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マーティン・スコセッシ、スーパーヒーロー映画が「映画文化にもたらす危険性」を指摘 ─ 「我々は抵抗しなければ」発言の真意を読み解く

マーティン・スコセッシ
Photo by THE RIVER

2019年10月、『アベンジャーズ/エンドゲーム』の世界的ヒットから間もない頃に、巨匠マーティン・スコセッシが「マーベル映画は映画(cinema)ではない」と発言したことは大きな物議を醸した。「よくできているし、俳優も与えられた環境下でベストを尽くしているけれど、最も近いのはテーマパークだと思う」と語ったのだ。

あれから4年、スコセッシの危機感は変わっていなかった。英GQのロングインタビューで、スコセッシは再びスーパーヒーロー映画のありかたに警鐘を鳴らしている。フランチャイズ作品やコミック原作映画の氾濫を、彼は“映画文化に対する一種の危機”として捉えているのだ。

では、スコセッシの真意とはいったい何か。実際のところ、スコセッシは“映画(cinema)の定義とは?”という問題にはあまりこだわっていないように見える。むしろ本当の関心は、映画スタジオや映画館業界がスーパーヒーロー映画や大作フランチャイズ映画をどのように捉えているのか、それが映画文化にどのような長期的影響をもたらすかにあるようだ。

近年、新型コロナウイルス禍のために映画館業界が危機にさらされ、配信プラットフォームの台頭によって“映画”のあり方は大きく変化してきた。しかし、“このままでは映画館がなくなるのでは?”という疑問に対し、スコセッシは「今後も劇場はなくならないでしょう、人は物事を一緒に体験したいものだから」と楽観的。その一方で「映画館の側は、人々が行って楽しみたくなる、感動するものを見に行きたくなる場所にできるよう力を入れなければなりません」と語った。

その中で懸念しているのが、現在の映画館に氾濫しているコミック映画やフランチャイズ作品だ。「危険なのは、そのことが我々の文化に何をもたらすか。今後、“映画とはそういうものだ、そういう作品しかないんだ”と考える世代が出てくることでしょう」とスコセッシは語る。インタビュアーが「すでにそう思われているのでは」と口にすると、「それならば、我々はより強く抵抗しなければ」と力を込めた。

「(抵抗は)草の根レベルから始めなければならない、フィルムメーカーが自ら行わなければいけないものです。私たちにはサフディ兄弟やクリストファー・ノーランがいる……つまり、あらゆる角度から戦うんです。諦めずに、自分の実力を見せ、勝負し、改革し、そして文句は言わない。なぜなら、私たちは映画を救わなければならないからです。」

発言の背景には、大ヒットするフランチャイズ作品を、映画館と大手スタジオの両方が手放しにありがたがっている現状がある。その反面、スコセッシに言わせれば、いまやスタジオは「(フィルムメーカーが)個人的な感情や思考、アイデアを高予算で表現するのをサポートすることに興味がない。彼らはそういう作品を“インディーズ”と呼ぶ枠組みに押し込めた」のだ。

4年前、スコセッシはマーベル映画について「人間が他者に対し、感情的・精神的な体験を伝えようとする映画(cinema)とは違う」と語っていた。近年のスコセッシには、現在のスタジオや映画館業界が、作り手の「個人的な感情や思考、アイデアを表現する」=「感情的・精神的な体験を伝えようとする」作品、すなわち“cinema”と呼べる映画を軽んじているように見えているのだ。そして、フィルムメーカー主導の中規模映画が(興行的に成功しにくいがゆえ)不遇な扱いを受けることの多い現状を見るかぎり、それは少なからず正しい認識だろう。

もっとも今回、スコセッシは“映画(cinema)とはどういうものでもありうる。シリアスである必要はない”と言い、コメディ映画の名作『お熱いのがお好き』(1959)も映画(cinema)だと強調した。しかし、「工業的に生産されたコンテンツ(manufactured content)は映画ではない」とも述べ、自身のスタンスに4年前から変化がないことも明らかにしている。

挑発的な物言いに対し、インタビュアーが「あなたがそんなことを言う必要はないんですよ」と口にすると、スコセッシは「私も言いたくありません。しかし、それらは工業的なコンテンツなんです。AIが映画をつくるようなもので」と言葉を重ねた。「素晴らしい監督や特殊効果のスタッフたちが、そのなかで美しい作品をつくらないわけではありません。しかし、それは何を意味するのか。それらの映画は、人々にいったい何をもたらすのか」。

スコセッシが「マーベル映画は映画(cinema)ではない」と発言したのち、映画ファンのみならず、少なくない映画スターや監督たちが「マーベル映画も映画であり、芸術作品だ」と反論した。ところがスコセッシの視線は、個別の作品がどうであるかにかかわらず、スーパーヒーロー映画が、彼の言葉を借りるなら「工業的に」生産され、現在の映画文化に氾濫していること、その陰で何が起きているかということに向けられている。

フィルムメーカーたちが諸手を挙げて現在の流れを称えることは、長期的に映画文化のためになるのかどうか? 映画ファンはこの現状をどのように受け止めるべきか? スコセッシの問いかけと抵抗は、単なる“スーパーヒーロー映画批判”を超え、より大きな問題について考える契機となる。

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Source: GQ, Variety

Writer

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稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。THE RIVERほかウェブ媒体、劇場用プログラム、雑誌などに寄稿。国内の舞台にも携わっています。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。

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