本物の「歌」はこんなにも孤独で痛い ― 最高のラブストーリーとしての『ボヘミアン・ラプソディ』

村上龍の小説『コインロッカー・ベイビーズ』(講談社刊)のラストで、世界が崩壊する中、ミュージシャンのハシは新たな歌を発見する。ハシは自分の中から歌が生まれてきた喜びを抑えられない。彼は恍惚して叫ぶ。「僕の、新しい歌だ」と。
いわゆるスタジアム・ロックのコンサートを見るとき、筆者は『コインロッカー・ベイビーズ』のラストを思い出すことがある。もちろん、ほとんどのスタジアム・ロックは純粋なエンターテインメント精神に富み、健全なパフォーマンスを聴衆に届けてくれる。それはそれでいいものだ。だが、ごくたまに、何万人もの聴衆に囲まれているのに、歌声から孤独がにじみ出てしまうシンガーがいる。この人にはファンも豪華なセットも、瓦礫の山にしか見えていないのではないかと感じる瞬間がある。
フレディ・マーキュリーは間違いなく、スタジアム級のボーカリストの中でも、とびきり「孤独」を抱えていた人物だ。映画『ボヘミアン・ラプソディ』はフレディの孤独と、それを埋める愛についての物語だった。あえて陳腐に言い換えるなら、これは広義のラブストーリーである。

60~70年代英国で、移民のバイセクシャルが生きること
そもそも、生い立ちからしてフレディは孤独だった。映画の序盤、若かりし日のフレディがヒースロー国際空港で働いている描写がある。同僚から「ノロノロするな、パキ(パキスタン人への蔑称)」と罵られるのだが、フレディはパキスタン人ではない。両親ともにインド人であり、出身はタンザニアのザンジバル島だ。現在ですら世界的に移民労働者への差別心は消えていない。60~70年代であれば、より風当たりも強かっただろう。虐げられた自尊心の逃げ場所として、フレディがロックスターを目指したのも納得だ。
ちなみに「フレディ・マーキュリー」とは、クイーンでの活動が本格化するにつれて改名した名前である。もともと彼の名前は「ファルーク・バルサラ」。本当に改名までしてしまうパターンこそ稀だが、ロックスターは別名を使い分けたり、芸名を名乗ったりすることは多い。自らのルーツを捨てたともいえる「改名」については賛否両論があるだろう。ただ、逆をいえば、そのような変身願望を抱かずにはいられないほど、移民がショウビジネスの世界で成功することは難しかったのだ。
しかし、ロックスターになって万々歳とはいかない。フレディは自分のセクシャリティに疑いを持つようになる。本作でも、フレディはメアリーに自分はバイセクシャルだと告白するシーンがある。ミック・ジャガー、イギー・ポップ、デヴィッド・ボウイなど、60~70年代のロックスターには両刀使いは少なくない。ただ、彼らが“刺激のある遊び”の一環だったのに対し、フレディは正真正銘のLGBTに該当する人間だった(余談だが、この違いを政治家ですら理解していない場合がある)。フレディの悩みは深刻で、だからこそ、正式なカミングアウトを行わないまま生涯を終えている。保守的な価値観が現代以上に渦巻いていた時代で、ルーツ的にも性的にもマイノリティだったフレディがいかなる孤独を抱えていたかは想像を絶する。

フレディにとって大切な3つの「愛」
『ボヘミアン・ラプソディ』では、フレディにとって大切な3つの「愛」が描き出される。まずはメアリー。フレディはメアリーとの生活が破綻した後でも、彼女を隣の豪邸に住まわせ続けた。真夜中、彼女に電話をして部屋の電気を点滅させるよう促すのは、本作でもっとも切ないシーンである。何百万人、何千万人から愛されたロックスターは、一人の女性の愛をつなぎとめることに必死だった。言うまでもなく、檻に閉じ込めるような愛が長続きするわけもない。
次に、クイーンのメンバーである。フレディはソロアルバムもリリースしているが、はっきり言ってクイーンのもっとも失敗したアルバムよりも内容は下だと思う。“I Was Born To Love You”などの佳曲もあるものの、後にクイーン名義で再録したバージョンと聴き比べれば違いは一目瞭然だ。フレディという一流のボーカリストには一流のプレイヤーが必要だった。しかし、一流同士が一緒にいれば摩擦も起きる。クイーン後期はメンバー間の衝突は絶えなかったし、劇中でもかなり険悪な関係性が描かれている。ただ、イエスマンに囲まれて自分を見失っていた時期もあるフレディにとって、対等に意見をぶつけ合えるメンバーは貴重だったはずだ。
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