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スティーブン・スピルバーグ『ハリー・ポッターと賢者の石』監督計画、一本かぎりのアニメ化構想だった

スティーブン・スピルバーグ
Photo by Gage Skidmore https://www.flickr.com/photos/gageskidmore/35355058574/

J・K・ローリングによる世界的ベストセラー小説『ハリー・ポッター』シリーズは、『ホーム・アローン』(1990)のクリス・コロンバス監督によって、『ハリー・ポッターと賢者の石』(2001)で映画化を果たした。ところが数々の映画化企画と同じく、本作もまた実現までには紆余曲折があったことで知られる。

なにしろ、もともと監督として白羽の矢が立っていたのは『インディ・ジョーンズ』『ジュラシック・パーク』シリーズなどをすでに手がけていたスティーブン・スピルバーグ。当初はシリーズ全作品の実写映画化ではなく、原作数本のストーリーをまとめた一作かぎりの映画を、しかもアニメーションで作ろうとしていたという。ハリー役には『シックス・センス』(1999)のハーレイ・ジョエル・オスメントが挙がっていた。

『賢者の石』公開後の2010年、当時ワーナー・ブラザースの会長を務めていたアラン・ホルン(現ウォルト・ディズニー・スタジオ会長)は、本作について「スピルバーグが撮るにふさわしい作品だと思った」と告白している。しかしスピルバーグとドリームワークスが提案したのが、原作をまとめてアニメ映画にするという案だった。これはピクサー映画の成功ぶりなどを鑑みてのアイデアだったが、ホルン氏は「我々はまとめた映画を作りたくはなかったし、実写でやりたかった」と振り返っている。

時を遡れば、スピルバーグが『賢者の石』を降板したと報じられたのは2000年3月のこと。理由は「創造性の相違」であり、スピルバーグの構想が原作者のビジョンと異なった、J・K・ローリングがハリー役にアメリカ人のオスメントではなくイギリス人を望んだとされた。もっとも、両者が激しく対立したという説についてはローリング自身が否定。「同意できたこと、できなかったことがありましたが、お会いできたことは光栄でした」と述べた

翌2001年9月、スピルバーグは『ハリー・ポッター』について「絶対に成功する企画に思えた。確実に10億ドル稼いでくるような作品だと。そこにチャレンジはないと思ったんです」話している。のちにスピルバーグは、脚本家のスティーブ・クローブスとともに約6ヶ月間の執筆作業を経ていたことも認めた。その後、2012年には「(当時は)子どもばかり出てくる映画は作れなかった」ともコメント「(降板を知って)僕の子どもたちは、僕がどうかしてると思ったようです。すでに原作は人気があったし、降りた時点で、すごく人気が出る作品だということはわかっていたから」と述べた。

『ハリー・ポッター』を離脱したのち、スピルバーグはオスメントを主演に起用したSF映画『A.I.』(2001)を発表。『ハリー・ポッター』は原作シリーズを1作ごと実写映画化するプロジェクトとして、『賢者の石』をコロンバス監督が手がけることになった。もっともJ・K・ローリングとプロデューサー陣は、コロンバスとスピルバーグ以外の顔ぶれにも打診していたようだ。

『未来世紀ブラジル』(1985)『12モンキーズ』(1995)などの鬼才テリー・ギリアムも、『ハリー・ポッター』映画化のオファーを受けたうちのひとり。ギリアム自身は「僕を選ぶのは間違いなかったと思う」と自信をにじませたが、実現には至らなかった。これは『ミッドナイト・エクスプレス』(1978)『エビータ』(1996)のアラン・パーカーに面会した際、「どうして僕のところに来たの? ギリアムがやるべき作品でしょ」とのアドバイスを受けたことによるもの。テリー・ギリアム版『ハリー・ポッター』、果たしてどんなことになっていたのか。

Sources: Collider, The Times, The Guardian(1, 2), Digital Spy, Entertainment Weekly

Writer

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稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。THE RIVERほかウェブ媒体、劇場用プログラム、雑誌などに寄稿。国内の舞台にも携わっています。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。

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