戦争映画の枠を超えた、驚異の戦場アトラクション ― 映画『ダンケルク』が“体感型ムービー”と評されるワケ

フィルム志向を貫くノーラン監督の意地
ノーラン監督がフィルム方式に固執する理由のひとつに、フィルム特有の臨場感やリアルな色合いが挙げられる。フィルムでしか表現できないレトロな深み、独特の味わいなど、監督が求めるヴィジュアル的な表現力こそ、今のデジタルが及ばない唯一無二の要素であると、ノーラン監督はこう主張する。
本作の撮影には5パーフォレーション/65mmフィルムと、IMAXの15パーフォレーション/70mmフィルムが併用されており、全編106分のおよそ75%を占める部分がIMAXフィルムカメラによる撮影だ。また、残りの25%の部分も通常の商業用劇映画で広く使用される35mmより、さらに大きい面積を持つ65mmフィルムを使用し、全く妥協を許さない豪華な仕様を実現させている。大きさに比例して解像度が向上するアナログフィルムの特性により、さらなる高解像度を得ている訳だ。
同監督の代表作である映画『ダークナイト』では、標準規格の35mmフィルムに加え、本編の約30分のシーンでIMAXカメラが使用されている。これはメジャーな劇映画でIMAXカメラが初めて使用された例でもある。そもそも、IMAXカメラは環境映像やドキュメンタリー制作などで用いられる場合が常だった。重量とカメラ本体の大きさから、通常の映画で使用するのは極めて難しい挑戦だった。
しかし、ノーラン監督は前述の『ダークナイト』において、IMAXカメラを使用した激しいアクションを撮影し、まさに常識を覆す名監督として名を馳せた。ある時は、当時世界で4台しかなかった貴重なIMAXカメラを、同作のカーチェイスシーンで破壊するといったエピソードも残っている。
これほど素晴らしい環境で撮影するのは、CGIを駆使しない本物の戦場である。ロケ地はダイナモ作戦が決行されたフランス・ダンケルクの実際の砂浜で行われ、延べ6000人という大規模なエキストラを動員し、CGIの使用を避けるために人型のハリボテを使って約40万人の大軍隊を表現したという。しかも、撮影の一部は史実の作戦が決行された5月27日から6月4日にかけて予定が組まれたというから、その徹底ぶりには一驚してしまう。
劇中に登場する三機のスピットファイアは現存する実機(Mk.IAsを2機、Mk.VBを1機)を飛ばし、ドイツ軍のメッサーシュミットにはスペイン空軍の同系統機であるイスパノ・ブチョンを代用した。さらにノーラン監督は、博物館に展示されていたフランス海軍駆逐艦マイレ=ブレゼを修復し、実際に海に浮かべてしまった。監督の断固たる意地が、われわれ観客をリアリティの極限へと誘っているのだ。
異なる体験を描いた三つの時間軸
戦争映画でよく見る兵士たちの回想や出自、感情移入を煽る切ない逸話などという演出は本作では殆どみられない。まして台詞も多くはなく、映画は全てを語ろうとはしない。
本作は三つの異なる時間軸で描かれ、それぞれ「防波堤: 一週間の出来事」「海: 一日の出来事」「空: 一時間の出来事」の三つの体験を交錯する。極限状態に置かれた兵士たちの戦争群像劇である。
“防波堤の一週間”では市街戦から逃れた英軍の若き兵士トミー(フィン・ホワイトヘッド)が、ギブソン(アナイリン・バーナード)、アレックス(ハリー・スタイルズ)らと協力し、浜辺からの決死の脱出劇を描く。
“海の一日”では同胞の救助に向かうべく、イギリスの港から出港した民間小型船の船長ミスター・ドーソン(マーク・ライランス)とその息子ピーター(トム・グリン=カーニー)、ピーターの友達ジョージ(バリー・コーガン)を軸に、ドーヴァー海峡を渡る壮絶な一日を描く。この時点で観客たちは恐怖と希望を交互に味わう、不安定な興奮状態に置かれることだろう。
“空の一時間”ではスピットファイアを駆るイギリス空軍のファリア(トム・ハーディー)の視点で、海上で猛威を振るうドイツ空軍との手に汗握るドッグファイトを描き、燃料が尽きるか尽きないかの緊迫した様相を巧みに演出する。
先の項で述べた圧倒的な音響も同期し、戦争スリラーと画される理由がここに散在する。三つの時間軸では海が陸を目指し、陸が海を求める。そして空は陸と海を繋げる架け橋の役割を務め上げるのだ。
三つの異なる時間軸はそれぞれ時計の秒針、短針、長針のごとく違う文字盤を示し、陸・海・空、全ての針が重なる一瞬、独立した物語は一直線に繋がる。そして針はまた動き出す…。
体感型と評される由縁はこれらの要素が交錯、共存し、単に“観る映画”ではなく“感じる映画”として巧妙に仕組まれている。映画史に残る傑作と称するに相応しい作品として、今後も語り継がれるであろう記念碑的作品が、いまここに誕生した。なにかひとつが欠ければ、体感型の評価は決して得られなかっただろう。