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【レビュー・解説】『X-MEN:アポカリプス』は「ヨハネの黙示録」の擬人化と既に再建された新世界の衝突が見どころ

“All is relealed.”

日本語字幕では「これが私の運命なのか」という、安いやられ文句のように訳されていたが、これはそのまま「全ては明かされた」と直訳でよかったと思う。こちらのほうがよほど『アポカリプスは黙示録の擬人化』になぞらえられていてわかりやすい。

そもそもアポカリプス(語源は古代ギリシア語: Ἀποκάλυψις)は「覆われていたものを明らかにする」という意味がある。人類には隠されていた「世界の終わり」を明かす、ということだ。
アポカリプスはX-MENとの死闘の末、最期に「全ては明かされた」と言い残して果てる。このセリフ、筆者は終末の果てに訪れる新世界が既に再建されていた事を、アポカリプスが最期に悟ったのではないかと考えている。

X-MENユニバースは既に終末を経験していた

ご存知かとは思うが、映画『X-MEN』シリーズは(原作アメコミがよくやるように)世界設定を一度リセットし、パラレルワールド的に新たにやり直している。映画『X-MEN』『X-MEN2』『X-MEN:ファイナル・ディシジョン』で描かれた世界では、ミュータントは人間からの差別に苦しみ、ついにミュータント対人類の戦争も勃発する。そして前作『X-MEN:フューチャー&パスト』で、2023年に訪れるセンチネル軍団の攻撃によってミュータントが全滅するという最悪の結末を迎える。

センチネル軍団との戦争の最中、ウルヴァリンは精神を1973年にタイムトラベルさせ、過去を書き換えることで全く別の時間軸の形成に成功する。(映画『デッドプール』もこちらの新時間軸)
この世界では、ある種最もミュータント然とした容姿であるミスティークが「大統領を救った英雄」と崇められ、ミュータントと人間は平和共存を果たしている。

映画『X-MEN』における「終末の果ての新世界」とは、ミュータントと人間が共存する『フューチャー&パスト』以降の世界なのではないだろうか。

『フューチャー&パスト』でセンチネル計画の推進者トラスク博士は「ネアンデルタール人にとってホモ・サピエンスの登場は異常事態だった。新しい種であるホモ・サピエンスが現れ、ネアンデルタール人は間もなく絶滅した。そして今、人類はネアンデルタール人だ。」と語っている。つまり、異種共存が叶わず、醜い戦争の末どちらかが絶滅した旧世界は、アポカリプスの登場なくとも既に終末を迎えており、現時代は新世界と定義することができるのではないだろうか。そう考えると、チャールズ・エグゼビアの「私は1人ではない」というセリフには共存社会を賛美する意図が見て取れる。こうしてアポカリプスは「全ては明かされた」と言い残して消滅するのだ。

まとめ 現実 対 虚構

本作が公開された2016年8月11日、日本列島は『シン・ゴジラ』に沸いているが、『X-MEN:アポカリプス』も「現実 対 虚構」と捉える事ができる。アポカリプスがもたらす終末は虚構で、それを食い止めるX-MENは現実。またはその逆で、架空のヒーロー・チームであるX-MENは虚構で、実在する『ヨハネの黙示録』を元ネタとしたアポカリプスは現実
本作を単なるアクション・エンターテイメント作品と思わず、どのような意図が隠されているかを推察しながら観ていくと楽しい。「差別との闘い」という裏テーマは本作にはないが、それでも色々と考察できる要素はあると思う。

『ファースト・ジェネレーション』『フューチャー&パスト』と続いた『新X-MEN三部作』は本作をもって終了となり、今後はウルヴァリンやデッドプールの続編、ガンビットなどのスピンオフ作品の数々が予定されている。本作『アポカリプス』は広大なX-MENシネマティックユニバースの中でも特に重要な位置づけとなる作品なので、しっかり鑑賞しておきたい。

Eyecatch Image:http://www.crosswalk.com/culture/movies/x-men-apocalypse-movie-review.html

Writer

中谷 直登
中谷 直登Naoto Nakatani

THE RIVER創設者。代表。運営から記事執筆・取材まで。数多くのハリウッドスターにインタビューを行なっています。お問い合わせは nakatani@riverch.jp まで。

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