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ゲイリー・オールドマン主演「シド・アンド・ナンシー」あの究極のラブストーリーを、もう1度!

しかしこのシドとナンシーの愛はどうだろう。悲劇的な結末ではあるものの、本人たちは“悲劇”と考えているのだろうか。21歳と20歳でこの世を去ってしまった2人、彼らの愛は最高地点に達したまま、変わることなくそこで止まっているのではないかと思わせられる。シドが身につけていた南京錠のアクセサリーのごとく、熱を帯びた愛の最高地点で鍵をかけて、封じ込めてしまった2人。それが死をもってだなんて、なんと皮肉でロマンチックなことだろう。 

本当の愛とは、何であるのか

(C) 1986 Zenith Productions Ltd
(C) 1986 Zenith Productions Ltd

って何だろう。」誰でも1度はこの概念について、考えたことがあるはずだ。筆者も友人たちと話すことがある。「愛ってなんだろう」と。20歳そこそこの若者の頭なりに一生懸命考えてみるが、ちゃんとした答えにはたどりつけない。『シド・アンド・ナンシー』を観ると、「本物の愛とは何なのか」とまた改めて考えさせられる。

シドとナンシーのような生き方は今の世界、いや普通の人は誰も経験しない人生のはずだ。もちろんドラッグだって立派な犯罪だし、仕事より何より恋人を優先させることは生活している以上はできるものじゃない。ましてやこの2人ぐらい、人のことを愛することはできるのだろうか。「この人と一緒なら死んだってかまわない」「この人になら殺されてもかまわない」そんな危険なことを思えるぐらいの愛を、実感することはできるのだろうか。 

“恋は盲目”なんていう言葉がある。恋をすればその人の悪いところも見えなくなってしまい、理性や常識も失ってしまうこと。シドとナンシーは盲目どころではない。他の人も見えていない…いや、もうお互いしかいない世界に入ってしまっている。周りから理解されなくとも、この世界には私たち2人がいる。お互いがいれば、もうそれだけで全て。誰にも邪魔されず、自分たちだけの世界があれば良い。きっとこれも“真実の愛”の1つの姿なのではないのかと考えさせられるのだ。 

物語のラストシーン。「ガキとは踊らねえよ」と言いながらなんだかんだ、子供たちと一緒にダンスをするシド。片手には大好物のシド。その顔はジャンキーでも“セックス・ピストルズ”のシドでもなく、1人の繊細な青年だ。そこにやってくるのは、車にのった花嫁姿の恋人のナンシー。シドは幸せそうな笑顔を浮かべて、ナンシーが待つ車に乗り込むいくら破滅的でも、悲劇的でも、人をこれだけ愛することに魂を削っても、それは崇高で美しいことではないのか。観終わったあとにはふとこんなことを思ってしまう、だからシド・ヴィシャスは永遠のカリスマであり、そして2人のラブストーリーは何年たっても語り継がれているのではないだろうか。 

珠玉のラブストーリー『シド・アンド・ナンシー』。30年前に公開されたこの映画を、現在デジタルスクリーンで再び上映中。もうすでに観たことがあるという人も、ぜひもう1度、シドとナンシーの愛の軌跡をご覧になってみてはいかがだろうか。きっとあなたも「本当の愛とは何か」そんなことを考えさせられ、心を大きく揺さぶられるはずだ。 

映画『シド・アンド・ナンシー』はオンライン上の映画館「デジタルスクリーン」にて上映中

【デジタルスクリーン】ウェブサイトはこちら

【シド・アンド・ナンシー】上映ページはこちら

※デジタルスクリーンは現在パソコンでのみ視聴可能です

Writer

Moeka Kotaki
Moeka Kotaki

フリーライター(1995生まれ/マグル)

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