傑作ホラー『ゲット・アウト』はアメリカ黒人差別を多面的に描く―「シドニー・ポワチエ問題」について

白人で進歩的な考え方を持っていると自負していた新聞社代表のドレイトンは、娘の結婚相手と会って驚いた。知的で穏やかな紳士だが、肌の色が黒かったのだ。ドレイトンは自分の中にも根付いていた差別意識に戸惑いながらも、心の底から娘を祝福できない。そう、現実の差別は本や新聞で読むものとはまったく違う。身近に起こって初めて自覚できる感情なのだ。

『ゲット・アウト』の元ネタは 

スタンリー・クレイマー監督『招かれざる客』(1967)はアメリカの人種問題を考えるうえで貴重な作品である。娘の結婚相手を演じたシドニー・ポワチエは1963年『野のユリ』で黒人として初めてアカデミー主演男優賞を受賞した。いわば、黒人俳優の先駆者的存在だ。ポワチエは紳士的な物腰で、インテリ層の役柄を得意とした。これまでアクション映画の暴漢や貧民しか役を与えられなかった黒人俳優のイメージを更新したのだ。

しかし、実際のところポワチエの全盛期だった50年代~60年代のアメリカ黒人たちは圧倒的に白人よりも裕福ではなかった。学費がないのでインテリな仕事に就ける黒人は少なかったし、犯罪率の多い地域に住んでいる黒人たちも多かった。21世紀、状況は多少改善されたとはいえ、いまだに人種差別はアメリカ国内で続いている。罪のない黒人が迫害され、ときには命すら奪われる事件は絶えない。 

ポワチエは黒人のイメージを良くしたが、「真実」を伝えたわけではない。『ゲット・アウト』(2017)は『招かれざる客』を下敷きにしながら、主人公をよりリアルな黒人に設定した。『招かれざる客』と同じく黒人男性であるクリス(ダニエル・カーヤ)が白人の彼女の両親に挨拶する物語だが、クリスは決してインテリではない。カメラマンとして安定した仕事には就いているものの、ジョークは軽快だしファッションもカジュアル、黒人の友人同士とはきわどいジョークも飛ばす。そう、『ゲット・アウト』は『招かれざる客』を現代的にアップデートした映画なのだ ── でも、それだけじゃないんだよな!

白人化する黒人たちと黒人に憧れる白人たち

いくらなんでもネタバレ中のネタバレになるので終盤の展開を詳しくは書かない。しかし、クリスは彼女の実家、ローズ邸で非常に肩身の狭い思いをする。白人たちの集団にもなじめないが、もっとも違和感を抱いたのは数少ない黒人たちの様子だ。まるで19世紀の農場主のように、ローズ家には老いた黒人の使用人たちがいた。話しかけても上手く意思の疎通ができない。そして、来客の一人に若い黒人を見つけたクリスはようやく安心して仲良くなろうとする。
ところが、彼はジャケットスタイルに身を包み、クリスの差し出した拳を普通に握手した。黒人同士なら、拳を付き合わせるのが挨拶なのに…。しかも、彼はジャズ・ミュージシャンだったと後で分かる。黒人音楽の代表的ジャンルに打ち込んでいた人間がまるで白人のように変わっていた。ローズ邸に集まった人々は親切だが、「黒人ならゴルフが上手いでしょ?」「夜のほうもすごいのよね」と偏見にあふれている。クリスは気が滅入ってしまう。どうして、同じ黒人のあいつらはこんな白人たちの中にいて平気なんだ? 

ゲット・アウト

© Universal Pictures

クリスの疑問には意外なオチがあるのだが、ここでは『ゲット・アウト』がクリスの心象を通して描いている世情を説明したい。黒人差別が吹き荒れていた時代から、黒人の知識人や芸能人は「白人化」することで地位を築こうとした。シドニー・ポワチエが一部の黒人から嫌われていたのは彼の立ち振る舞いが白人そのものだったからである。現代でも「白人化」した黒人俳優は少なくない。ウィル・スミスは2016年のアカデミー賞を「黒人ノミネートがいない」という理由で欠席するなど、黒人の誇りをまったく捨てているわけではない。しかし、出演作品ではエリート役を好んで選んでいるし、ラッパー出身であるにもかかわらずスクリーンではスーツ姿ばかりだ。まあ、そもそもラッパー時代の楽曲もまったくストリート感覚がない「デトックスされた音楽」だったのだが。

しかし、ポワチエやスミスを「裏切り者」扱いするのはお門違いだろう。ハリウッドで生き残っていくためには、中枢のお偉い方と多くの観客に受け入れられるためのイメージ作りが重要だったという話だ。そして、アメリカでは黒人の文化に白人が憧れて吸収していくという逆転現象も起こっている。音楽界は典型だろう。エミネムのように黒人に囲まれて少年時代を過ごした白人ミュージシャンはともかく、黒人文化だったラップを白人受けのいいメタル風サウンドに乗せて歌う「メタル・ロック」は90年代に大流行した。ロックンロールもそもそも、ブルースなどの黒人音楽を白人が発展させたジャンルだ。普段は白人層から恐怖の対象である貧困層の黒人も、スポーツ選手になったら白人の観客から大喝采を浴びせられる。アメリカ白人は黒人への差別を終わらせない一方で、黒人の感性や肉体に憧れを向けているという矛盾した心理を働かせているのだ。

あなたはどちら側の人間か?

もちろん、全ての白人がこうした矛盾を抱えているわけではない。しかし、「自分に差別心はない」と考えている人にこそ、複雑な差別心は生まれているといえる。日本でもラップブームに乗って「黒人になりたい」と口にする少年少女が増えてきた。しかし、彼らの大半は黒人の「リズム感」や「身体能力」が欲しいだけであって、黒人のメンタリティーや社会的立場まで言及しているわけではない。人間を形成しているのは肉体だけでなく、それぞれの文化圏が積み上げてきた歴史だという発想が欠落しているのである。何もラップに興じる少年少女を批判したいわけではなく、同様の迂闊さはそれなりのステータスを獲得しているはずの人間にさえ見られるのだ。

『ゲット・アウト』は容赦なく「差別などしていないよ」と主張したがる人々の欺瞞を暴く。我々はクリス側なのか、それともローズ側の人間なのか?その答えを考える時間こそがもっとも恐ろしい。

About the author

京都在住、農業兼映画ライター。他、映画芸術誌、SPOTTED701誌などで執筆経験アリ。京都で映画のイベントに関わりつつ、執筆業と京野菜作りに勤しんでいます。

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