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ライアン・ジョンソン監督、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』ルーク像めぐるマーク・ハミルの拒絶反応に持論 ─ 「彼はルーク本人ってわけじゃない」

by Dick Thomas Johnson https://www.flickr.com/photos/31029865@N06/25070162628 | https://www.flickr.com/photos/31029865@N06/24076845237 remixed by THE RIVER

『スター・ウォーズ』史上最大の賛否を巻き起こした『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(2017)。同作は公開から早5年を迎えようとするも、いまだ議論が尽きない。

直近では、英Empireにてライアン・ジョンソン監督が語った内容が話題を巻き起こしている。ライアン監督とは『最後のジェダイ』脚本を単独で手掛け、大体な手法と共に『スター・ウォーズ』神話の解体に挑んだとされる人物。ファンからは、監督の試みの是非が激しく議論されている。

同紙に対して監督は、「5年が経って、より誇らしく思うようになった」と手応えを深めた実感を話した。この他に監督は、ルーク・スカイウォーカー像をめぐるマーク・ハミルの反応への持論も述べている。米CBRが報告している。

「スカイウォーカー・サーガ」の主人公であり、希望の象徴だったルークだが、『最後のジェダイ』では過去の失敗から自信を喪失し、心を閉ざして隠遁しているという解釈がなされた。現実世界におけるルークの化身ともいえる演者マーク・ハミルはこの脚本に難色を示し、公の場でも抵抗感を詳かにしていたことはファンの間でよく知られている。

「お世辞になりすぎないように慎重に言葉を選びますけど、マークがされてきた経験を、自分のレンズに当てはめようとは思いませんよ。だって、あのキャラクターたちとして人生を生きてきたマークやキャリー(・フィッシャー、レイア役)の目線で考えるなんて、不可能な話ですから」。ライアン監督は、自身の書き上げた脚本にマークが拒絶反応を示したことについて、こう話している。「20代のうちに演じていた役をまた演じることになって、“今度はこんな感じです”って脚本を手渡さされるのがどんな気持ちか……。僕には到底理解できません。無理なことです」。

演者とはあくまでも演者であり、与えられた役への根本的なクリエィティブ権は持ち得ない。ライアン・ジョン監督は、どうやら良くも悪くもそのことを理解しているようだ。「もしマーク・ハミルが、ルーク・スカイウォーカーについて僕に話すなら、彼の話は聞きますよ。それで僕も考えて、反論して、何度もやりあいたい。純粋に、自分の魂や自分が書いたものの深みをきちんと見定めて、それが正しいかを探りたい」としつつ、次のように続けている。おそらく、これが監督としての本音なのだろう。

「彼がスクリーン上のキャラクターを創り出したということは忘れていはいけないけど、でも彼はマーク・ハミルなんです。ルーク・スカイウォーカー本人というわけではない。ルーク・スカイウォーカーとは、スクリーン上に生きる空想の産物。彼は神話なんです。だから彼は、神話に耳を傾け、様々な形でそれを信じる人の心に生きているだけなんです。それで、それが僕だったというわけです。だから、複雑なんですよね」。

監督は「複雑なんですよね」とは添えているものの、実際のところ単純である。つまるところ、ルーク・スカイウォーカーとは誰のものでもないのだ。ゆえに、『スター・ウォーズ』自体も誰のものでもないと見なしており、だからこそ神話解体にも恐れずに挑んだのではないか。キャラクターやその演者を神格化することには負の側面があり、確かに監督はそのことを『最後のジェダイ』でも描いている。そこにはニヒリズムのようなところがあり、同じくレイを「何者でもない」と設定したことにも通ずると見ることもできそうだ。

今回のライアン監督のコメントは、マーク・ハミルら演者の持つ創造権の制約に同情を示しつつも、自身のアプローチ方法について改めて語っているという点で、一貫した『スター・ウォーズ』観が今も曲がっていないことを示したものと言えるだろう。

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Source:CBR

Writer

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中谷 直登Naoto Nakatani

THE RIVER創設者。代表。運営から記事執筆・取材まで。数多くのハリウッドスターにインタビューを行なっています。お問い合わせは nakatani@riverch.jp まで。