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エドガー・ライト大覚醒!『ベイビー・ドライバー』は「フィジカル」への演出が冴えわたる傑作である

しかし、ベイビー・ドライバー』がすさまじいのは、ライトの演出がどこまでも映画のデジタル部分ではなく、フィジカルに向けられている点である。ベイビーがダイナーの新米ウェイトレスに恋をする場面を思い出そう。笑いながらデボラというウェイトレスがくるりと振り向いた瞬間、「ブツッ」と音がしてベイビーの自宅に画面が切り替わる。挿入されたのはベイビーがレコードに針を落とした音だったとすぐに観客は理解する。ベイビーの恋の芽生えを一瞬の効果音で表現しているわけだが、これまでのライト監督作にはなかったリリカルな演出に面食らう。

あるいは、ベイビーがデボラとコインランドリーで語らいあうシーンである。洗濯物が回るレコードのように映し出されるカットは文句なしに素晴らしい。本作において「円」はベイビーの心の平穏を表す記号である。しかし、その後でベイビーがデボラと会話しながら体を入れ替える、輪舞のような仕草の「円」にこそ心を打たれる。天才的な編集センスを持つライトはそれゆえに、これまで俳優の肉体性に絶対的な信頼を置いていないように見えた。『ベイビー・ドライバー』ではただただショットへの真っ直ぐな確信がうごめいている。たとえば二度に渡って登場する、車にもたれながらベイビーを待ちかまえるデボラの「揺れ」は、ほとんど被写体としての女性に興味がなかったライト映画らしからぬ「演出」だといえよう。

ベイビー・ドライバー copyright 2000-2016 Getty Images, Inc. All rights reserved[/cap
tion]タランティーノは生身のアクションに勝る興奮はないと『デス・プルーフ』で学び、以降、実力派俳優たちの演技アンサンブルをじっくり見せていく作品を連続して発表している。ライトもまた、『ベイビー・ドライバー』で「演出家」として格段に進化した。CGや小手先の編集で誤魔化しの効かないカーアクションは、映画監督が壁を突き破るきっかけを与えてくれるのだろう(正確にいうと、CGでもカーアクションの誤魔化しは効くかもしれない。ただ、映画としての面白味につながりにくい)。

『ベイビー・ドライバー』において、作り手の超絶技巧の数々は登場人物のためにこそ存在している。これまでのライト作品同様にハイセンスな映像世界に驚愕しながらも、最後には登場人物が実在しているかのような愛着に襲われるだろう。まさか、エドガー・ライトの映画にこんな感想を持つ日が来るなんて思わなかった。

Writer

石塚 就一
石塚 就一就一 石塚

京都在住、農業兼映画ライター。他、映画芸術誌、SPOTTED701誌などで執筆経験アリ。京都で映画のイベントに関わりつつ、執筆業と京野菜作りに勤しんでいます。

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