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【解説】『SHERLOCK/シャーロック』は何を描いてきたのか ― 「推理の科学」のその先へ

SHERLOCK/シャーロック
Martin Freeman Benedict Cumberbatch while filming "Sherlock" / Saschaporsche ( https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Martin_Freeman_+_Benedict_Cumberbatch.JPG )

【注意】

この記事には、ドラマ『SHERLOCK/シャーロック』シリーズ、映画『ボーン・アイデンティティー』『ブラック・スワン』のネタバレが含まれています。

2017年、イギリス・BBC制作のドラマシリーズ『SHERLOCK/シャーロック』が、シーズン4で一応のファイナルを迎えました。原作小説『シャーロック・ホームズ』シリーズの舞台を、“19世紀から現代へ移した”中でも変わらぬ魅力を放つホームズとワトソン改め、“シャーロックとジョン”の物語に、多くの人々が心を打たれたことと思います。
しかしそのことで、ある問題が人知れず発生していたのをご存知でしょうか? “21世紀を生きるシャーロックの頭脳には、現代科学の範囲が及んでしまう”という問題です。

原作小説の第1作『緋色の研究』において、ホームズは“推理の科学”を提言しています。“観察力の豊かな人間は、日常生活で遭遇するすべてを的確に系統的に観察することによって、実に多くのものを学びうるものだ”。そして“論理的思考の持ち主は一滴の水を見ただけで、大西洋やナイアガラの滝を実際に見たり聞いたりしたことがなくても、それが存在することを言いあてることができる”のだと。

ですが21世紀の現代において、ホームズが提唱した“推理の科学”は、心理学や神経科学によって説明が可能となっています。
TEDカンファレンスにおける様々な専門家のプレゼンテーションなどをいくつか合わせれば、ホームズの能力を説明することができてしまいます。ダニエル・カーネマン(心理学者・行動経済学者)は意思決定において人々が陥りがちな盲点を突き、エリザベス・ロフタス(認知心理学者)は記憶を再生する困難さを語り、ミハイ・チクセントミハイ(心理学者)は速やかで適切な思考を“フロー状態”として捉えています。

これら著名な各分野の専門家たちの見解を交えながら、ホームズのアプローチを一冊にまとめた学術書『シャーロック・ホームズの思考術』(著:マリア・コニコヴァ 、翻訳:日暮雅通 、早川書房)はホームズの「説明、手法、思考に対する取り組み方全般は、彼の誕生後一〇〇年以上もあとに起きた心理学と神経科学における発展を予言していた」と、その先見性について見ています。

ここで、“シャーロック(ベネディクト・カンバーバッチ)の生きている世界には、シャーロック・ホームズは存在しなかったのか”という疑問が湧いてきます。現代科学に立証され尽くしたシャーロックの能力は、もはや“シャーロック・ホームズとして提唱する”必要のない理論だからです。

シャーロックは独学なのか?~“推理の科学”のその先へ~

より賢い選択をすることが“なりたい自分への普遍的な第一歩”であるならば、その手法は限りなく自己啓発に近いものということになります。では、誰もが容易く実現できるものなのでしょうか。『シャーロック・ホームズの思考術』の著者であり心理学者のマリア・コニコヴァ氏は、それを前向きに否定しています。

現代人はホームズが生きていた時代よりも困難な環境に生きているとマリア氏は語ります。インターネットが普及し、スマートフォンによって覆い尽くされた人々の生活圏は騒音に満ちており、かつてホームズが実現し得た集中力を行使するのは難しいと。シャーロックが生きているのはまさにそのような時代。シーズン2ではマスコミの煽りを受け、シャーロック自らが事件の当事者となってしまう代償が描かれたほどでした。現代を生きるシャーロックは、このように様々な角度から存在意義を揺さぶられ、シーズン4ではついに、その能力が決定的に地に落ちることになります。

さらに近年では、論理的思考からダイエット、禁煙に至るまで、ありとあらゆる自己変革には意識することで遠ざかる“皮肉なリバウンド効果”のあることが分かっています。または“シロクマ効果”と呼ばれる、“考えないようにすると考えてしまう”という現象です。禁煙によるストレスのはけ口は、“喫煙”なのです。

『スタンフォードの自分を変える教室』(著:ケリー・マクゴニガル 、翻訳:神崎朗子、大和書房)の著者は、この現象を回避し、善意の抑圧によるさらなる悪化を防ぐためには、“コントロールを手放す”という新しい尺度での“自己コントロール”を定義する必要があると提言しています。すなわち、現代における“推理の科学”、ひいては“シャーロック・ホームズたる生き様”には、21世紀であるからこそのさらなる鍛錬が課せられているのです。

原作にはワトソン以外にホームズを分析する者は現れませんが、『SHERLOCK/シャーロック』にはシャーロックを研究するシャーロッキアン集団“空の霊柩車”が登場しました。様々な個人ブログやTwitterによって動向が露呈する時代を生きるシャーロックには、手法がどれほどありふれたものであっても、実践者としての出自や性格をも含んだ、より大きな視点でのチャレンジが伴うことが分かります。その意味でシャーロックが向き合っているのは、普遍的な思考法に加え“自分という存在”を探求することであり、そして『SHERLOCK/シャーロック』が描き出したのは、これから100年後に立証されるであろう、一人の男の“成長の科学”なのです。

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