ロドリゴとデズモンド ─『ハクソー・リッジ』『沈黙 -サイレンス-』でアンドリュー・ガーフィールドが演じた2人の男の違いとは?キリスト教の見地から

転ぶ/貫く
このように、ロドリゴとデズモンドは実に対照的だ。片や、現実の過酷さによって価値観や信念が揺らぎまくる主人公。片や、過酷すぎる現実にもビクともしないほど強い信仰心を保持し続ける主人公。こうまとめると、デズモンドの方がヒーローらしく、共感を得やすいようにも思われる。しかも、『沈黙-サイレンス-』のロドリゴは、最終的に踏み絵を足をかけ”転ぶ”のに対し、『ハクソー・リッジ』のデズモンドは多くの兵士の命を救う。結果的にどちらがヒーローになったのかは明らかだ。
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自分は殺人を拒否していながら、なぜ他の兵士が行う殺人が容認できるのかという矛盾もある。それは、セブンスデー・アドベンチスト教会の信徒として個人の信仰を貫き、他者には寛容であるという基本に徹底した結果なのだと思われるが、宣教師としての自分の立場や、キリシタンへの影響との狭間で苦しみ抜いたロドリゴと比較すると、あまりにも極端な割り切り方に見えるだろう。
正反対のアプローチだが、最後まで信仰を守った2人
カトリックにしても、セブンスデー・アドベンチストにしても、そもそもは同じ神を信じているし、基本的なな教義は共通している。しかし、周囲の人間や状況に触れ葛藤しまくったロドリゴと、どのような状況においても一切ぶれなかったデズモンドは正反対だ。
それでも、『沈黙-サイレンス-』でロドリゴは最後まで信仰心を捨てることはなかったという解釈がなされていた。周囲に対して信仰を捨てたと嘘をつき通すことで、自身の信仰を守り抜いたロドリゴ。それに対し、外野の声に全く影響されることなく、自分の意志を表明しつづけることで自身の信仰を守り抜いたデズモンド。アプローチは真逆だが、最終的に神への忠誠を守り抜いたという点は同じだ。
両監督の信仰への向き合い方と重なる
それは同時に、2作品の監督のキリスト教への向き合い方も示しているといえるだろう。『沈黙-サイレンス-』のマーティン・スコセッシ監督も、『ハクソー・リッジ』のメル・ギブソン監督も熱心なカトリック信者だが、両者の生い立ちは対照的。
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