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エドガー・ライト大覚醒!『ベイビー・ドライバー』は「フィジカル」への演出が冴えわたる傑作である

歌詞だけで決めていない選曲センスの素晴らしさ

「絶対におまえを逃がさない」。

強盗のバディ(ジョン・ハム)はベイビー(アンセル・エルゴート)に宣言する。ベイビーは天才的な運転手(ドライバー)であり、彼がいればどんな危険な仕事からでも確実に逃げおおせられるはずだった。しかし実際は……。

安っぽいダイナーの中にバリー・ホワイトの「Never, Never Gonna Give Ya Up」が鳴り響いている。「絶対に君をあきらめない」というラブソングも、バディの復讐心を歌っているようにしか聴こえない。ただし、エドガー・ライト監督がこの場面で「Never, Never Gonna Give Ya Up」をBGMに選んだのはもう一つ理由があるだろう。

ベースラインが心拍音そっくりで、この場面でのベイビーの緊張を代弁しているからだ。

現在公開中の『ベイビー・ドライバー』(2017)はエドガー・ライト監督の最高傑作である。もちろん、初の商業映画となった『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004)以降、ライトはただの一度も駄作を撮っていない。常に観客から課せられる高いハードルを越え続け、新作には必ず現代の映画技術を革新させるほどのあっと驚くアイディアを散りばめてきた。今さら「最高傑作」を献上するなんて、これまでの輝かしいキャリアは何だったのだという話だ。

それでも、大事なことなので二度繰り返したい。『ベイビー・ドライバー』はライトが発表してきた傑作群の中でも頭一つ飛びぬけた映画である。詳しく説明していこう。

ベイビー・ドライバー
copyright 2000-2016 Getty Images, Inc. All rights reserved

エドガー・ライトとクエンティン・タランティーノの歩みの類似点

エドガー・ライトのこれまでのフィルモグラフィーは、彼にとって兄貴分的存在であるクエンティン・タランティーノの歩みと酷似している。ライトの最初期の2作、『ショーン・オブ・ザ・デッド』と『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!』(2007)は、タランティーノのデビュー直後の2作『レザボア・ドッグス』(1992)『パルプ・フィクション』(1994)に重なる。過去作品の膨大なパロディや引用を詰め込みながら、現代的なセンスに昇華させている点がそっくりだ。ライトは第三作『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』で初めて原作のある映画を監督したが、タランティーノの第三作もエルモア・レナードの小説の映画化『ジャッキー・ブラウン』(1997)だった。第四作『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』(2013)はタランティーノ『キル・ビル vol.1』(2003)および『vol.2』(2004)に相当する。いずれも主人公が過去の因縁のある場所を巡礼する物語である。

エドガー・ライトはタランティーノの企画『グラインドハウス』(2007)にフェイク映画の予告『Don’t/ドント』で参加した。「好きなものを何でも登場させたい」というオタク的衝動に貫かれた2人の作風も、何かと共通点が多い。ライトがタランティーノの影響下にある作家なのは間違いないだろう。しかし90年代以降、無数に登場してすぐ失速していったタランティーノのフォロワーたちと違い、ライトが順調なキャリアアップを果たしてきたのはタランティーノ映画の本質を正確に解析できていたからである。それはつまり、「向上心」だ。

オタク的素養に頼るだけでは商業作家として長続きしないとタランティーノは自覚していたのだろう。だからこそ、彼は『レザボア~』『パルプ~』の栄光にすがらず、常に新しい挑戦を怠らなかった。修練の日々がタランティーノに、「時代に乗る」のではなく「時代を作る」傑作を制作させた。そう、『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007)である。ライトは兄貴分の表層でなく、アティテュードから映画作りを学んだのだろう。『デス・プルーフ』と同じくカーアクションを題材にした『ベイビー・ドライバー』で、ライトも華麗に映画監督として覚醒してみせたのだ。

ベイビー・ドライバー
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デジタルよりフィジカルに向けられた「演出」

『ベイビー・ドライバー』が技術的にライトの過去作品よりも段違いで優れているとは思わない。もちろん、劣っているはずはなく、『スコット・ピルグリム』や『ワールズ・エンド』と同等に素晴らしい編集技術が作品を支えている。効果音とBGMが完全にシンクロする編集などは、世界最高峰のデジタル技術といってもいいだろう。

しかし、『ベイビー・ドライバー』がすさまじいのは、ライトの演出がどこまでも映画のデジタル部分ではなく、フィジカルに向けられている点である。ベイビーがダイナーの新米ウェイトレスに恋をする場面を思い出そう。笑いながらデボラというウェイトレスがくるりと振り向いた瞬間、「ブツッ」と音がしてベイビーの自宅に画面が切り替わる。挿入されたのはベイビーがレコードに針を落とした音だったとすぐに観客は理解する。ベイビーの恋の芽生えを一瞬の効果音で表現しているわけだが、これまでのライト監督作にはなかったリリカルな演出に面食らう。

あるいは、ベイビーがデボラとコインランドリーで語らいあうシーンである。洗濯物が回るレコードのように映し出されるカットは文句なしに素晴らしい。本作において「円」はベイビーの心の平穏を表す記号である。しかし、その後でベイビーがデボラと会話しながら体を入れ替える、輪舞のような仕草の「円」にこそ心を打たれる。天才的な編集センスを持つライトはそれゆえに、これまで俳優の肉体性に絶対的な信頼を置いていないように見えた。『ベイビー・ドライバー』ではただただショットへの真っ直ぐな確信がうごめいている。たとえば二度に渡って登場する、車にもたれながらベイビーを待ちかまえるデボラの「揺れ」は、ほとんど被写体としての女性に興味がなかったライト映画らしからぬ「演出」だといえよう。

ベイビー・ドライバー copyright 2000-2016 Getty Images, Inc. All rights reserved[/cap
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タランティーノは生身のアクションに勝る興奮はないと『デス・プルーフ』で学び、以降、実力派俳優たちの演技アンサンブルをじっくり見せていく作品を連続して発表している。ライトもまた、『ベイビー・ドライバー』で「演出家」として格段に進化した。CGや小手先の編集で誤魔化しの効かないカーアクションは、映画監督が壁を突き破るきっかけを与えてくれるのだろう(正確にいうと、CGでもカーアクションの誤魔化しは効くかもしれない。ただ、映画としての面白味につながりにくい)。

『ベイビー・ドライバー』において、作り手の超絶技巧の数々は登場人物のためにこそ存在している。これまでのライト作品同様にハイセンスな映像世界に驚愕しながらも、最後には登場人物が実在しているかのような愛着に襲われるだろう。まさか、エドガー・ライトの映画にこんな感想を持つ日が来るなんて思わなかった。

Writer

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石塚 就一就一 石塚

京都在住、農業兼映画ライター。他、映画芸術誌、SPOTTED701誌などで執筆経験アリ。京都で映画のイベントに関わりつつ、執筆業と京野菜作りに勤しんでいます。