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SNS世代こそ観るべき!脅かされるオリジナル、“コピー”の恐怖を描いた映画

私は時々、ひどく怖いと感じることがある。

現在人々はどこかレストランを見つける際に、有名人が入ってSNSに投稿したお店に殺到し、モデルが着用してインスタグラムに投稿したブランド(そしてズバリそのアイテム)を手に入れようとする。


 “インスパイア”とは違う、“コピー”が溢れかえっているのだ。

私はこれに、時々ひどく怖いと感じる。

 

モデルのあの子と同じメイクをする、同じブランドの全く同じその服を着る。こうして街をコピーキャットが横行していく。

さて、コピーされる人からしたら、これはたまったものじゃない。どれくらいたまったものじゃないかって、ことが描かれている映画を2本紹介したい。

 

「えっ……お前俺じゃん……」『複製された男』

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=PCBnoKpAXQU]

 

2013年に公開された、ポルトガル出身ノーベル作家であるジョゼ・サラマーゴの小説「複製された男」を映画化した作品。小説の原題がThe Doubleに対して、映画の原題はEnemyとなっている。

 

映画の冒頭は、どこかの地下通路を歩くジェイク・ギレンホールのシーン。鍵のついた部屋に入ると、そこに広がっていたのは如何わしい秘密クラブ。そう、この映画には冒頭のこのシーンや、随所随所に出てくる“タランチュラ(蜘蛛)”というメタファーなど、どこか『アイズ・ワイド・シャット』に似たものを感じる。

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http://www.slate.com/blogs/browbeat/2014/03/14/enemy_movie_ending_explained_the_meaning_of_the_jake_gyllenhaal_and_denis.html

 

主人公はジェイク・ギレンホール演じる、気弱な大学講師アダム。友達も多くなさそうで、娯楽に興じるタイプでもない。そんな彼が同僚にある映画を勧められる。素直にその映画をレンタルショップで借りてみるのだが、彼は映画の中に自分と瓜二つの男を発見した。

そこから執着を持って、その男の正体を突き詰めていき、次第には本人にコンタクトを取るようになる。そして言うのだ、「僕たちは是非、会うべきなんだ」と。 

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https://hardinthecity.com/2014/04/02/enemy-review/

さて、ドッペルゲンガーという現象に関して有名な迷信がある。「もう一人の自分に会うと死ぬ」というものだ。

おいおい、お前さん大学講師やっててそれくらい知らないのか!?と、男の身を案じてしまう。そしてやはり、主人公のアダムはもう一人のジェイク・ギレンホール、アンソニーに脅されるのだが、物語の結末はアドレナリンが急上昇するかのような、映画好きにとって知的好奇心を刺激されるものとなっている。

アダムの大学での講義、ヘーゲルの話などを含め劇中に散りばめられたキーを拾い集めていくと、想像力が掻き立てられて面白いのでぜひ。

 

そしてこの原作小説The Doubleと同名の映画が、もう一つある。こちらもまた、男がドッペルゲンガーに苦しめられ、悲惨な目に遭う様を描いた作品だ。

 

「お前、僕の顔を盗んだな!!!」『嗤う分身』 

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=ZUqHkgTWdsY]

我らがオタク系俳優、ジェシー・アイゼンバーグ主演、『アリス・イン・ワンダーランド』『クリムゾン・ピーク』などで華麗に戦う乙女を演じたミア・ワシコウスカがヒロインのハンナ役となっているこの作品。

 

原作はあのフョードル・ドストエフスキーの「分身」だ。映画の特色は、まるで(悪)夢をみているかのような、不思議なテンポ感と光が差すことのないダークな世界とユーモア、そしてそれらを坂本九などの60年代歌謡曲が彩る。

 

主人公のサイモンが誰もいない電車で、「そこは俺の席だ」と言いがかりをつけられたのが悪夢の始まり。ある日会社に行くと、自分と全く同容姿の新入りジェームズがやってきた。しかも、彼は自分と正反対で、面白く要領も良いやつだ。

 

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https://notyourrolemodel.wordpress.com/tag/richard-ayoade/

 

互いが同じ顔であることに驚き、認識する中で周りの人間は、不思議なくらいそれに気づかない。ジェームズは、同じ顔であることが利用できるといい、気が弱くてとろいサイモンの片思いを手助けするという。しかし、狡猾なジェームズは逆に片思いの相手ハンナを奪い、サイモンの仕事や住まい、生活そのものを奪い尽くしていく。

 

「マジで勘弁してくれよ……」というサイモンの叫びも虚しい。自分のコピーが生活を脅かしていく様は、見ているこちらを身震いさせるところがある。

 

分身、ドッペルゲンガーを描いた作品は他にもあるが、どれもトリッキーで、上で紹介した二作品のように「本当は……」と推理させるような寓話が多いと思える。

 

それは置いておいて、だいたいがハッピーな作品とは言い難い。自身の複製(コピー)は、自分を社会的、財産的(知的も含む)、生命的にも脅かす可能性があるからだ。あーこわい。

 

以前は、マドンナがカーリーヘアだった時、ファンの子は美容師に「マドンナ“のように”して!」と頼んだ。今では、「キム・カーダシアンに、俺はなる!」とばかりに、全く同じ顔になろうと整形を繰り返す者があとを絶たない。

 

有名人、モデルのコーディネートをブランド、アイテムごとコピーする癖のついたミレニアル世代にとって、オリジナリティとはなんだろう。

Writer

中谷 直登
中谷 直登Naoto Nakatani

THE RIVER編集長。ライター、メディアの運営や映画などのプロモーション企画を行っています。お問い合わせは nakatani@riverch.jp まで。

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