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『マッドマックス』ジョージ・ミラー監督、AIは「平等」であり「芸術は進化すべき」 ─ 「写真が登場した時もよく似た議論があった」

ジョージ・ミラー
Photo by Georges Biard https://commons.wikimedia.org/wiki/File:George_Miller_Cannes_2016.jpg

『マッドマックス』シリーズのジョージ・ミラー監督が、オーストリアで開催されるAI生成映画のための映画祭「オムニ1.0 AI映画祭」で審査員長を務める。

The Guardianにて、ミラーは、ストーリーテリングにおけるAIの役割の変化に「強い好奇心を抱いて」審査員長を引き受けたことを認めた。この映画祭は、フィルムメイカーと技術者たちが集うことで、人間の想像力と機械学習の融合によって映画の物語がいかに進化するか、そこにはどんな倫理的ジレンマがあるかを探求するもの。応募作品は盗作などを防ぐため、厳格なガイドラインに基づいてしっかりと審査される。

現在、ハリウッドや世界の映画産業では、雇用機会の減少や、俳優の見た目や声が無断で使用される可能性から、生成AIの使用を強く拒否する動きが続いている(SNS上でも同様だ)。しかしながら、生成AIを導入した映画製作の動きは確実に存在しており、おそらく止めることはできないだろう。

「映像制作において、AIは最も劇的に進化しているツールと言えます。ひとりのフィルムメイカーとして、私はいつもツールの影響を受けてきました」とミラー監督は言う。インディペンデント映画から出発し、アクション大作や3DCGアニメーション映画『ハッピー フィート』シリーズなどを手がけてきたからこその説得力だ。

映画界とAIの現状を、ミラー監督は絵画史における“ルネサンス期”にたとえる。「人間の創造性と、機械の能力のバランスこそが議論と不安の核心」なのだと。

「(ルネサンス期の)変化は議論を呼びました。真の芸術家は修正なしにキャンバスに没頭すべきだと主張する人もいれば、新たな柔軟性を受け入れる人もいた。19世紀半ば、写真が登場した時もよく似た議論がありました。芸術は進化しなければなりません。そして、写真が独自の形式となっても絵画は生き残りました。どちらも変化し、どちらも生き延びた。芸術は変化したのです。」

「AIは変化をもたらすため、今ここに存在している」のだという。「映像によるストーリーテリングは、(AIの登場で)才能がある人ならば誰でも参加できるようになります。10代にもなっていない子どもたちがAIを使っているのです。資金を調達する必要なく映画を作っている──少なくとも、映像をまとめている。とても平等なことです」。

一方、たとえ映画史に輝く名優を蘇らせようとしても、AIでは人間やクリエイティブの本質までは蘇らせることができないと主張した。

「人間の存在感や、共演者や監督、脚本家たちとの共同作業から生まれる演技、つまり本人の本質は失われます。それは歌であれ小説であれ、あらゆる作品に当てはまること。人間としての本質はそこにはありません。」

映画祭の選考基準は、“NetflixやHBOなどの大手プラットフォームで上映できるかどうか”だというから、あくまでも映画としてのクオリティが求められる。ミラー監督も、技術的な新しさに頼った「粗悪品」ではなく、共感できる作品であるかどうかが映画の価値だと強調した。「駐車場に着いた途端に忘れてしまう映画もあれば、一生忘れられない映画や、自分が世界を認識する方法になってくれる映画もあるわけです」と。

ちなみに、ミラー監督に審査員長を依頼した、映画祭代表のトラヴィス・ライス氏の姿勢もきわめて挑戦的だ。「“人間には特別なものがある”という考え方は魅力的ですが、すでに空虚でつまらない、中身のないコンテンツは山ほどある」と言う。「私たちは、派手な技術のデモ映像やバイラル動画、くだらない使い捨てのミームではなく、切実な物語を紹介したいのです」。

Source: The Guardian

Writer

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稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。THE RIVERほかウェブ媒体、劇場用プログラム、雑誌などに寄稿。国内の舞台にも携わっています。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。

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