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「SHOGUN 将軍」ロスなら観たいオススメ映画プレゼン ─ 『ラスト サムライ』『47 RONIN』『沈黙 -サイレンス-』また違った印象に?

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「SHOGUN 将軍」全10話がついに配信され、完結を迎えた。毎週火曜日のディズニープラスでの配信を楽しみにしていたファンの中には、すっかり「SHOGUN 将軍」ロスに苛まれている方も多いことだろう。

SHOGUN 将軍
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「SHOGUN 将軍」はリミテッド・シリーズであり、残念ながらシーズン2もない模様。これから何を観ればいいの?という方に向けて、しばらくの間寂しさを埋めてくれる映画作品3作を紹介する。「SHOGUN 将軍」と同じように日本を舞台とするハリウッド時代劇で、真田広之や浅野忠信といった「SHOGUN 将軍」キャストも出演している。

3作とも有名な作品なので、もう鑑賞したことがあるという方もいるだろう。ところが、「SHOGUN 将軍」を観終えた後に久々に再鑑賞してみると、ずいぶん違った印象が得られて面白いものだ。ぜひ参考にしてほしい。

『ラスト サムライ』(2003)

真田広之を世界に開眼せしめた、ある意味「SHOGUN 将軍」の原点。この作品を機に真田はハリウッドにおける日本人の苦労に対峙するようになり、約20年に及ぶその取り組みの大部分が「SHOGUN 将軍」で報われることとなった。

ということで、どれだけアメリカナイズされていたんだっけと観返してみると、意外にもすんなり没入できる。ラストシーン、全ての侍たちが鬼神と化しての合戦シーンは、今観ても、何度観ても見応えがある。

『ラスト サムライ』の舞台は明治維新後の日本なので、「SHOGUN 将軍」で吉井虎永(=徳川家康)が築くことになる江戸の直後だ。史実にインスパイアされた架空の日本史であるという点は、「SHOGUN 将軍」同様である。

時代考証にそぐわない描写はあるし、武士道の在り方が誇張されている部分も、もちろんある。トム・クルーズが演じるキャラクターが主人公なので、白人主体の救世主もののような部分もある。「ここが正しくない」と指摘することはいくらでもできると思うが、しかし今となっては、評価したい部分の方がずっと大きい。

トム・クルーズによる主人公のキャラクター性も巧妙だ。彼が演じたアメリカ士官ネイサン・オールグレンは南北戦争で先住民たちの虐殺を強いられたことで深刻なPTSDを患っている。彼のアメリカ人としての魂は南北戦争の時にすでに死んでおり、もはや戦場の亡霊と化しているのだ。無となって辿り着いた日本の地では侍としての二度目の生を授かるように描かれる。「SHOGUN 将軍」の按針よりもニュートラルと言えるだろう。

日本人のキャラクターは日本人が演じており、時代劇や武士道の美徳をできるだけ守っている。「SHOGUN 将軍」に欠けていた要素を補うようなところもあるので、「SHOGUN 将軍」ロスを感じているなら、まず『ラスト サムライ』を改めて鑑賞するのがオススメだ。

真田広之は、渡辺謙演じる勝元盛次(西郷隆盛がモデルとされる)に仕える侍、氏尾役を演じた。気高き侍の誇りを漂わす無骨な男で、異国人オールグレンと衝突するが、やがて同じ戦場を駆ける魂の同志となる。

渡辺謙の迫力も見事なのだが、真田はただ一人、明らかに傑出した存在感を放っており、まるで虎永の全盛期を見ているよう。ラストの合戦シーンでは、彼の姿が主役トム・クルーズ以上にカッコよく撮れてしまったためにカットされたという逸話も残っているほどだ。

プロデュースも務めた「SHOGUN 将軍」で真田は、自分の出番がない日でも常に現場で目を光らせ、細かな考証や修正を全て行なっていたとのエピソードが広く伝えられたが、『ラスト サムライ』でも同様に、撮了後もLAに残り、スーパーバイザーとしてポスト・プロダクション作業に参加していたそうだ。「日本文化がわかるスーパーバイザーが他にいなかったからです。だから私が全てのセリフや背景CGIをチェックしました。6ヶ月ずっと一緒にいました」と、真田は『ブレット・トレイン』(2022)時の海外イベントで語っている。

「それから、LAに移る決意をしました。言語や市場の問題があって、当時は東洋と西洋の間に大きな壁があるように感じました。壁があるなら、私が自分たちの代のうちに破壊して、次世代のための架け橋を作りたい。それが重要な使命だと思いました。日本にいてはそれができない。だからLAに行こうと。2005年、44歳のことでした。」

「SHOGUN 将軍」架空日本史のその後を描いた物語でもある。もうひとつの「SHOGUN 将軍」として観直してみると、これまでとは違う面白さが発見できるはず。

『47 RONIN』(2013)

ハリウッド製トンデモジャパンの究極形として、公開時はあまり真剣に捉えられなかったファンタジー忠臣蔵映画。「将軍 SHOGUN」と同様、ほぼ日本人キャストで製作されたハリウッド時代劇だ。時代考証を徹底した「将軍 SHOGUN」に対して、言わば“逆「将軍 SHOGUN」”である。

天狗に育てられたカイという架空の異国人が四十七士に加わっていたという新解釈・忠臣蔵。主演はキアヌ・リーブスとされているが、物語の中盤以降は事実上、真田広之が主役級の立ち回りを見せる。悪役を演じるのは浅野忠信だ。浅野忠信は劇中で浅野家と戦うという、大変ややこしいことをしている。ほか、田中泯や柴咲コウ、菊池凛子、赤西仁らが出演。

「SHOGUN 将軍」がこうなるまいと誓ったであろう、間違ったジャパン像が惜しげもなく舞い踊る珍作。『ファンタスティック・ビースト』魔法ワールドの日本時代劇版のようなマジカルな世界観や、登場人物全員が英語で喋っているのは、まあ外国製のファンタジー時代劇なのだから良いとして、やはり目に余るのは衣装や美術だろう。特に第一幕では中国やモンゴルのそれと混同されており、見る人が見れば噴飯ものの見栄えとなっている。また、ファンタジー要素でシュガーコーティングしすぎたせいで、本来の忠臣蔵が持つ誇り高き美徳は原型を失っている。

この映画は真田広之がいなければ、もっと悲惨なことになっていたかもしれない。どういうわけか、真田広之主体パートに移ってからは珍妙奇天烈な美術も随分とマシになり、所々ではそれなりに時代劇らしいルックを獲得している。しかし、せっかく起用されたキアヌ・リーブスは平面的なキャラクターを演じており、『ラスト サムライ』のトム・クルーズと渡辺謙のようなダイナミズムには至っていない。全編を覆う人工甘味料に対し、真田広之はほとんど単独で時代劇らしい渋味を注入して、中和しようと試みているのだが……。

日本でも海外でも期待したほどの成績を挙げられなかった理由の一つには、英語での演技に慣れていない多くの日本人俳優たちのセリフ回しが明らかに単調で、VFXを多用したカラフルな映像に対してキャラクターたちが退屈に映ったことがあるのかもしれない(キアヌ・リーブスも割と淡々と演じるタイプの俳優だ)。

そこで吹替版で観るとどうか。実はこの作品、主要な日本人キャストは基本的に全員が自分で日本語吹替を担当しており、こちらでは誰もが活き活きとしている。むしろ『47 RONIN』は吹替版こそが真骨頂。特に「SHOGUN 将軍」後に改めて鑑賞すると、真田広之や浅野忠信のお馴染みの息遣いに安心する。ファンタジー解釈が加わった時代劇も、これはこれで新鮮ではないかと、独特の魅力が漂うようになる。

(余談。赤西仁は真田の息子役で、基本的には使い走りとして物事の成り行きを見守るだけなのだが、揺れる瞳で下唇を噛み締めるようなアップショットがやたらと抜かれており、『ラスト サムライ』における小雪のような麗しのビジュアル要素を柴崎コウ以上に担っている。)

「SHOGUN 将軍」や『ラスト サムライ』のような硬派な作品とは全く趣は異なるが、真田広之&浅野忠信の活躍のために吹替版で観ると、なかなか楽しい。エンタメとして、ツッコミを入れながら気楽に鑑賞するのがオススメだ。

『沈黙 -サイレンス-』(2016)

「SHOGUN 将軍」第1話と第2話で弾圧されていた“蛮人”ジョン・ブラックソーンのパートが2時間半続くような映画。流石に釜茹ではないが、それに相当する肉体的・精神的な拷問がいくつも登場する。割とコミカルなところも多いはずのマーティン・スコセッシ監督だが、今作はファニー要素ナシ、音楽もほぼナシで全編真顔。重い映画なので気楽に観られる映画ではないが、特に日本人にとって鑑賞価値は高いので、未見の方は少しずつでも観進めて。

原作は遠藤周作の『沈黙』。「SHOGUN 将軍」より後となる江戸初期の日本を舞台に、来日してくる宣教師セバスチャン・ロドリゴの受難を描く。「SHOGUN 将軍」の戦国時代ではプロテスタント(英国)とカトリック/イエズス会(ポルトガルとスペイン)が対立していたことを学んだが、『沈黙 -サイレンス-』でアンドリュー・ガーフィールドが演じる主人公はポルトガルからやってくるイエズス会の人間である。

ロドリゴは、尊敬する大先輩の神父(リーアム・ニーソン)が日本で棄教したと聞き、そんなバカな、日本で何があったんだということでやってくる。「SHOGUN 将軍」でイエズス会の宣教はある程度成功していたが、その後の史実で徳川家康はキリスト教信仰を禁じる。『沈黙 -サイレンス-』の頃には、日本のキリスト教信者たちはいわゆる「隠れ切支丹」となっていた。

「SHOGUN 将軍」でジョン・ブラックソーンたちが捕えられていたのと同じように、本作のロドリゴたちも侍たちに捕まり、隠れ切支丹は厳しく弾圧され、酷い形で処刑されたり、いきなり刀で斬首されたりする。イエスの教えに基づき、日本人を“真理”に導こうとする使命を帯びてやってきたロドリゴたちだが、異文化や異教を徹底的に排除する当時の日本に苦しめられ、魂を削られ、やがて「なぜ神は沈黙しているのか」と問う。その先にロドリゴが辿り着いた、想像を絶する境地とは?

日本は沼地なのであり、外から持ち込んだ苗を植えても育たない、とする劇中の指摘や、日本人はキリスト教を誤解しており、信条ではなく、形ある偶像を崇拝したがるというセリフに、なんだかハッとさせられる。西洋の進歩主義を押し付けるイエズス会側と、残酷な形で弾圧する側の島国の村社会。そうした恐ろしさの炙り出し絵のような映画だ。

「SHOGUN 将軍」で薮重を演じた浅野忠信が出演。一見話の通じる通詞として、主人公と奉行の間を穏健に取り持つような風を見せながら、実際にはゴリゴリの弾圧側として迫ってくる。「SHOGUN 将軍」第1話の処刑シーンで見せたような、サイコパス的に怖い浅野忠信をたくさん見ることができる。

基本的には外国目線の時代劇だ。「SHOGUN 将軍」を観た後だと、日本人キャラクターの多くがやたら英語を話す点が気になるだろう。一方、アクション作品ではないので、ニンジャが出てきたり、派手すぎるチャンバラが出てきたりすることもなく、極めて自然派の作風。日本公開時の記者会見で語られたところによれば、スコセッシは時代考証にかなり気を遣ったそうだ。一方で本作は台湾で撮影されており、浅野は「SHOGUN 将軍」同様「日本で撮影すべきだった」と、この点のみ心残りの様子である。

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Writer

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中谷 直登Naoto Nakatani

THE RIVER創設者。代表。運営から記事執筆・取材まで。数多くのハリウッドスターにインタビューを行なっています。お問い合わせは nakatani@riverch.jp まで。

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