【レビュー・解説】『X-MEN:アポカリプス』は「ヨハネの黙示録」の擬人化と既に再建された新世界の衝突が見どころ
思えば、2002年の『スパイダーマン』などの頃は、「ヒーローであることの責任と葛藤」といった内省的な事柄を描いていたように感じられるが、近年のスーパーヒーロー映画は西洋思想や哲学など、ややアカデミックなテーマを掲げていると捉える事ができる。例えば『キャプテン・アメリカ:シビルウォー』はビジランティ(自警団)の活動における功利主義を、『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』では「正義」の定義の二面性からなる衝突を描いていた。
X-MENシリーズ最新作『X-MEN : アポカリプス』が封切られた。前作『X-MEN : フューチャー&パスト』からおよそ10年後、1983年を舞台にX-MENらの活躍を描く。
『X−MEN』が描く社会的テーマが「差別・偏見との闘い」であった事はファンにはおなじみだろう。人間のような容姿をしながら、人間とは明らかに異なる身体・能力的特徴を持ったミュータントが、人間社会と共存できるのかを描いたのがこれまでのシリーズ作品だ。対して『X-MEN:アポカリプス』は、過去作とは明らかに異なるテーマを描いている。ミュータントへの差別問題は、前作『フューチャー&パスト』でほぼ解決しているので、今作の本筋ではない。描かれているのは、「ヨハネの黙示録」をベースとした終末預言との対峙だ。
【注意】
この記事は、映画『X-MEN:アポカリプス』のネタバレを含んでいます。
この映画は『X-MEN vs 神』ではない
本作では、最古のミュータントとされるアポカリプスが古代エジプトより1983年に蘇り、当時代の人間社会に怒り、世界を破滅させ、新たな世界を再建しようと目論む。アポカリプスはその魂を別の身体に転生させる事ができて、これまで千回もその宿り先を変えている。それに際しては特殊な力を持つミュータントの身体を転生相手として選んでおり、その度に新たな力を得られるので、長い歴史の中でアポカリプスは人智を超えたあまりに強大な力を手に入れているのだ。
予告編でも見られるように、物質を原子レベルで操る能力も持つアポカリプスは大都市の摩天楼をまるで砂場に立てた山のように容易く吹き飛ばす事ができる。目前に起こった世界崩壊を防ぐべく、プロフェッサーX率いるX-MENのメンバーがアポカリプスらに立ち向かう…というものだ。
国内における本作の宣伝・広報では、『X-MEN vs 神』と掲げ、アポカリプスを「最強の敵」とし、果たしてX-MENは神に勝てるのか?というような伝え方をしているが、よく考えればアポカリプスは神ではない。
そもそも神の定義とは何なのかという事を考え始めるととんでもない事になってしまうが、神とは創造主であり、命を起こすものである。しかし、今作においてアポカリプスが命を自らの意思の元に操る描写は見られない。
加えて、神は復活する事ができる。つまり、一度死んでから蘇るのだ。
確かにアポカリプスは崩壊したピラミッドの地底より1983年の社会に蘇るが、そもそも眠っていただけで死んでいたわけではない。さらに言えば、アポカリプスがピラミッドの地底に埋められた紀元前3600年から1983年に至るまで、約5600年もの長い年月が空いてしまったので、アポカリプスの復活を証明できる人物がいない。イエス・キリストの復活にあたっては、彼の死から3日後、ペトロと使徒達がイエスと再会する事で復活の証人となっている。
だいいち、紀元前3600年にアポカリプスが葬られたのも当時の人々の中にアポカリプスを「偽の神」と捉えた反逆者らが複数いた事が原因だ。以上のことから、アポカリプスは「神」ではないので、神vs頑張れ負けるなエックスメーン!という観点で鑑賞するのは勿体無い。
何故かというと、「神」または「神に匹敵する力を持つ最強の敵」vsヒーローの構図なんて、もう飽きるほど観ただろう。今作も相変わらず都市はめちゃくちゃに崩壊するし、人類の力では歯が立たないし、でも特殊なパワーを持つヒーロー達が団結して死闘の末かろうじて勝利、地球は救われた!というストーリーラインだ。そこだけに注目してしまうと、近年のハリウッド映画におけるマンネリに呑まれてしまい、いまいち印象に残らない作品となってしまう。
では、アポカリプスとは何者か。答えは簡単で、というか、それがアポカリプスの名前であり今作の副題になっている。そう、黙示録である。