蜘蛛の糸は◯◯のメタファー?改めて振り返るサム・ライミ版『スパイダーマン』

ちなみに余談ですが、バットマン、スーパーマンなどのDCのヒーローは内面の成長はあまり目立たず、最初からキャラがぶれることなく初志貫徹型といった感じですね。
暴力と性
“蜘蛛の糸=精液”説を念頭に置くとピーターが男性である、という至極当然の事実が際立ちます。
- 糸=性(糸の噴射が射精のメタファーという説)
- 糸=暴力(スパイダーマンは糸を駆使して戦っている)
- 糸=男性(射精の対象は一般的に女)
以上の3点から「暴力=男性の性欲」という図式が浮かび上がってきます。
ベンおじさんの「暴力をむやみに振りかざしてはいけない」という教えをこの図式に当て嵌めて反転すると「誰もを簡単に性の対象にしてはいけない」ということになります。本能のままに生きてはいけない、といった具合でしょうか。
ここに「成長」の要素を足してみましょう。ピーターはむやにみ暴力を行使しない節度のある人間へと成長しますが、同様に性に対しても節度をわきまえるようになります。
映画中盤のアマレスのシーンは正義の伴わない暴力が現れますが、その裏には「MJとドライブをしたい。そのための車を買う金が要る」という性的な動機がありました。スパイダーマンとしての能力を初披露するシーンもMJの彼氏との喧嘩でした。ですが、自身の大いなる力との正しい付き合い方を学ぶことで同時に性への考え方もいつのまにか成熟してきます。最も顕著なのはラストシーン。
MJに言い寄られたにも関わらず “I will always be your friend.”(ずっと君の友達だ)と人間関係や自身の環境を理由に彼女とは距離を置きます。あんなに必死に追いかけてきたMJが相手にも関わらずです。以前のピーターにこんな大人の振る舞いが出来たでしょうか。(逆に最初のピーターは拗らせ童貞を絵に描いたような男でしたから、テンパって結果としては同じになるかもしれませんが。)
このように、成長した結果として男性性を得ただけではなく、男性としても成長しています。
蜘蛛の糸は精液の隠喩だ、という説を頭に入れて見直してみると皆さんも新たな解釈に出会えるかもしれません。またこれを機に全シリーズ見返して比較するのも面白いかもしれませんね。
『スパイダーマン:ホームカミング』ではどうなる?
映画『スパイダーマン:ホームカミング』は2017年8月11日公開。