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『ドリーム』邦題変更騒動に見る洋画問題 ─ 過去の事例から考える、愛される邦題と愛されない邦題

アメリカ初の有人宇宙飛行計画、マーキュリー計画を題材にした映画『ドリーム』がついに929日から日本公開される。1960年代、歴史的偉業の裏側で差別に苦しみながらも計画に大きく貢献した3人の女性を主役にした感動作だ。

しかし、日本公開前から本作は予期せぬ形で話題を呼んでいる。『ドリーム』の原題は“Hidden Figures”といって、“Figures”には「数字」と「人間」の二つの意味がある。「知られざる数字」と「(歴史から)隠されていた人々」のダブルミーニングだと考えられるが、日本人には分かりにくいと解釈されたのか、異なる邦題が用意されたのだ。

©2016 Twentieth Century Fox Film Corporation
©2016 Twentieth Century Fox Film Corporation

ところが当初、配給を担当する20世紀フォックスが付けた邦題は『ドリーム 私たちのアポロ計画』だった。前述したように、本作で描かれているのは「アポロ計画」ではなく「マーキュリー計画」である。内容を歪めていると捉えられかねない邦題に、インターネットなどで批判が相次ぎ、最終的にはセオドア・メルフィ監督本人まで違和感を表明する騒ぎになった。批判を受けて、「私たちのアポロ計画」は削除され、現在は『ドリーム』で落ち着いている模様だ。

日本と海外の価値観の差を埋めるために、原題から離れた邦題をつけることはあってもいい。しかし、一歩間違えれば『ドリーム』のようなトラブルを招く恐れもある。ここでは、過去日本で起こった邦題に対する批判的意見を振り返りながら、邦題の意味について考えていきたい。 

トラブル1:『ノー・カントリー』意味の通らない邦題に

『ドリーム』がこれだけの批判を集めた背景には、歴史や人種差別をテーマにしている内容のため、社会問題に敏感な層に関心を持たれていたからだと考えられる。また、『ドリーム』は第89回アカデミー賞にて複数部門で候補に挙がるなど本国で高く評価された。日本の映画ファンからも公開が期待されていた注目の作品だったのだ。

同様に、作品の評判が広まっていたからこそ、邦題が不評を集めた例が『ノー・カントリー』2007)だろう。第80回アカデミー賞で作品賞をはじめ4部門を受賞した直後、日本公開が始まった作品だ。

しかし、『ノー・カントリー』の原題は“No Country for Old Men(老人のための国はない)”であり、『ノー・カントリー』だけでは意味が通じなくなる。コーマック・マッカーシーによる原作小説は『血と暴力の国』のタイトルで日本でも翻訳されているが、映画の内容的にはこちらのほうが的確だったといえる。案の定、映画の邦題は観客からの評判が芳しくなかった。 

トラブル2:『小悪魔はなぜモテる?!』ストーリーが反映されていない邦題に

エマ・ストーン主演『小悪魔はなぜモテる?!』2010)は学園コメディの傑作だが、日本ではDVDスルーされている。この時点で映画ファンのフラストレーションがたまっていたため、邦題にもヘイトを集める現象が起こった。

原題は“Easy A”。“A”とはヒロインが作中に身につけるアルファベットなのだが、これはアメリカ古典文学『緋文字』の引用で、「ふしだらな女」のサインである。それと性的に奔放な女性を意味するスラングをかけているのだ。もちろん、これらの経緯は映画を見ないと分かりにくいので邦題が用意されるのは理解できる。ただし、問題は邦題と映画のストーリーが真逆だったことにある。

ヒロインは「小悪魔」どころか、セックス経験もない女子高生で、なりゆきから「誰とでも関係を結ぶ女」を演じなければいけなくなる。彼女は「モテる」のではなく、男から軽く見られるようになっただけだ。本作はヒロインを通して、男性にモテるためにわざと頭が空っぽ風に振舞う女性たちを皮肉っている。決して邦題から連想される「モテ指南ムービー」ではなかったのだ。 

トラブル3:『バス男』(現『ナポレオン・ダイナマイト』)流行に乗った邦題に

あまりにも邦題の評判が悪くて、現在では『ナポレオン・ダイナマイト(Napoleon Dynamite)』という原題そのままの邦題に変更されたのが『バス男』2004)である。主人公のナポレオン・ダイナマイトは名前のわりにさえない田舎の男子高校生。親友もガールフレンドもイケてない生徒たちだが、特に気にせずマイペースで暮らしている。どこからどうみてもダサい主人公が「ナポレオン・ダイナマイト」という名前なのが面白いのに、当時ベストセラーになっていた『電車男』にかけた邦題がつけられてしまった(主人公はバス通学している)。これには、映画ファンの不満が爆発。現在のタイトル変更へと至る。

アメリカ国内ではクライマックスのダンスシーンが大流行した『ナポレオン・ダイナマイト』もまた、日本ではDVDスルー作品である。注目度の低い劇場未公開作品は、タイトルでインパクトを与えなければいけない事情も理解できる。しかし、本作の場合は十分原題にインパクトがあったわけで、映画ファンはボケを一つつぶされたような感覚に陥ったのではないだろうか。

愛される邦題の前提条件

一方で、映画ファンから親しまれている邦題も数多く存在する。たとえば、ホラー映画の名作『悪魔のいけにえ(The Texas Chain Saw Massacre)』1974)や『死霊のはらわた(The Evil Dead)』1981)はいずれも原題から程遠い邦題である。しかし、多くの映画ファンが特に批判もせず邦題を口にしている。原題の持つおぞましいニュアンスをしっかり受け継いでいるうえ、ホラー映画独特のケレン味ある邦題がジャンルの副産物として定着しているからだろう。

また、海外ドラマなどを見ても原題と全く違う邦題はいくらでも登場する。往年の名作『刑事コロンボ』のエピソードを見てみよう。『構想の死角』は“Murder by Book(本による殺人)”。『ホリスター将軍のコレクション』は“Dead Weight(死の重み)”。シリーズ随一の傑作エピソードといわれる『別れのワイン』は“A Old Port in a Storm(嵐の中の年代物ポートワイン)”。いずれも、エピソード内容を踏まえて吟味された「名邦題」である。

邦題とは日本人が外国映画を楽しむための「文化」として、映画ファンから親しまれてきた側面も持つ。しかし、その前提として配給会社、作り手、観客の三角形が「信頼」と「リスペクト」で結ばれている必要があったのではないか。これからの時代ではますます映画宣伝はSNSやインターネットに重きを置くようになるだろうし、SEO(ページが検索上位にくるための工夫)を意識したトレンド重視の語彙が意識されるようになる可能性もある。作品をヒットさせるためには、原題や作品内容を無視した邦題が増えていく事情も部分的には理解したい。ただでさえ外国映画の集客が減少している時代に、少しでも印象に残る邦題をつけようとする宣伝側の思いは切実だろう。

しかし、それが映画ファンの反感を買えば結果的に作品のためにはならない。『ドリーム』の邦題変更騒動をきっかけに今一度、配給に関わる人々にはタイトルの重要性について見直してもらえれば幸いだ。

Writer

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石塚 就一就一 石塚

京都在住、農業兼映画ライター。他、映画芸術誌、SPOTTED701誌などで執筆経験アリ。京都で映画のイベントに関わりつつ、執筆業と京野菜作りに勤しんでいます。