【解説】『SHERLOCK/シャーロック』は何を描いてきたのか ― 「推理の科学」のその先へ

【注意】

この記事には、ドラマ『SHERLOCK/シャーロック』シリーズ、映画『ボーン・アイデンティティー』『ブラック・スワン』のネタバレが含まれています。

2017年、イギリス・BBC制作のドラマシリーズ『SHERLOCK/シャーロック』が、シーズン4で一応のファイナルを迎えました。原作小説『シャーロック・ホームズ』シリーズの舞台を、“19世紀から現代へ移した”中でも変わらぬ魅力を放つホームズとワトソン改め、“シャーロックとジョン”の物語に、多くの人々が心を打たれたことと思います。
しかしそのことで、ある問題が人知れず発生していたのをご存知でしょうか? “21世紀を生きるシャーロックの頭脳には、現代科学の範囲が及んでしまう”という問題です。

原作小説の第1作『緋色の研究』において、ホームズは“推理の科学”を提言しています。“観察力の豊かな人間は、日常生活で遭遇するすべてを的確に系統的に観察することによって、実に多くのものを学びうるものだ”。そして“論理的思考の持ち主は一滴の水を見ただけで、大西洋やナイアガラの滝を実際に見たり聞いたりしたことがなくても、それが存在することを言いあてることができる”のだと。

ですが21世紀の現代において、ホームズが提唱した“推理の科学”は、心理学や神経科学によって説明が可能となっています。
TEDカンファレンスにおける様々な専門家のプレゼンテーションなどをいくつか合わせれば、ホームズの能力を説明することができてしまいます。ダニエル・カーネマン(心理学者・行動経済学者)は意思決定において人々が陥りがちな盲点を突き、エリザベス・ロフタス(認知心理学者)は記憶を再生する困難さを語り、ミハイ・チクセントミハイ(心理学者)は速やかで適切な思考を“フロー状態”として捉えています。

これら著名な各分野の専門家たちの見解を交えながら、ホームズのアプローチを一冊にまとめた学術書『シャーロック・ホームズの思考術』(著:マリア・コニコヴァ 、翻訳:日暮雅通 、早川書房)はホームズの「説明、手法、思考に対する取り組み方全般は、彼の誕生後一〇〇年以上もあとに起きた心理学と神経科学における発展を予言していた」と、その先見性について見ています。

ここで、“シャーロック(ベネディクト・カンバーバッチ)の生きている世界には、シャーロック・ホームズは存在しなかったのか”という疑問が湧いてきます。現代科学に立証され尽くしたシャーロックの能力は、もはや“シャーロック・ホームズとして提唱する”必要のない理論だからです。

シャーロックは独学なのか?~“推理の科学”のその先へ~

より賢い選択をすることが“なりたい自分への普遍的な第一歩”であるならば、その手法は限りなく自己啓発に近いものということになります。では、誰もが容易く実現できるものなのでしょうか。『シャーロック・ホームズの思考術』の著者であり心理学者のマリア・コニコヴァ氏は、それを前向きに否定しています。

現代人はホームズが生きていた時代よりも困難な環境に生きているとマリア氏は語ります。インターネットが普及し、スマートフォンによって覆い尽くされた人々の生活圏は騒音に満ちており、かつてホームズが実現し得た集中力を行使するのは難しいと。シャーロックが生きているのはまさにそのような時代。シーズン2ではマスコミの煽りを受け、シャーロック自らが事件の当事者となってしまう代償が描かれたほどでした。現代を生きるシャーロックは、このように様々な角度から存在意義を揺さぶられ、シーズン4ではついに、その能力が決定的に地に落ちることになります。

さらに近年では、論理的思考からダイエット、禁煙に至るまで、ありとあらゆる自己変革には意識することで遠ざかる“皮肉なリバウンド効果”のあることが分かっています。または“シロクマ効果”と呼ばれる、“考えないようにすると考えてしまう”という現象です。禁煙によるストレスのはけ口は、“喫煙”なのです。

『スタンフォードの自分を変える教室』(著:ケリー・マクゴニガル 、翻訳:神崎朗子、大和書房)の著者は、この現象を回避し、善意の抑圧によるさらなる悪化を防ぐためには、“コントロールを手放す”という新しい尺度での“自己コントロール”を定義する必要があると提言しています。すなわち、現代における“推理の科学”、ひいては“シャーロック・ホームズたる生き様”には、21世紀であるからこそのさらなる鍛錬が課せられているのです。

原作にはワトソン以外にホームズを分析する者は現れませんが、『SHERLOCK/シャーロック』にはシャーロックを研究するシャーロッキアン集団“空の霊柩車”が登場しました。様々な個人ブログやTwitterによって動向が露呈する時代を生きるシャーロックには、手法がどれほどありふれたものであっても、実践者としての出自や性格をも含んだ、より大きな視点でのチャレンジが伴うことが分かります。その意味でシャーロックが向き合っているのは、普遍的な思考法に加え“自分という存在”を探求することであり、そして『SHERLOCK/シャーロック』が描き出したのは、これから100年後に立証されるであろう、一人の男の“成長の科学”なのです。

感情は、敵なのか?

シーズン4第3話『最後の問題』では、“モルモットの立場から科学を体験する恐怖”が描かれました。そこでの試練の最たるものは一方を選べば一方が犠牲となるいわゆる“トロッコ問題”、すなわち“感情的な影響下における推理”の実践です。

あなたの知らない脳──意識は傍観者である』(著:デイヴィッド・イーグルマン 、翻訳:大田直子早川書房)ではこのことを、理性システムと感情システムのせめぎ合いとして考えています。犠牲となる対象を身近に感じると、“感情ネットワークが活性化”し、“問題が個人とは関係のない抽象的な計算問題から、感情を伴う個人的な決定に変わる”というのです。

『SHERLOCK/シャーロック』シリーズは、依頼人にとっての第三者だったホームズと、ホームズを研究する第三者だったワトソンをことごとく当事者へと引きずりおろし、宿敵たちはシャーロックへの人身攻撃を激化させます。

シーズン2では、愛・恐怖・死という三つのテーマにアイリーン・アドラー(ララ・パルヴァー)、バスカヴィル・ハウンド、ジム・モリアーティ(アンドリュー・スコット)が襲い掛かりました。世界を掌握していると信じて疑わなかったシャーロックでさえも、より大きな人類の歯車でしかなかったという悲劇の物語は、彼に世界からの退場を迫ります。

ラザロのごとく蘇ったシーズン3では、親友ジョンの結婚生活を繋ぎ止める仲介者に徹するシャーロックが健気でしたが、論理の鎖を把握することで世界を知ることができるという自説を覆すかのように、彼は感情に重きを置き、論理を超えた愛の力に自らを委ねていきます。自分の思考を把握できず、賢さとは別に人を救うというのは、それまでのシャーロックにはあり得なかったことです。しかし彼は、才能の証明よりも“人を救う”役割を優先し、自分自身に価値を見出していくのです。

記憶術の一つとして登場したマインドパレス(精神の宮殿)は進化し、シーズン3では自分の奥深くにある感情を喚起する役割を担っていました。時には無意識の感情こそが、最も論理的な場合があるのです。

あなたの知らない脳──意識は傍観者である』の著書であり神経科学者のデイヴィッド・イーグルマン氏は、“無意識”の役割をこう評しています。

「あなたの内面で起こるほとんどのことがあなたの意識の支配下にはない」

「ピアノの鍵盤のどこに指が跳ぼうとしているのか、じっくり考え始めると、曲をうまく弾けなくなってしまう」

ホームズの場合であれば、“考えるということについてきちんと考えるまでもなく、自動的に考える”状態であると、マリア氏は習慣のもつ偉大な力に触れています。ホームズは原作の中で度々ワトソンに指南していますが、そこで語られる教訓をホームズが言うような“第二の天性”へと仕上げるには、膨大な訓練の時間が必要なのです。

「ホームズはこれを“直観力”と呼んでいる。ホームズがもつ正確な直観力は、長い時間に及ぶ訓練に基づいた、必要に迫られたものである」

「ホームズがしたのは、ホットがクールになることや、反射的行動が内省的行動になる過程を明確に分析することである」

その核となるのが、“脳という屋根裏部屋”です。シャーロックの言葉で言えば、「ハードディスク」。つまり“新たに情報を取り込むごとに、古いものは立ち消えていく。したがって、情報を選択する必要がある”という意味です。しかしジョンは、「シャーロックは数秒で全てを見抜く。しかし、いくつかのことには彼は見事なまでに無知である」と、地動説を知らないことへ驚きを見せました。

原作同様、いとも簡単にあしらわれてしまった地動説。ですがこのためにガリレオ・ガリレイを巡り、壮大な悲劇が生まれています。1610年に刊行された「星界の報告」によれば、万物の中心は地球ではなく、宇宙の中の小さな“地球が回っている”のだと言います。こう主張したガリレオでしたが、1633年、カトリック教会の異端審問によって持論は打ち砕かれてしまいました。人間の権威を失墜させる考えだと人々が恐れたためです。

しかし今となっては疑いようのない地動説。ガリレオ以外にもこの事実に気付いている人たちがいました。それより前にもいたでしょう。しかし人は新しいことを恐れるもの。それでもこのような転換を受け入れるべきだと、デイヴィッド氏は語ります。

「人類は確かだと信じていたものを失い、自己中心に考えることができなくなったが、その代わり、宇宙における自分たちの立場について畏怖と驚異を感じることになった」

「もしあなたが宇宙科学にそそられるなら、脳科学で起きていることに心の準備をしてほしい。自分は自分の中心にいるという思い込みが打ち砕かれ、もっとはるかに壮大な宇宙がはっきり見えるようになりつつある」

シーズン4第1話『六つのサッチャー』において、シャーロックはチクチクする親指に端を発し、水面下で思考する直感に信頼を置いています。時に非合理とも思えるこのアプローチですが、『シャーロック・ホームズの思考術』でも原作におけるホームズのこの側面に多くのページが割かれています。事件に行き詰まればパイプを吸い、調査が済めばコンサートへ赴き、そのほか散歩にバイオリンと、論理的思考の権化というイメージからは程遠い、ホームズの“柔軟で芸術的”な側面をこそ、重要視しています。自分の思考を管理できるという意識を手放した時、デフォルト・モード・ネットワークと呼ばれる脳の領域が躍動し、奥深くに眠る答えにアクセスできるようになるのです。

スカーレット・ヨハンソン主演の『LUCY/ルーシー』(2014)という映画において、脳の機能を極限まで高めた主人公・ルーシーは、世界の真実について、次のように語っています。

「人間は自らをユニークな存在だと思い、それを理論の根拠にしてる。モノを測る単位は1。でも違う。人間が作り出した社会システムは、単なる概念よ。1+1は2だと思ってるでしょ。1+1は決して2じゃない。数字も文字も現実には存在しない」

「人間は自分たちの頭で理解できるように、物事を単純化する。無限の恐ろしさを忘れたくて、簡単な尺度を考え出した」

この作品における極限の覚醒については、ルーシーが感情を抑えているためだと説明がなされていますが、同じく脳領域の完全な覚醒を描いた『ラザロ・エフェクト』(2015)では、脳領域が目覚めようとも、本人が生まれ持った性格は不変であると描写されています。それゆえに暴挙に出る主人公に対して、『LUCY/ルーシー』ではより大多数の人類のため、自らを抑制する主人公・ルーシーの姿があります。ルーシーの選択は、感情の抑制なのでしょうか?

感情には、種類があります。自分の中には複数の自分が存在し、場面によって枝分かれしているとは考えられないでしょうか。

『スタンフォードの自分を変える教室』の著者であり神経科学者のケリー・マクゴニガル氏は、「脳は一つでも「自分」は二人いる」と言います。人類の進化の過程においては、全てが様変わりしたのではなく、必要性に応じて追加された能力があるに過ぎないのだと。つまり「かつて役に立っていた本能は、人類が進化した今もそのまま残っているということ」なのだそう。

このように考えると、ルーシーは人間性を失ったのではなく、むしろ新たな人間の在り方──より大多数のための自己犠牲という、何より尊い感情を実現しているということになります。そのために喜怒哀楽を抑制したとして、それは感情と決別したことにはならないのです。

シャーロックは感情的なの。朝食がないと冷蔵庫に空手チョップ」というシーズン4第2話『臥せる探偵』におけるハドソン夫人(ユーナ・スタッブス)の言葉も印象的です。そう、「シャーロックに火を付けるのはパズルではなく、ドラマ」なのです。

感情はしばしば、論理的思考の敵とされ、排除することがより公平な判断に繋がると思われがちです。しかし、公平な判断を心掛けるのもまた、感情的であるがゆえ。人は、感情から逃れられないのです。もし感情を抑圧したならば、論理的思考に熟達するどころか、脳の機能を低下する危険性さえ招いてしまいます。

シャーロックを阻む二つの壁

シーズン4で明らかになったのは、シャーロックには重大な記憶障害があるという事実でした。シャーロックの場合は、別人格を用意し、逃れたい葛藤を自分と解離させる、いわゆる“解離性健忘症”であると考えられます。

記憶障害

マット・デイモン主演の『ボーン・アイデンティティー』(2002)以降のシリーズにおける主人公ジェイソン・ボーンは、抱えきれない葛藤の末に身体感覚を除いた自分にまつわる一切の記憶を失ってしまいました。シリーズにおいては、その失われた記憶を求め、残された格闘術と冷静な思考を武器に世界中を渡り歩く、ボーンの姿が描かれています。

シーズン4で明かされたシャーロックの真相は、まさしくこれに当たるのではないでしょうか。「無意識の葛藤」の末、「自己防衛のメカニズム」が働いた可能性があると考えられます。ボーンの場合は、「選択性の健忘」であると精神科医のリーフ・カリム博士は診ています(『ボーン・アイデンティティー』特典映像「ボーンの症状」より)。シャーロックも同様に、兄のマイクロフト(マーク・ゲイティス)や両親の記憶は正確に残っています。

そして何より大事なのは、シャーロックに出会いが訪れたことです。ボーンは逃避行の過程で、一人の女性と出会います。その女性、マリー(フランカ・ポテンテ)はボーンにとって大事な人となりました。「彼にとって、マリーの存在は大きい」と、リーフ博士はその出会いを評しています。

「彼は暗殺者だった。だからもし愛する対象がいなかったら、新しい自分を見出すのに、もっと苦しんだはずだ」

「この映画で彼は感情を取り戻す旅に出る。そしてついに、愛に目覚めるんだ」

あるいはこれを、ジョン・H・ワトソン(マーティン・フリーマン)の人生における、“シャーロックとの出会い”と見ることもできます。シーズン1での出会い──マイク・スタンフォード(ディヴィッド・ネリスト)が“二人を引き合わせた”ことによって、現代に蘇った探偵と兵士の、“感情を取り戻す旅”が幕を開けたのです。

しかしその道のりは平易ではありませんでした。彼らを取り巻く生活環境は19世紀のものとは異なります。様々なルールに溢れ、多種多様な人間関係の肯定をより強く迫られる現代において、彼らの自分を取り戻す旅には、常にアイデンティティの問題が付きまといます。原作の二人であれば難なく突破できるはずの幾多の障壁を前に、我を失い、運命を呪い、友の悲しみに自分を見出していく姿が痛ましい程に描かれていました。

強迫性障害

『SHERLOCK/シャーロック』シリーズにおいて顕著な二人の精神状態として、しばしば“幻覚や幻聴”が登場しています。シーズン3においてシャーロックの思考に、幾度となくマイクロフトが登場します。シーズン4ではジョンを監視する存在として、メアリー(アマンダ・アビントン)が常に傍に居ました。当然、人生のある時点での経験に基づいた、シャーロックとジョンの主観に他ありません。しかし彼らにとっての架空の二人は、絶対的な支配性を有しているのです。

ナタリー・ポートマン主演の『ブラック・スワン』(2010)では、主人公のニナが、絶えず実体のない強迫観念に苦しめられる様子が描かれていました。自分以外のすべての人間が“敵に見え”、母親(バーバラ・ハーシー)の存在がいつ何時も付きまとう恐怖を、スリラーとして描いた本作。その特徴は、“何が客観的事実で、何がニナの主観なのか”が信用できないという点にあります。クライマックスのあの瞬間に“なぜ母親があの場所に居たのか”という問題に関しても、様々な見方があるでしょう。ここでは一歩踏み込んで、“ニナの母親は実在したのか”という点で考えてみます。

母親のエスカレートする過干渉に対して、「もう12歳じゃない」と反論するニナ。この発言の解釈としては、12歳の時と変わらない母娘関係が続いているというのが自然ですが、一歩踏み込んで、“ニナ自身が12歳の自分に縛られている”という解釈も可能なのではないでしょうか。何より、“物理的に不可能な場所を出入りした登場人物”が描かれているのですから、母親だけが常に実像とは言い切れないからです。つまり、“ニナは一人暮らしである”という解釈です。

シーズン3第3話『最後の誓い』では、シャーロックの“脳内マイクロフト”に叱られていたのは、幼少期のシャーロック自身でした。つまり、シャーロックにとっては幼少期の兄の教えが今も絶対なのです。このような“幼少期に縛られた自意識”が、ホームズ家の子供たちを大人になった今も支配している様子が、何度となく見受けられます。

そしてジョンは、そのことに一切気付くことなく、彼らの人生に誘われていくのです。ジョンの病理をシャーロックは分析し、ジョンが“危険を何より欲している可能性”に思い至ります。反対にジョンは、シャーロックの病理を情熱へと置き換え、“役者としてのシャーロック・ホームズ”に価値を見出しています。

Prelude to Canon~兵士たれ、シャーロック~

自分でも気付かない自分像や、分かっていても逃れられない自分像と闘うことで、二人は徐々に“あるべき姿”──“原作の二人”へと近付いてきました。『SHERLOCK/シャーロック』シリーズが描き続けてきたのは、“当事者としてのシャーロックとジョン”です。しかし原作の二人──ホームズとワトソンは常に第三者に徹し、あくまで依頼人の人生に寄り添う役割を演じ切っています。

そんな二人の師に近付くための、シーズン1からシーズン4の物語において、シャーロックの依頼人は“他人”、“自分”、“親友とその妻”、そして“家族”へと進化を遂げていきました。シーズン4でついにマイクロフトの依頼を受けることになるシャーロック。誰よりも大人であり、常に家族を正してきたのは実はマイクロフトではなく、シャーロックだったことが明らかになります。

家族の中で最も普通の偉大な男は、普通であるがゆえに、天才と凡人の世界を行き来し、市井の人々の問題を解決する“探偵”を仕事に選びました。彼の最大の興味は、人間なのです。シーズン3で感情を肯定し、シーズン4では天才肌たる自分を否定されても、素直に自分を出し切ることに成功したシャーロック。そして、普通の人間であるという自負から離れ、“兵士たる生き方”に目覚めていくジョン。そうなればもはや、メアリーが言うように、「二人がどんな人間かはどうでもいい」のです。

「大切なのは伝説。物語。冒険」

「絶望し、愛されず迫害を受けた人間が、最後に逃げ込める場所がある」

「誰もがお手上げでも、むさくるしい部屋で議論をかわす二人の男が居る」

「私の知る最も善良で賢い男たち」

それこそが、“自分たちの物語”を終え、持てる全ての情熱を他者へ向けることのできる世界最強の探偵と兵士──シャーロック・ホームズとドクター・ワトソンの、物語の幕開けなのです。

Eyecatch Image: Martin Freeman Benedict Cumberbatch while filming “Sherlock” / Saschaporsche ( https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Martin_Freeman_+_Benedict_Cumberbatch.JPG )

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Comments

  • うん、で? 2017年7月30日 at 2:50 PM

    長々と書かれている割に「うん、で?」 って感じになる原稿。引用や例示に富むのは結構ですが、けっきょく何が言いたかったんですかね?

    Reply
    • Afort 2017年8月9日 at 8:38 PM

      ご指摘ありがとうございます。
      “原作のホームズは19世紀の最先端だったので、シャーロックの場合は21世紀の脳科学や神経科学を超えていく必要があるのではないか”、というテーマでした。
      でも完成した記事のテーマは、“シャーロックとジョンが、原作のホームズとワトソンになっていくのが『SHERLOCK』シリーズだったのではないか?”、という感じになっています。
      せっかくの引用を伏線として回収できず、出発と結論で違う話になってしまったかもしれません。

      Reply