【解説】『ネオン・デーモン』劇中の5つのメタファーから読み解く、究極のナルシシズム

『ドライヴ』のニコラス・ウィンディング・レフン監督がファッション業界を舞台に描いた『ネオン・デーモン』。

独特の色彩感覚と、散りばめられたメタファー。現実とも妄想ともつかない悪夢のような世界がスクリーンいっぱいに広がり、観る者の右脳を強烈に刺激してくる。ニコラス・ウィンディング・レフンの本領発揮といえる快作……いや、怪作だった。

『ネオン・デーモン』あらすじ

物語の主人公は、エル・ファニング演じる16歳の少女ジェシー。モデルを志して田舎から出てきた彼女は、その天性の美しさで瞬く間にモデルとしての成功の階段を上りはじめる。そんなジェシーを見つめるライバルたちの視線は、次第に嫉妬と悪意に満ちていく。そしてジェシーもまた、自分を取り巻く渦に飲 み込まれていくのだった。

【注意】

この記事には、映画『ネオンデーモン』に関するネタバレ内容が含まれています。

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『ネオン・デーモン』に散りばめられたメタファー

『ネオン・デーモン』には、ありとあらゆるメタファーが散りばめられている。しつこいほどに繰り返し出てくるアイテム、抽象的なクライマックス、唐突に想えるエピソード……おそらく、それらすべては監督の緻密な計算によるもので、はっきりとした意味が込められているはずだ。主だったものを列挙し、自分なりの解釈を述べたいと思う。

1.鏡とナルキッソス

主人公であるジェシーは、冒頭のシーンの直後で鏡に写る自分をじっと見つめる。その後も、何度も何度も繰り返し”鏡”というアイテムが登場する。ジェシーが鏡に写る自分を見つめるシーン、他のキャラクターが鏡ごしにジェシーを見つめるシーン、鏡を割るシーンと、不自然なほどに”鏡”ばかりが登場する。

“鏡”とは、ナルシシズムの象徴だ。ナルシシズムの語源となったギリシャ神話に登場する美少年ナルキッソスは、ニンフたちの求愛を悉く冷淡にはねつけたことで恨みを買い、復讐の女神ネメシスによって”決して叶わぬ恋に苦しむ”ようにされてしまう。結果、水面にうつる自分の姿に恋をし、狂乱状態となって哀しみのうちに死ぬ。

そう。ジェシーはナルキッソスそのものなのだ。純粋な田舎娘といった雰囲気で登場するが、彼女は最初から傲慢だった。冒頭近くのトイレでの会話シーン。整形だらけの先輩モデルたちから天然の美を妬まれた後、ひとりトイレに残った彼女は、鏡に向かってほんの少しだけ微笑する。また、モーテルの管理人ハンクが隣の部屋の少女を襲ったとき、ジェシーは怯えながらも一切少女を助けようとはしない。ジェシーは一貫して、本質的に傲慢で利己的なキャラクターとして描かれている。

モデルとしてナチュラルな美しさを評価されればされるほど、最初から持っていた傲慢さの芽は大きく成長し、彼女を自己陶酔で包んでいった。そして、ジェシーは自分に想いを寄せる人間の性的接触を悉く拒否。この点も、自分以外誰のことも愛せなかったナルキッソスとピッタリと重なる。

また、ジェシー以外の女性キャラクターたちについての鏡は、白雪姫の鏡を連想させる。ジェシーにとって鏡が自らの美しさを肯定するアイテムだったのに対し、他のキャラクターたちにとって鏡は自らの美しさを否定するアイテムとなり、彼女たちを追い詰めていく。白雪姫の魔女が鏡によって追い詰められていったように。

2.ヤマネコ

モーテルで寝泊りしているジェシーが部屋に戻ると、開けっ放しだった窓からヤマネコが侵入していたというエピソードがある。いささか唐突すぎるきらいがあるシーンだが、ヤマネコとは一体なにを表しているのだろうか?

ヤマネコは野生動物であり、群れずに単独行動をする。私は、ヤマネコとは【突然出現する脅威】を象徴すると同時に、【ジェシー自身】を表しているのではないかと考えている。
ヤマネコが家畜化され人間との共同生活が可能になったものがイエネコなわけだが、【ヤマネコ対イエネコ】という対比は【ジェシー対他のモデル】という対比と呼応しているように思えるのだ。

まったく人の手が加えられておらず(未整形)、出自も分からず、決して群れないジェシーと、人工的につくられた美を持ち(整形)、基本的に他の人間と行動しているモデルたち。平穏な生活に突然乱入してきて命を脅かす存在となったヤマネコは、ファッション業界に彗星のごとく現れたジェシーそのものではないだろうか。

3.三角形

『ネオン・デーモン』の中でも最も抽象的なシーンは、初めてジェシーが出演したランウェイでのシークエンスだろう。青色の正三角形の光を背後にしたジェシーの前には、赤色の逆三角形の光(ネオン)が見える。光の中では、ジェシーが自分自身にキスしている姿が映し出されている。
魔術的なものの象徴である三角形は、ジェシーがナルシシズムに完全に囚われてしまったことを意味する。また、ジェシーに強い感情を抱く3人の女性たちのことも表しているのだろう。

4.月

月もまた、『ネオン・デーモン』の中で象徴的に扱われている。子供の頃、屋根に上って月と会話していたというジェシー。ジェシー殺害後、窓の外に浮かぶ月を恍惚と眺める全裸のルビー。再びギリシャ神話に立ち返ってみると、月をつかさどる女神アルテミスは処女神であり、ジェシーのイメージと合致する。また、狼男に代表されるように、月は人を狂わせる存在でもあるわけで、まるで女吸血鬼カーミラのようにジェシーに執着するルビーをも象徴しているのだろう。

5.ハンク

ジェシーが滞在しているモーテルの管理人であるハンク。粗野で低俗なハンクは、ジェシーを馬鹿にするばかりか言いがかりまでつける。注目すべきなのは、ヤマネコ乱入事件の後、ジェシーがハンクに対してだけは終始苦手意識を露わにしている点だ。もちろん、ハンクが乱暴で怖いからということではあるのだが、よく考えると登場人物の中で、ハンクだけがジェシーの”美”に魅了されていない存在なのだ。ジェシーは、自らの美という武器を通してしか他者と関わることができない。その武器が全く通用しない相手であるハンクとは、接触すら避けてしまう。

これは、ジェシーにとって他者が”自分の美を証明してくれる鏡”でしかないことを表しているように感じた。

補足 個人的に残念だった点

『ネオン・デーモン』に登場する主だったメタファーを自分なりに解釈してきたが、個人的に残念だった部分もあった。

それは、ジェシーが高名なカメラマンに撮影されるシーンだ。ジェシーはカメラマンから「脱げ」と指示され、全身に金粉を塗りたくられる。彼女がプロとして初めて仕事をする瞬間であり、モデルという仕事に楽しさを見出す大切なシーンだ。しかし、ここでジェシーの全身は映されない。ジェシーがもつ”手を加えられていない天然の美”に説得力を与える千載一遇のチャンスなのにも関わらず、だ。

エル・ファニングがヌードNGだったのかどうかは分からないが、仮にここで全身を映さなかったとしても、どこかのタイミングで雑誌か何かに掲載された写真を映すなどやりようはあったのではないかと思う。ファッションショーの後でデザイナーが”美”について自論を展開するシーンがあったが、終始観念的な世界観が続く本作の中にあって、あのシーンだけやけに説明的に感じてしまった。どこかで一糸まとわぬジェシーの美しさを映し出すことで、言葉による説明なしにビジュアルで同じ内容を表現できたのではないだろうか?

いずれにせよ、あの流れで全身が映らないのは不自然だと思ったし、天然の美やカニバリズムをテーマにしている『ネオン・デーモン』において、ジェシーの肉体にスポットライトを当てるのは当然の流れなのではないだろうか?この点だけが残念だった。

美と悪夢とナルシシズム

『ネオン・デーモン』は決してわかりやすい映画ではない。しかも、ちょっとグロい。ストーリー展開のわりに尺が長すぎる気もするし、「やりすぎかな?」と思う部分もないではない。それでもやはり、極めて魅力的な映画だと言わざるを得ない。

唯一無二の色彩感覚と、病みつきになる世界観。これでもかと詰め込まれた監督のメッセージと女優たちの振り切れた演技(キアヌ・リーブスもいい感じでクズ)。ラメやネオンでギラギラと照らし出された、この自己陶酔の悪夢は、できれば映画館で観てほしい。

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About the author

ホラー以外はなんでも観る分析好きです。元イベントプロデューサー(ミュージカル・美術展など)。

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