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誰でも映画の感想を言える時代、だからこそ「プロの批評家・評論家は必要」とクリストファー・ノーラン

クリストファー・ノーラン Christopher Nolan
© LFI/Avalon.red 写真:ゼータ イメージ

いよいよ2024年のアワード・シーズンが始まった。1月4日(米国時間)にはニューヨーク映画批評家協会賞の授賞式が開催され、監督賞に輝いた『オッペンハイマー』クリストファー・ノーランが登壇。“誰でも映画の感想を言える時代”に、プロの批評家や評論家がますます重要になっているとの持論を述べた。

「映画監督たちは、批評家や批評に対して複雑な感情を抱いているものです」。ノーランは受賞スピーチの冒頭でこう語った。「私たちはよく、“批評を読みますか?”と聞かれます。私はイギリス人なので、いわゆる家族の集まりでは親戚にこう言われるんです。“今日はガーディアン紙を読まないほうがいいぞ”って」。

もっとも現代は、映画批評家やジャーナリストが執筆する言葉以外にも、SNSなどで作品やフィルムメイカーに対する言葉が無数に飛び交う時代だ。ノーランは「意見の数が増えた時代に、批評家のリスクは、その言葉が個人の声としてではなく票に集約されること」だと語る。

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「あらゆるところで意見を見聞きする現代では、映画批評は民主化されてきたとも考えられています。しかし私は、映画を批評的に鑑賞することは、直感的なものではなく職業であるべきだと思うのです。この場所にいるのは、客観的であろうとする専門家たちです。“映画について客観的に書く”という行為は明らかに矛盾していますが、客観性を追求することこそが、批評をかけがえのないものにし、普遍的なものにし、フィルムメイカーやそのコミュニティにとっても有益なものにしているのです。」

ここでノーランが言及したのが、『オッペンハイマー』における自身の挑戦だ。スタジオ製作の映画でも「描けない題材はないし、できないことはない」と信じるノーランだが、“原爆の父”として知られるロバート・オッペンハイマーの半生や、核兵器の開発を描くという「自分にとっても世界にとっても重要な」仕事を引き受けるうえでは、「誤解を招くような選択も避けられないとわかっていた」という。

「今日、フィルムメイカーが作者の意図を盾にすることはできません。“これが私の意図です”とは言えない。私たちが生きているのは、物語を受け取った人が、自分にとっての意味を語る権利を持つ世界。つまり、作品そのものが語るべきであり、私自身の発言は問題にならない世界です。むしろ、大切なのは“どう受け取られたか”ということ。そんな世界では、プロの批評家や解説者、あるいは読者に文脈を与える──作り手の選択にどんな文脈があり、ひとつの作品にいかなる芸術・映画の歴史的文脈があるのかを語る──人々の存在がきわめて重要なのです。」

ノーランは「『オッペンハイマー』ほど、私の映画について注意深く、熟考し、思慮深い文章を書いてもらったことに感謝した作品はありません」とも語った。批評が軽視されがちな時代にあって、ノーランは、精密な批評が映画の見方や受容のありかたを変えること、新しい可能性を生み出せること、未来の創作にも影響を与えることを説いている。

映画『オッペンハイマー』は2024年日本公開。

Source: Variety, Christopher Nolan Art & Updates

Writer

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稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。THE RIVERほかウェブ媒体、劇場用プログラム、雑誌などに寄稿。国内の舞台にも携わっています。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。

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