【レビュー】エンターテインメント性に溢れた『スノーデン』に感じる監督の余裕

既に公開からしばらく経ってしまってはいるが、オリバー・ストーン監督作品『スノーデン』について書こうと思う。
『スノーデン』はタイトルの通り、2013年にエドワード・スノーデンがアメリカ国家安全保障局の機密情報を暴露した事件を扱った作品だ。
完全に個人的なイメージなのだが、実在の人物(しかも存命)を扱った作品というのは、往々にして美化されていたり、歯に何かが詰まったような描き方がされていたりで満足度が低いという思い込みがあったため、本作には大して期待していなかった。こうして「ま、時間が合うのこれしかないし、これでいいか」程度のテンションで臨んだわけだが、意外にも(失礼)かなり楽しめた。
映画『スノーデン』は、ドキュメンタリータッチな作品でも、硬派な作品でもなかった。思いっきりエンターテインメント作品に仕上がっていたのだ。誤解を受ける表現かもしれないが、全体的にかなり”嘘くさい”雰囲気でつくられている。やりすぎではないかと感じる部分もあるほどで、まるで虚言癖のある子供の話を聞いているような感覚に陥った。そして、だからこそ面白かった。
【注意】
この記事には、『スノーデン』に関するネタバレ内容が含まれています。
—–
—-
—
—
–
暴露パートは硬派なタッチ
『スノーデン』は、スノーデンが香港のホテルでガーディアン紙の人間と接触するところから始まる。細心の注意を払いながら、慎重に進められていくスクープ計画。映画は香港のホテルの一室を起点として、スノーデンが歩んだ9年間の軌跡を振り返りながら進んでいく。
香港パートは、『スノーデン』の中で最も硬派に描かれている。情報の真偽、スクープのタイミング、開示の手順などが細かく議論され、緊迫感が伝わってくる。「ああ、実際もこういう感じだったんだろうな」と思わせるリアリティがある。香港パートがリアルだからこそ、過去パートの何ともいえない眉唾感が際立つのだ。
どこか記号的な恋人の存在
スノーデンの9年間。その傍らには、常に恋人リンゼイがいた。スノーデンは愛国主義者。入隊したものの、怪我により除隊。CIAの採用試験を受け合格する。そして、怪我で入院していたときにネットで知り合ったリンゼイとデートをし、2人は交際を開始する。
典型的なリベラルであるリンゼイと、ゴリゴリの保守であるスノーデン。最初のデートで2人の立場は対立する。そして、この対立こそが2人が恋に落ちる瞬間だった。この時点から、リンゼイの存在は記号的に機能していく。スノーデンがどこに赴任しても付いていくリンゼイ。スノーデンが業務内容を秘密にしても、なにかに怯えていても、寄り添い続ける恋人。途中で離れていくものの、戻ってきてくれるパートナー。
リンゼイはスノーデン以外の人とほとんど関わらない。パーティに参加するシーンや、家族と一緒にいるシーンは僅かながらあるものの、彼女は基本的にひとりだ。不自然なまでに孤立していて、本心がよくわからない。最終的に「リンゼイはスノーデンの妄想の産物でした」と言われても、きっと納得してしまうだろう。彼女は、やじろべえの片方の先のように、スノーデンの正義感や正気を保つためにバランスをとる存在であり、各段階でのスノーデンの心境を吐き出せる場所として機能している。
リンゼイは実在しているので、もっと深く人間性を描くこともできたはずだ。しかし、『スノーデン』ではそうしていない。不自然なまでに”自然体キャラ”として描かれているリンゼイは浮いていて、かえって無機質に感じられる。リンゼイがいることで、映画全体から『ビューティフル・マインド』のような不気味さを感じずにはいられない。
誇張されたディテール
ほとんどの撮影がアメリカではなくドイツで行われたという事実からも、『スノーデン』を製作するにあたっては様々な脚色が必要だったであろうことは、想像に難くない。問題は、脚色の仕方がひどく極端だということだ。クライマックスに向かうにつれて、段々と脚色度合いは強まっていく。
CIA職員としてスイスに赴任したスノーデンは、CIAやアメリカ政府のやり方に疑問を抱いて退職する。その後は民間会社からの出向という形でNSA(アメリカ国家安全保障局)で勤務することになのだが、そこでもアメリカ政府にとって重要なシステム構築などに携わっていくスノーデン。そもそも、途中でCIAを辞めて出向の立場になっているにも関わらず、ここまで重要な役割を担うことができるものなのか?という素朴な疑問を抱きつつ、私は不穏さを増していく展開に目が離せなくなっていった。そして、いよいよスノーデンが情報持ち出しを決意するに至る段階にさしかかると、スクリーンには誇張された表現が次から次へと登場するようになる。
- <
- 1
- 2