【解説】『猿の惑星:聖戦記』に広がる世界の可能性 ─ 人類は他者への「恐怖」を乗り越えられるのか?

シーザーは人類による実験の末、高度な知力を獲得した猿たち(エイプ)のリーダーである。シーザーたち進化したエイプは山奥に集落をかまえながら、いまや絶滅寸前となった人類たちの攻撃をはね返し続けていた。しかし、穏健派であるシーザーは自ら人類に攻撃を加えはしない。彼が望んでいたのはあくまでも人類との共存路線だった。冷酷な「大佐」によって妻子を殺されるまでは…。
『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』(2017)は『猿の惑星:創世記』(2011)『猿の惑星:新世紀(2014)』に続くリブート版『猿の惑星』3部作の完結篇となる力作である。そして、前2作同様に世界が抱える「闇」と正面から向き合う内容だ。

アメリカ・インディアンと酷似したエイプたちの境遇
エイプたちの生活様式はアメリカ・インディアンのそれと酷似している。そして、家族を殺されて人類への憎しみを爆発させるシーザーは、西部開拓時代のインディアンを連想させる。(アメリカはインディアンから土地を奪い、虐殺を繰り返して建国された国家だ)また、ゴリラのレッドをはじめとして人類側に協力しているエイプも多いが、これも西部時代のアメリカでインディアンが白人開拓者に協力していた史実と重なる。先住民を排除しようとしていた開拓者にどうしてインディアンが加担していたのかというと、敵対する種族を攻撃する代わりに自分たちの安全を確保したかったからだ。『ワイルド・アパッチ』(1972)などの西部劇でも白人に味方するインディアンと敵対するインディアンの対比が描かれていた。人類側のエイプたちは背中に“DONEKY”と書かれている。「うすのろ」「でくのぼう」という意味だ。レッドたちは種の尊厳とひきかえに人類から身の安全を保証されている。
大佐は『地獄の黙示録』のカーツと同じなのか?
大佐はかつて動物園だった場所に軍隊を置き、拠点としていた。偵察に向かったシーザーは仲間たちが捕らえられ、拷問を受けている姿に遭遇する。ほどなくしてシーザーも捕虜となり、大佐と対面する。大佐の軍隊はアメリカ軍から離脱し、単独行動を続けていた。大佐は捕虜にしたエイプたちを強制労働させ、要塞を築こうとしている。大佐の軍隊はアメリカ軍から反乱軍と認識されており、やがて到着する討伐隊と全面戦争を行うつもりだ。
大佐が米軍から離脱したのは、エイプたちが撒き散らしたウイルスの影響について上層部と決裂したからである。ウイルスは人間から言葉と知性を奪いつつあった。ウイルスの威力を重く見た大佐は意見の異なる司令官を殺し、軍から追われる身となった。ウイルスから人類を守るにはエイプを根絶やしにし、感染者をすぐに処刑しなければいけない。大佐は部下だった感染者さえも無慈悲に殺していく。大佐は自らの行動をこう呼ぶ。“Holy War(聖戦)”と。
しかし、大佐とカーツには決定的に異なる部分がある。カーツは戦争にとりつかれた本物の狂人だった。一方、シーザーに自らの行動原理を説く大佐の口調はむしろ、理論整然としている。大佐はシーザーの復讐の動機を私怨だとして論破しようとする。大佐は「自分がシーザーの家族を殺したのは“Act of War(戦争行為)”だから正当化される」と主張する。逆に、シーザーが行おうとしている復讐には正義がないのだと。確かに筋が通っているように聞こえるが、そもそもエイプへの攻撃は大佐が一方的に仕掛けたことである。シーザーたちにとって戦いは「戦争」ではなく「防衛」なのだ。そう、大佐は何かを言葉で取り繕っている。それは「恐怖」という感情ではないだろうか。