『夜に生きる』予習に─ベン・アフレック監督デビュー作『ゴーン・ベイビー・ゴーン』を観ておくべき理由
来る2017年5月にベン・アフレックの監督最新作『夜に生きる』が日本で公開されます。同作のアメリカでの公開は2016年。ベン・アフレックの監督デビューが2007年ですので、目出度く監督として十年目のキャリアを迎えたことになります。

『夜に生きる』予習 ─ ベン・アフレックの真価とは
ベン・アフレックといえば、かつてはスターでありながら「大根役者」というイメージが定着してしまっているちょっと残念なセレブでした。
実際、俳優として多くの作品に出演こそしましたが、主要な映画賞に絡むことはほぼ皆無(『ハリウッドランド』でヴェネチア国際映画祭の主演男優賞受賞を受賞したのが今のところの俳優としてのキャリアのハイライト)で、逆に不名誉の極みであるゴールデンラズベリー賞は受賞三回。『チーム アメリカ/ワールドポリス』(2004)では「ベン・アフレックに演技学校が必要なように僕には君が必要」と茶化されてしまうなどどうにも映画人からあまり敬意を払われていないフシがありました。
ですが、その評価が最近では大きく変わってきています。監督として功績によるものです。
『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(1997)で脚本家としてアカデミー賞を受賞しており元々作り手としての才覚はあったのでしょう。しかし、脚本家としての能力と監督としての能力は別物です。例えば、デヴィッド・フィンチャーは現代最高の映画監督ですが完全なる監督専任です。
スティーヴン・ザイリアンは脚本家として多大な功績を残していますが、これまでに発表した監督作品三本は彼の脚本家としての評価に比べるとかなり格落ちします。それだけにベン・アフレックの監督デビュー作『ゴーン・ベイビー・ゴーン』(2007)は衝撃的な作品です。
原作の『愛しき者はすべて去りゆく』は人気作家デニス・ルヘインによるボストンを舞台とした「私立探偵パトリック&アンジー」シリーズの4作目です。本作はシリーズものの一編ではありますがずっとコンビを組んできたパトリックとアンジーが真犯人に対する対応の考えの違いから袂を分かつシリーズの分岐点となる一編でありシリーズの中でも最も独立感が強い一編です。シリーズの中でも最も一本の独立した映画にするのに適した作品と言えます。余談ですが私が思うに映画作りで最も重要なのは「企画」です。
企画が駄目なものは何をどうやっても駄目です。とある業界関係者の話では、会議室で政策委員会のお偉方の話し合いから生まれるような代物が少なからず存在するそうですが、素人その場で考えた当たり障りのない企画など面白いはずもありません。映画のコンテンツを作るのは監督であり脚本家であり、出演者であり撮影や録音などの技術スタッフであるわけですが、企画という土台が駄目では面白くなどなるわけもありません。
ベン・アフレックはデビュー作の『ゴーン・ベイビー・ゴーン』ではまだプロデューサーに名前を連ねていませんが、『アルゴ』(2012)ではアカデミー賞で本命と言われた監督賞を逃したもののプロデューサーとして作品賞を受け取っています。このへんに企画に対する嗅覚の良さも感じます。
話が脱線してしまいましたが、なぜ十年前の映画である『ゴーン・ベイビー・ゴーン』について今更取り上げるかというと、この作品が最新作の『夜に生きる』と企画面で類似性が高いからです。同一の原作者でどちらも舞台がボストン、ジャンルもサスペンスで一致しています。そう言うわけで今回は『夜に生きる』のおさらい的な意味で監督ベン・アフレックのデビュー作を取り上げてみようと思った次第です。
空気まで伝わるような臨場感
『ゴーン・ベイビー・ゴーン』は、まず作品の舞台となるボストンの光景やそこに暮らす人々の姿の点描から始まります。取り留めのなり点描はやがて誘拐事件が発生した現場へと収束していきここからはっきりと物語がその形を成し始めます。この街全体の姿というマクロの視点から誘拐事件関係者たちというミクロの視点に収束していく語り口が絶妙で、すでに監督ベン・アフレックの溢れんばかりの才覚が感じられます。
ですが何よりこの数分のオープニングシークエンスには監督ベン・アフレックの特に優れた美点がすでに姿を現しています。それは空気感の演出です。