【解説】なぜ『パワーレンジャー』は「変身までが長い」のか?

主人公5人は同じ学校に通う平凡な高校生です。所属するコミュニティも異なるため、ほとんど接点はありません。しかし、それぞれ同じように孤独を抱えています。一度の失敗で地域のスターの座から転落してしまったジェイソン(レッド)、恋愛関係のもつれで仲良しグループから弾き出されたキンバリー(ピンク)、天才で自閉症スペクトラムのビリー(ブルー)、家庭に居場所がない上に同性との恋愛に悩むトリニー(イエロー)、病気の母を看病しながら取り残されてしまうことに怯えるザック(ブラック)。彼らの孤独は「ふつう」になれないという負い目、もしくは「ふつう」から弾き出されてしまった寂しさから来るものです。
しかも「パワーを使うこと」に対する問いもあまり踏み込んでは描かれません。最近は「なぜ戦うのか?」を自問するヒーロー映画が流行りだったりしますが(その認識も今ではすこし古いかもしれませんけど)、パワーレンジャーたちはその点において疑問を挟むことはありません。ただ地元の街が怪しげな緑の女に侵略されている、日常がジワジワと破壊されているという事実がピュアに彼らを突き動かすのです。そこに「地球を守る」みたいな大義はありません。彼らは自分たちを仲間はずれにした、好きじゃないけど見捨てる気にもなれないちっぽけな田舎町を救えればそれでいいんです。ここは演出がとても良かったと思います。リタが漁船に引き上げられるところから始まり、パワーレンジャーの訓練と並行して「この街でヤバいことが起きている」様子を描くことで徐々に危機感を煽っています。だからこそ、5人が悩むまでもなく「対処できるのは自分たちだけなんだ」という確信を自然に抱くようになるわけです。とってもスムーズな導線が敷かれていると思います。
では5人にとって何がヒーローになることへの障害なのかというと、それは「チームのためを想うこと」です。パワーレンジャーはそれぞれのメンバーが孤独に苦しんでいます。一人ひとりが両手いっぱいに悩みを抱えています。自分のことで精いっぱいなのです。あまりに目の前が暗いから、世界がとっても狭く見えてくる。辛いときに気を許せる人もいません。そんな折に「そのパワーで地球を救え」と言われたところで「いや、そういうのいいんで帰ります」みたいな反応しかしないのは当然です。
しかし、5人は「スーパーパワーを持っている」という共通の秘密で繋がっています。何ごとも隠れてコソコソやらなければならない背徳感や、自分たちだけが違う世界を知っているという優越感は、5人の仲間意識を刺激します。自ずとほかのメンバーへの興味も湧いて耳を傾けてみれば、このちっぽけな田舎町で暮らす息苦しさや理解されない辛さはなにも自分だけではないと知ります。そしてなにより「変身したい」というゴールを共有し、互いに助け合うことで絆はより深まっていくのです。
こうして振り返ってみると、あらすじは青春映画そのものです。しかも、補講のクラスで集まったバラバラの生徒たちが友情を育んでいく流れは『ブレックファスト・クラブ』を強く意識していますし、秘密を共有して結束する5人の姿は『スタンド・バイ・ミー』を連想させます。『スタンド・バイ・ミー』に関してはそのまま音楽も流れていましたね。