【レビュー】『汚れたミルク/あるセールスマンの告発』が魂を揺さぶる理由とは?

魂を揺さぶる映画には条件がある。しかしその条件は複数存在していて、多くを語り出すときりがないから、ここでは一つだけに絞ってみる。それはリアリティーだ。観客が映画にリアリティーを感じる瞬間とは、人生の記憶の一片に刻まれた、現実に体験した衝撃の出来事にも等しい瞬間を映像から受け取ったときである。言いかえると、映画と観客の間に”ある共通認識”が生まれた瞬間ともいえる。劇中に描かれる物語や時代背景、登場人物の生い立ちや置かれている立場が自分たちと全く異なっていても、それは起こりうる。映画の魅力とは、そうした自分と自分以外の人が持つ、互いを無関係と思わせる世界のあらゆる障壁を容易に取り払ってしまうことにある。
ボスニア・ヘルツェゴビナを代表する巨匠、ダニス・タノヴィッチ監督が手がけた勇気ある一本、『汚れたミルク/あるセールスマンの告発』は、間違いなく魂を揺さぶる映画であると同時に、映画の登場人物たちとそれを観ている自分たちが決して無関係ではないと確信させる恐ろしいリアリティーに満ちた映画である。
『汚れたミルク/あるセールスマンの告発』あらすじ
本作では、パキスタンのある多国籍企業が作った粉ミルクを売る一人のセールスマンの孤独な闘いが描かれる。貧しい家族を養うため、国内でも有名な多国籍企業のラスタ社に粉ミルクを売るセールスマンとして入社したアヤン。数年後、彼はその有能な働きぶりが評価されトップ・セールスマンにまで上り詰めたが、ある日小児科医のファイズ医師からラスタ社の粉ミルクが原因で子供たちが次々と亡くなっているという事実を知らされる。それにショックを受け心底打ちのめされたアヤンは葛藤の末に、たった一人でラスタ社に粉ミルク販売中止を訴えるという無謀な闘いを挑むことになるが……。
名作『インサイダー』との共通点
巨大企業を告発した映画といえば、実話を基にしたアル・パチーノとラッセル・クロウが共演した『インサイダー』(1999年)が真っ先に思い浮かぶ。ラッセル・クロウ演じる、全米3位のタバコ会社B&W社の元研究開発部門副社長ジェフリー・ワイガンドが、自社の不正をCBS(アメリカ最大のテレビ・ラジオ・ネットワークを有する放送局)に告発したにも関わらず、CBS側がB&W社からの訴訟を恐れて告発の内容を改ざんし、むしろ告発したワイガンドの方がB&W社からの圧力によって窮地に陥るという、巨大企業を敵に回した者の苦悩を重厚な演出で描いた名作だ。
本作『汚れたミルク/あるセールスマンの告発』にも、『インサイダー』に見られたような巨大企業の圧力が情け容赦なく描かれている。アヤンが粉ミルクの販売中止を会社に訴え出ると、上司のビラルから服務違反だと脅迫まがいの警告を受け、しまいにはビラルに追われる日々を送る。それでもアヤンはラスタ社の粉ミルクについてWHOに通報するが、粉ミルクは医師を介して売られていたため、倫理違反の連絡を受けた医師たちはアヤンに冷たくあたる。さらに国もラスタ社と関係を持っていたため、ついに彼は拘置所送りになるのだ。絶望の淵に立った彼は深く苦悩する。『インサイダー』で巨大企業の圧力によって窮地に追い込まれ、失意の底に落ちたワイガンドの精神状態も、この時のアヤンに近いものがあったと思う。
しかし、ワイガンドもアヤンも信念を曲げることはなかった。二人には共通点があった。自身を支え奮起させてくれる人がいたのだ。『インサイダー』では、アル・パチーノ演じるドキュメンタリー番組のプロデューサー、ローウェル・バーグマンはそんな人物だ。バーグマンは、巨大企業の力を恐れてワイガンドの告発の内容を改ざんしたCBSに憤り、密かにワイガンドを励まして汚名返上に力を注ぎ続けた。『汚れたミルク~』でバーグマンの立場にあるのはアヤンの妻ザイナブである。妻や幼い子供たちの生活のために闘いを諦めようとしたアヤンに対して、ザイナブは「信念に背く夫は尊敬できない」と言う。ザイナブの強い説得によって再び闘う決意を持った彼の表情には並々ならぬ凄みがあった。
闘いを伝える者の苦悩
『汚れたミルク~』には、『インサイダー』のような巨大企業を告発する者の苦悩と復活の物語のほか、さらに本作独自の試みが成されている。それは、アヤンが体験したこの物語を映画にしようとする映画監督の物語を挿入していることだ。本作の冒頭から登場する映画監督のアレックスは、プロデューサーや弁護士、人権支援組織の職員と共にスカイプ越しでアヤンと話す。「君の体験を映画にしたい。しかし巨大企業を敵に回す内容だ。しっかり全容を知りたい。力を貸して欲しい」。
- <
- 1
- 2