『ハクソー・リッジ』でメル・ギブソンが示した「信仰心」と「誇張表現」

メル・ギブソン10年ぶりの監督作となる『ハクソー・リッジ』(2016)は好評を持って迎えられました。
同作は第89回アカデミー賞において録音賞と編集賞を受賞し、メル・ギブソン自身も監督賞の候補となりました。
身から出た錆とはいえ、2006年以降の10年はメル・ギブソンにとって受難の時代でした。
2006年の反ユダヤ発言に始まり、離婚、恋人へのDVとすっかりダーティなイメージが染みついてしまい、映画人としての活動も芳しくないものでした。
しかし私個人にとっては少なくとも「映画監督メル・ギブソン」は憧憬に値する存在であり復活の日を心待ちにしていました。
そして『アポカリプト』(2006)以来、10年ぶりの監督作です。
前作から10年の経過が経過していましたが、いい意味でも悪い意味でも彼の作家性は変わっていませんでした。彼の作家性は2つのキーワードを以って表現することができます。「信仰心」と「誇張表現」です。

【注意】


この記事には、映画『ハクソー・リッジ』の内容に触れています。

厚い信仰心

『ハクソー・リッジ』は沖縄戦で衛生兵として従軍し良心的兵役拒否者でありながら異例の名誉勲章を受章したデズモンド・ドスの実体験を元にしています。
デズモンド・ドス(劇中ではアンドリュー・ガーフィールドが演じている)はキリスト教系の新宗教であるセブンスデー・アドベンチスト教会の熱心な信者で「殺人行為の拒否」を死守しながら衛生兵として75人もの命を救うという偉業を成し遂げました。

© Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

© Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

メル・ギブソンは熱心なカトリック教徒で純血主義者であり、この映画のデズモンドの造形にはメル・ギブソンの強烈な共感を感じます。
懐には聖書を忍ばせ、安息日を守り、戦闘前には祈りを捧げる。
デズモンドが頑なに暴力を拒否するのは父の家庭内暴力というパーソナルな要素が含まれていますが、信仰の問題は無視できません。
劇中に「右の頬を差し出せらたら左の頬を差し出しなさい」という聖書の言葉(出典はマタイによる福音書)が引用されていますが、
この言葉は突き詰めると「暴力は暴力を生む」という教えによるもので、イエス・キリストによる暴力の否定の最も有名な言葉です。

デスモンドは暴力の拒否を徹底します。他の訓練兵たちから嫌がらせを受け、休暇を認可されず、営倉に入れられて軍法会議にかけられても尚、射撃訓練を拒否します。その愚直なまでの信仰心には狂気すら感じられます。
私をはじめ、多くの日本人は信仰心が薄いと言われてます。彼の徹底した行動に狂気を感じたのは私だけではないことでしょう。
キリスト教の生まれ故郷である欧州でも今日においてキリスト教の占める地位は低下しています。欧州人の観客もデズモンドに対して幾らかの距離を感じたのではないでしょうか。
現代においてキリスト教の中心地はアメリカです。アメリカにおけるキリスト教信者数は2億人以上、5人中4人がキリスト教徒だと言われています。これほどまでに愚直な信仰心を描けるのもメル・ギブソンがアメリカ人だからこそなのでしょう(オーストラリアでデビューしているのでオーストラリア人だと思われているようですが、メル・ギブソンはアメリカ生まれのアメリカ人)。

© Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

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映画のラストシーンで戦場となった崖から、負傷したデズモンドがロープで降ろされます。
吊るされたデズモンドからドリーバックして画面が引きになると、まるでロープで吊るされたデズモンドが宙に浮いているかのような描写になります。
デズモンドは吊るされながら宙を見上げていますが、この時彼は何を見たのでしょうか。
私は天のいと高きところにいる存在を彼が仰ぎ見ているように感じました。

誇張表現

メル・ギブソンは目に見える部分のリアリティーにこだわる一方、内容的には多分なフィクションを含ませる癖があります。
『ブレイブハート』(1995)が西洋剣の持ち方からキルトの着方まで見た目のリアリティーにはこだわった一方、「イングランド王妃イザベラ・オブ・フランスとスコットランド反乱の英雄ウィリアム・ウォレスのロマンス」という予備知識のない人間でも「嘘だろ」と思うようなフィクションを盛り込んでいました。(過去の拙記事をご覧ください)

誇張表現の癖は10年のブランクを経た今作では変わっていません。
その最たる例が沖縄戦におけるデズモンドの活躍です。デズモンドは75人の命を救いましたが、それはある程度の期間で達成されたものです。ですが、劇中ではその偉業はあたかも一晩で成し遂げたかのように描かれています。たしかにドラマチックではありますがそれと同時に嘘臭さも感じてしまいます。

しかし、これが必ずしも欠点にならないのがメル・ギブソンの特徴です。
彼の演出は一言で言うと「劇的」です。
トレードマークとなったスローモーションの多用に強烈な音響効果、苛烈なバイオレンス表現はギャグ一歩手前か一歩踏み込んでしまっているかギリギリのラインの演出です。
それゆえに内容的誇張が表現的な誇張とうまい具合にかみ合っています。
いくら攻撃を受けても果敢に突進してくる日本兵は見る者に恐怖を想起させ、まるで人間ではなくゾンビでも相手にしているのではと思えてきますが、誇張表現という彼の芸風のせいか不思議と見ていて腹が立ちませんでした。
内容的誇張と表現的誇張のどちらかが欠けてしまったらきっと彼の映画はもっと味気ないものになってしまうことでしょう。

© Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

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今作に関しては『ブレイブハート』以来、メル・ギブソンとは2度目のタッグとなるランダル・ウォレスが脚本に参加していたのも誇張度合いを推進していたものと思います。ランダル・ウォレスは歴史ものを担当する場合でも史実よりドラマ性を優先する傾向にあり、その芸風が『パール・ハーバー』(2001)では全くの裏目に出てしまっていました。ウォレスの場合によってはチープさを感じさせてしまう作風ですが、今作に関しては、少なくとも見た目のリアリティーにはこだわるメル・ギブソンの芸風で、ある程度嘘臭さが中和されています。それと同時に史実よりドラマチックさを優先するウォレスの作風が、劇的なギブソンの映像表現を推進しており二重の効果を得ています。企画進行が難航しているとの情報が入っていますが、ギブソンとウォレスは次のギブソン監督作でもタッグを組んでいるとのこと。やはり相性がいいのでしょう。

© Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

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また、相変わらず戦闘演出は最高でした。大規模に大勢が入り乱れる戦闘はやり方を間違えると「何が起きているのかわからない」という結果になってしまいます。
マイケル・ベイの監督作がその例で彼の映画は『どこに誰がいて誰と戦っているかわからない』という状態がしばしば起きています。
メル・ギブソンは『ブレイブハート』のコメンタリーで戦闘シーンについて「シンプルを心掛けた」と語っていましたが、『ハクソー・リッジ』も劇的でダイナミックでありながら構成が見事で「どこで何が起きているか」がクリアにわかるように作られています。
彼が一流の映画監督であることを思い知らされます。

第一線であることを証明して見せた

今作を見てメル・ギブソンがやはり第一線の監督であることを思い知らされました。それと同時に人の根本は変わらないのだなとも感じさせます。
しかし、彼の思想はどうあれ、メル・ギブソンが確かな個性を持った一級品の映像作家であることもまた確かです。
次回作として北欧のヴァイキングを題材にした『Berserker』が企画進行中という情報が入っています。
現時点で入っている情報によると一大叙事詩となるとのことで、彼が得意とする大規模の映画になりそうです。
制作が難航しているようですが、ぜひとも実現してほしいところです。

About the author

フルーエンジニア兼任のウェイブライターです。本職の傍ら映像制作にかかわっています。  何かあれば(何がかわかりませんが)こちらへどうぞ→scriptum8412@gmail.com 記事のご依頼、あるいは拙作を公開してくださる奇特な劇場主方等大歓迎です。

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