『クリード 炎の宿敵』アドニスとドラゴ親子の因縁を読み解く ─『ロッキー4/炎の友情』と冷戦の傷跡


案の定、ロッキーは会場の声援を受けるドラゴに最初から滅多打ちにされる。だが、ダウンを奪われてもロッキーはあきらめない。何度も立ち上がり、ドラゴに挑んでくる。こんな対戦相手は今までいなかった。ドラゴは段々、ロッキーの気迫に飲まれていく。(※9)いつの間にか、会場もロッキーを応援し始めた。彼の闘志が人々の心を打ったのだ。ドラゴのチームスタッフは怒り心頭である。「何をやってる!早く奴を叩きのめせ!」すると、ドラゴは初めて感情をむきだしにした。
黙れ!
俺は俺のために戦っている
国のためじゃない
ロッキーの熱い闘志は、ドラゴの心すらも溶かしたのである。
(※9)ヴィクターが試合中に吸水を断る描写は『ロッキー4/炎の友情』における父イワンの引用。
『ロッキー4/炎の友情』から政治性を取り除いてみると
その後の展開は、やや拍子抜けだ。ロッキーが勝利に終わるのはいいとして、マイクを向けられた彼は米ソ間の関係について講釈を垂れ始める。そして、観客はもちろん、来賓の政治家たちからも拍手を贈られて映画は終わる。
監督・脚本のスタローンが平和へのメッセージを込めたかったのはわかる。しかし、あまりにもご都合主義的に思えるラストだ。ソ連の観客には、ドラゴが打ち負かされたショックなどないのだろうか。終盤は、あくまでも「冷戦についてのアメリカ側の理屈」が押し通された展開だといえる。
ついでに書けば、本作は全体的に明らかな「時間稼ぎ」の編集が目立つ。回想シーンがあまりにも多すぎて、歪な印象を残す。事実、『ロッキー4/炎の友情』はヒットこそしたものの、評論家からは酷評された。年間最低のアメリカ映画を決めるゴールデンラズベリー賞では8部門にノミネートされ、最低主演男優賞・監督賞を含む5部門を獲得してしまった。(いずれも受賞者はスタローン)
ただ、『ロッキー4/炎の友情』から政治性を省き、純粋なボクシング映画として見ると、非常に大切なテーマが浮かび上がってくる。成功者であるアポロやロッキーはどうして死地に赴くような闘いをせずにはいられなかったのだろう?地位や家族を捨ててまで。
この問いは、『クリード 炎の宿敵』の物語にも共通している。チャンピオンになったり、豪邸に住んだりしても人生はゴールを迎えるわけではない。ドラゴ親子のように、国や世間から見放されながら、強い気持ちで闘い続けている人々もいる。

『ロッキー4/炎の友情』と『クリード 炎の宿敵』は闘争本能についての映画である。何かを手に入れるためでなく、自分のために人は闘うことができるのか。ロッキーと同じく。クリード親子やドラゴ親子と同じく。かつて「最後までリングに立っていればそれでいい」と言ったボクサーの物語は今、「燃え尽きたその先」の人生を観客に見せてくれるのだ。
『クリード 炎の宿敵』公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/creed/index.html