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【ネタバレレビュー】「ボバ・フェット」チャプター6 ─ あの時、マスクの下で

ボバ・フェット/The Book of Boba Fett
(C)2022 Lucasfilm Ltd.

この記事には、ドラマ「ボバ・フェット/The Book of Boba Fett」チャプター6のネタバレが含まれています。

マンダロリアン
(C)2020 Lucasfilm Ltd.

我が子を見守るマンドーの素顔

チャプター5に引き続き、実質的に「マンダロリアン」シーズン2.5のようなエピソードとなった「ボバ・フェット/The Book of Boba Fett」チャプター6。マンドー/ディン・ジャリンはかつて冒険を共にしたグローグー(ベビーヨーダ)に贈り物を届けるため、彼を引き取ったルーク・スカイウォーカーの元を訪れた。

グローグーはルークの「初の生徒」として、緑深い惑星でフォースの修行を受けていた。マンドーはルークの相棒R2-D2に出会うが、R2はルークの居場所を教えようとはしない。アリのようなドロイドが、「学校」なる建物を組み上げる前で待ちぼうけを食らっていた頃、かつて共に戦ったアソーカ・タノが再会に現れる。

マンドーはグローグーの無事を知りたがり、会いたいと申し出る。アソーカに歩こうと連れられたマンドーは、どこか日本風の竹林の途中で、丘の上にふたつの影を望む。マスター・ルークとグローグーだ。

マンドーは、贈り物の小包をグローグーに手渡すため、早速丘に向かって歩き出す。しかし、ジェダイであるアソーカは、今やグローグーはジェダイのパダワンであることを言葉で示す。マンドーはグローグーとの再会を望み続けるが、アソーカは代わりに「私が届ける」と申し出る。

なぜアソーカはマンドーとグローグーを引き合わせないのか?劇中でアソーカは「グローグーのためだ。今あなたに会えば、この先恋しさに苦しむ」と説いたが、ここにはジェダイの教義が深く関係している。

ジェダイの教えでは、執着心は放棄すべきものとの信念がある。それゆえに、特定の誰かに愛着を持つことは禁じられているのだ。「熱情はなく、平静がある」とは、ジェダイの教義ジェダイ・コードの一節である。つまりここでアソーカは、2人が会わないのは「グローグーのため」とは言っていたものの、本質的にはジェダイの行動規範を遵守していたわけである。

これは、マンダロリアンのマンドーにはない考え方だ。グローグーが搭乗できるであろうソケットも空いた新しい宇宙船に乗ってはるばる訪れたマンドーは、当然「我が子」に会えるものと思っていた。彼の無事を確かめ、またあの小さな頭を撫で、あやしてやり、あの無垢な瞳が見つめてくれるものと思っていただろう。しかし現実には、彼は自分にとって門外であるジェダイの教えを尊重しなければならなかった。彼にできることは、ジェダイと共に過ごしているグローグーの遠い姿をマスク越しに目に焼きつけ、大切な贈り物を託すのみだった。

マスクの下で、彼はどんな表情をしていたのだろうか?『スター・ウォーズ』はそれを描かない。『エピソード6/ジェダイの帰還』(1983)で、息子ルークが救いに現れた時、「今さら遅いのだ、息子よ」と言ったあの時、ダース・ベイダーはどんな表情をしていたのだろうか?パルパティーンの電撃を浴びながら、「父さん、助けて」と悶える息子を見た時、どんな顔をしていたのだろうか?

究極的には親子の関係を描き続ける『スター・ウォーズ』のサーガの中で、「ボバ・フェット」チャプター6は、マンドーとグローグの奇妙ながら愛らしい擬似親子の物語を切なく描いた。このエピソードの後半では、コブ・ヴァンスがマンドーに「その笑顔には負けるよ」と皮肉を言っていたが、彼らの素顔は常に解釈の余地がある。息子を見守るT字型のバイザーの下で、マンドーの細めた瞳や、浮かべた涙を見ることができたなら、あるいは、双子の太陽を望むような希望の顔を見ることができたなら、それらは『スター・ウォーズ』が持つ、神秘の物語の力によるものなのだろう。

ドラマ「ボバ・フェット/The Book of Boba Fett」はディズニープラスにて独占配信中。

Writer

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中谷 直登Naoto Nakatani

THE RIVER創設者。代表。運営から記事執筆・取材まで。数多くのハリウッドスターにインタビューを行なっています。お問い合わせは nakatani@riverch.jp まで。

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