかける。およそ、フットサル・サークルでマネージャーをやるような女子大生が積極的に聴くタイプとは思えない楽曲がしばらく流れた。やがて、この奇妙な時間は後輩男子の「それよりDragon Ashをかけましょうよ」の一言で終了するのだった。
マジな話、筆者も友達も心から女子にレディオヘッドを聴かせるという行為がイケてると信じていた。エレクトロと生演奏を融合させ、資本主義社会の矛盾を物憂げに歌う音楽を「頭空っぽな大学生の宴会」で流すという状況にも、得体の知れぬ「革命感」を覚えていた。もちろん、どこをどう考えても、ああいった空間に映える音楽はDragon Ashのほうである。今ならわかる、今なら言える。なぜあのときそれができなかったのだろう。
どうでもいい黒歴史を思い出したのは、『モダンライフ・イズ・ラビッシュ~ロンドンの泣き虫ギタリスト~』を見たせいだ。本作の主人公、リアム(ジョシュ・ホワイトハウス)は究極の「こじらせた奴」である。何をこじらせたのかというと、筆者と同じ「文系ロック至上主義」というイズムだ。そして、90年代からゼロ年代にかけて、文系ロックが市場を席巻していた時期は確かにあった。以下、『モダンライフ・イズ・ラビッシュ』における音楽の使われ方を解説していきたい。

主人公リアムの恋愛と音楽
『モダンライフ・イズ・ラビッシュ』はリアムとナタリー(フレイア・メーバー)の愛と破局の物語である。2人は大学時代、CDショップで知り合う。ナタリーがブラーのCDを物色している最中にリアムが講釈を垂れ始めたのだ。
「ベスト盤なんて買っちゃいけないよ。アルバムを最初から聴かないと。『Parklife』の前の2枚だっていいんだから。」
音楽的評価こそ高かったものの、「まあまあ売れてるバンド」の一角だったブラーがアルバムで全英1位を初めて獲得したのが3枚目『Parklife』である。そのため、初期2枚を軽んじている音楽ファンは多い。実際、2枚とも悪い内容ではなく、筆者個人の意見を記せば、『MODERN LIFE IS RUBBISH』は『THINK TANK』と並ぶ最高傑作である。要するに、リアムは「音楽ファン、ブラーの初期2枚過小評価しがち」という「あるある」にしたがって見知らぬ女性にカマしてしまったのだ。
しかし、ナタリーはブラーのガチ勢だった。「ベストを買うのはライブ音源があるから」と語る彼女に、リアムは惹かれる。リアムは生粋の音楽ファンで自分でもバンドをやろうと考えていた。美人でユーモアがあって、しかも音楽が好きなナタリーは理想の女性だ。すぐにリアムはナタリーが興味を示していたパーティーへと潜入し、彼女を口説く。ハンサムで楽しいリアムは、ナタリーにとっても最高の男性だった。
この馴れ初めで面白いのは、ブラーについて熱く語る主人公の名前が「リアム」である点だろう。いうまでもなくブラーのライバルだったバンド、オアシスのボーカリストであるリアム・ギャラガーを連想せずにはいられない。そして主人公の容姿は、ブラーのデーモン・アルバーンとリアム・ギャラガーを足して2で割ったようだ。リアムの音楽オタクぶりが反映された演出だといえるだろう。

リアムと「文系ロック」、そして青春の視野
リアムはとにかく音楽について語りたがる男だ。ブラーだけではない。「無人島に持って行く1曲」ではコクトー・ツインズをチョイスする。エディンバラ出身の音響系バンドである。素晴らしいバンドなのは間違いないが、無数の選択肢から1曲に選ぶ人は少数派だろう。要するに、リアムはこじらせているのである。レトロな音質を好み、デジタル・ダウンロードを否定するのも自分の信念というよりは、「主張のある人間」という立場に執着しているように見える。