ルーク・スカイウォーカーに何が起こったのか?俳優ジョセフ・ゴードン=レヴィットの『最後のジェダイ』評を読み解く

映画スター・ウォーズ/最後のジェダイ』では、銀河の英雄ルーク・スカイウォーカーは我々の記憶に眠っていた勇気と慈愛に満ちた健気さを忘れているように見えた。「ジェダイの終わりだ」──責務と運命に疲れ果て、オク=トーに隠れ住むルークは、伸びきった顎髭を気にもとめず、草臥れて薄汚れたローブに身を包んでオーガニックな生活をひとり営んでいた。

これは、『スター・ウォーズ』ファンの間で最も議論を呼び起こした”変化”のひとつだった。虚無に陥ったルークに人生の深みを見つけて感嘆する声もあれば、古くからの憧れだったヒーローの成れの果てに失望する声も聞こえた。一体ルーク・スカイウォーカーに何が起こったのか…、いや、ルーク・スカイウォーカーの迎えた運命は、『スター・ウォーズ』の世界に何を意味するのか?

『インセプション』(2010)『ザ・ウォーク』(2015)や『スノーデン』(2016)など、数々の良作に立て続けに出演する俳優のジョセフ・ゴードン・レヴィットはこの考察について、「新しくて古いスカイウォーカー(A New Old Skywalker)」と題した長文記事を自ら執筆、2018年1月17日付でブログプラットフォームのMediumに公開した。この記事でジョセフは、極めてフェアな立ち位置から、『最後のジェダイ』が巻き起こした問題点を的確に指摘している。

注意

この記事には、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』のネタバレ内容が含まれています。

スノーデン

『スノーデン』のジョセフ・ゴードン=レヴィット
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「あくまでもいち意見だ」

実に2070語にも及ぶこの長文記事のうち、ジョセフはその約4分の1にあたる513語を、自身の立ち位置を公平なものとする断りとして割いている。それもそのはず、ジョセフと『最後のジェダイ』脚本・監督のライアン・ジョンソンとは気心が知れた仲でもあるのだ。ジョセフは、ライアン監督作『BRICK ブリック』(2005)と『LOOPER/ルーパー』(2012)二作で主演を務めており、2009年の『ブラザース・ブルーム』ではカメオ出演も果たした。また、『最後のジェダイ』でもエイリアンの声でカメオ出演の場を提供されている。

ゆえにジョセフは、記事の中で「これは彼を意識して書いているわけではない」と断っている。「彼は、僕がこれを書いていることすら知らない。もしかしたら、この記事を投稿する前に、彼の了承を得ておくべきなのかもしれない。そういう心配は後ですることにしよう」と続けたジョセフは、あくまでも「とにかくスッキリしたい。これは僕のいち意見だ」と念を押す。

続けてジョセフは、『スター・ウォーズ』という名の史上最も口うるさいカルチャーへの配慮も忘れない。「誰かを咎めるつもりもない」「映画やアート、文学などにおいて、”間違った捉え方”なんてない」とし、ファンの前で足慣らしを行う。その折でジョセフは、映画賞や興行収入成績、そしてお馴染みRotten Tomatoesの「トマトメーター」といった指標が現れたことで、映画の良し悪しが定量化されて語られるきらいがあることも嘆いている。

「ルーク・スカイウォーカーに何が起こったのか?」

一通りの前段をようやく終えたジョセフは、「ルーク・スカイウォーカーに何が起こったのか?」との問いかけと共に本題へ入っていく。まず指摘したのは、「『最後のジェダイ』で我々が出会ったルーク・スカイウォーカーは、オリジナル作からの記憶にある姿とあまりにも違っていた」という点だ。「これまでのルークは希望に溢れ、理想主義者で、運命をまっとうすべく銀河に飛び込んでいき、見返りを求めずに良きことをせんとする若者だった。それが今や、無愛想で悲観的となり、孤島に身を潜めてその隔離生活のみに心血を注いでいる。」ルークは、自身の発見に希望を見出してはるばる訪れた若きレイも、当初は足蹴にするような態度を見せていた。劇中でレイと競り合いとなると、この若き修行者に力で追い詰められる場面すら見られたのだ。

ジョセフは、こうしたルークの転落と衰えを嘆くばかりでなく、「モラルが怪しくなった」とも指摘する。慈愛に満ち、ベイダーを追い詰めながらもついにとどめの一撃を加えなかったあのルークが、なぜ甥のベン・ソロの無防備にライトセーバーを斬り入れようとしたのか。ジョセフの心中には、オリジナル・トリロジーのルークの眩しさが残っている。数十年の時を経て戻ってきたルークの姿にジョセフはがっかりしており、「我々に対しても無礼に思うし、ファンが言うように、あれはルーク・スカイウォーカーではなく、酷いストーリーや大企業の利益優先がもたらした劣化かもしれない」と落ち込んだ意見を記す。そしてジョセフは、『最後のジェダイ』のルーク描写は以下の二点で大きなリスクを冒していたと列挙している。

  1. ルークの印象がこれまでと違うこと。
  2. 違うだけでなく、酷くなっていたということ。

なぜルークは印象を変えるべきだったのか

一つ目のリスクについてジョセフは、前作『フォースの覚醒』(2015)に再登場したハン・ソロとの比較を挙げる。思い返せば『フォースの覚醒』のハンは、オリジナル・トリロジーと変わらぬ性格と魅力を放っていた。変わったことと言えば、白髪とシワが増えたこと、そして子供を持っていたということだけだろう。「しばらくぶりの(ハン・ソロの)再登場は、まるで旧友と懐かしい再開を果たしたようだった。では、なぜルークでも同じようにできなかったのか?」これに続けてジョセフが語るように、映画史長きとは言えど、同じ役者が40年以上続くキャラクターを演じ直すという機会はそう多くない。

この有史を振り返った瞬間から、ジョセフの論調は突如として『最後のジェダイ』ルーク像に理解的な方向に静かにシフトしていく。ルークの印象の変遷は、フィルムメーカーと役者にとって「老いるという、最も普遍的な人間の体験を描く、類まれなる機会」を与えたというのだ。我々はみな年をとる。若者時代を生き延びた幸運な我々は、喜びや恐怖、迷い、転落や驚きに直面するものなのだと。ジョセフは、愛すべき主人公が変わり果てたような姿で戻ってきたことは「ほとんど見るに耐えないと認める」としながらも、一人の男の人生が前身する様を際立って描いていたと支持する。

 

では、自身が挙げた二つ目のリスクについてはどうか。ジョセフは、「映画のキャラクターとは、大抵の場合、欠陥があるほうが良しとされる」と言う。

「役者としてお話するならば、僕がある役を演じようかどうかと考えるときは、いつも美徳と短所のバランスについて考えるようにしている。そうでないと現実的に感じられない。完璧なヒーローや完璧なヴィランなんていない。我々はみな、もっと複雑に出来ているのだ。」

こうしてジョセフは、『最後のジェダイ』が提示した失望のスカイウォーカー像について「不敬なことを言っていたら申し訳ないのだが、若い頃のルーク・スカイウォーカーはただの小さな光のように感じられていた。だからこそ、今回の不完全な人間としての描き方はすごくクールだと思った」と、一つの結論に至り始める。

僕にとってこの物語は、信念を絶やさない、ということなんだ。外界への信念、仲間への、そして敵への信念。未来と過去へ、自分に取って代わる次の世代への信念。そして、自分自身への信念だ。

『最後のジェダイ』のルークは、最終的に絶望の淵から這い上がり、「今日、新たなレジスタンスが生まれた」「私は最後のジェダイではない」として、次世代へのバトン渡しを行う役目を担った。広大な銀河に悠々と流れる運命の境目に自ら飛び込むようにして、最後の力を振り絞り、命をかけて仲間を救って消えたのだ。ジョセフは「我々の主人公はついにその旅の終わりに辿り着いた。新旧のジェダイ・オーダーへの信念を再び見つけたのだ。そして最も大切な、自分自身への信念も」と言い表す。

『スター・ウォーズ』が敢えて冒したこのリスクについて、最後にジョセフは「いちファンとして、これは『スター・ウォーズ』は単なる過去の映画ではなく、刺激的な挑戦に満ちた作品だったということに敬意を払うあらわれだったと捉えたい」と結ぶ。

最終的に、私にとって『最後のジェダイ』は、我々がまだスター・ウォーズに信念を抱けるということだけでなく、スター・ウォーズも我々に信念を抱いているということを示してくれたのだ。

『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』ルーク・スカイウォーカー像には、様々な想いを重ねることができるだろう。納得できる部分もあれば、そうでない部分もあるかもしれない。「間違った観方などない」とジョセフが言うように、その解釈は全くもって自由だ。しかし、こうしたジョセフの考えや、脚本・監督を手がけたライアン・ジョンソンによる解説を栄養として取り入れると、その解釈にも大きな幅が生まれてくることだろう。

Source:https://medium.com/@hitRECordJoe/a-new-old-skywalker-253efda3809c

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THE RIVER編集長。ライター、メディアの運営や映画などのプロモーション企画を行っています。お問い合わせは nakatani@riverch.jp まで。

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