『ローグ・ワン』最新予告映像〜希望編〜が公開!今作がもたらす新たな多様性を解説する

この度、映画『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』新予告編が公開された。
最新予告映像〜希望編〜に寄せて
『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』は、『スター・ウォーズ エピソード4 / 新たなる希望』直前を描く、”もう一つ”の物語、アナザーストーリーとして宣伝されているが、大ファンである筆者は今作を”もう一つ”という位置付けでは考えたくない。なぜなら、スターウォーズ・ユニバースは全てが繋がっているからだ。今作は、決して『外伝』とか『番外編』のようなものでなく、スターウォーズ世界史の『正史』上で語られる物語である。
スターウォーズやマーベル、DCコミックスといった海外ポップカルチャーは、”ユニバース”という偉大なる概念がある。そのユニバースで起こる出来事は全て繋がっており、それぞれが相互に作用し合う。スターウォーズにおいては、1977年に公開された『エピソード4 / 新たなる希望』で既にユニバース要素を示唆していた。物語序盤、ベン・ケノービ(オビ=ワン)は自身の隠れ家に主人公ルーク・スカイウォーカーを招待すると、この『エピソード4』以前にユニバースで起こった様々な出来事を口にする。かつてアナキン・スカイウォーカーという偉大なパイロットが暗黒卿ダース・ベイダーによって葬られたこと、クローン戦争という甚大な戦争が起こったこと…。
1977年、名優アレックス・ギネス演じるベン・ケノービが『薄汚れた宇宙』のその片隅で語った魅力的な単語の数々は、まるで発光するライトセーバーの生成に必要なアデガン・クリスタルのように、ささやかに、しかし力強くその光と色彩をひっそりと保ち続けてきた。
現実世界での時は流れる。21世紀を迎えるにつれ、現在のルーカス・フィルムやILM、ディズニーのクリエーターらはそのキラキラ光るクリスタルをひとつずつ丁寧に拾い上げ、力強く光誇るライトセーバーとして蘇らせた。アナキン・スカイウォーカーがベイダーに葬られる物語は1999年の『エピソード1/ファントム・メナス』から2005年の『エピソード3/シスの復讐』までかけてじっくりと語られることになる。
そして”クローン戦争”の一言は、2002年の『エピソード2/クローンの攻撃』を皮切りに、アニメシリーズ『クローン・ウォーズ』で、2008年から2014年まで実に6年の歳月をかけて十二分に解き明かされる。
“ユニバース”の概念を最重視するスターウォーズのような海外ポップカルチャーは、作品の世界観を数十年かけて構築し、洗練させていく。まさに広がり続ける宇宙のように、年月を追うごとに新たな謎が解き明かされ、また追加されていく。ひとつの事象を多方面から照らし、全く考えもつかなかったような新たな解釈をもたらす。”ユニバース”概念は、アメリカ国民が無意識に持つ価値観、”多様性”のライトサイドを増強させているように感じられる。
『ローグ・ワン』がスターウォーズ・ユニバースに持ち込む”多様性”とは、『犠牲』についてであると現時点の筆者は考えている。実はこの犠牲というテーマは、近年の海外ポップカルチャー映画においては注目すべき題材である。2000年以降の海外、とりわけアメリカのポップカルチャー映画が取り上げてきた主題を、冷静に思い返してみてほしい。
2002年、現代のアメコミ映画ブームをメインストリームに仕上げた立役者、『スパイダーマン』シリーズの主題は「正義にはどこまでの責任が伴うか」という問題定義のもと、その答え探しに悩むヴィジランテの葛藤を描いた。同じくブームの火付け役、2000年スタートの『X-MEN』シリーズも、差別に苦しむミュータントたちの苦悩との格闘にスポットライトが当てられる。「ヒーローは完全無欠な存在」と信じていた一般層は、これら「悩めるヒーロー」の物語を珍しがって歓迎した。以後、様々なヒーロー映画が制作されるも、やはり主題はヒーローたちの主観的苦悩だったように思う。
ところがここ数年は、その問題定義が一巡したのか、除々に多様性が持ち出されるようになる。2008年の『ダークナイト』では「正義と悪の表裏一体性」を大胆に描くことで大ヒット。観客は一巡した価値観に新たな光をあてるような作品を渇望していたことを証明してみせた。
そして2015年からは、また新たな多様性が展開される事となる。マーベルの『キャプテン・アメリカ:シビル・ウォー』とDCの『バットマンvsスーパーマン:ジャスティスの誕生』では共に「付帯的損害による犠牲」を主題としている。これまでただ英雄的に語られてきたヒーローたちの活躍の裏には、払われてしまった犠牲があったのだ、という目を背けたくなるようなダークサイドだ。
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