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リドリー・スコット、学生時代を語る ─ 「補助金で暮らしている貧乏学生だった」【インタビュー】

『ハウス・オブ・グッチ』リドリー・スコット監督
ⓒ 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.

巨匠リドリー・スコット監督による最新作『ハウス・オブ・グッチ』が、2022年1月14日より日本公開となる。誰もが知るファッションブランド、“GUCCI”。グッチ家崩壊の実話を、スリリングかつサスペンスフルに描く大作だ。出演はレディー・ガガほか、アダム・ドライバー、ジェレミー・アイアンズ、アル・パチーノ、ジャレッド・レトら超豪華な面々が集っている。

THE RIVERでは、この作品のため行われたリドリー・スコットのインタビューに参加。『ハウス・オブ・グッチ』に関する解説はもちろん、自身の学生時代のエピソードや、監督の作品にしばしば登場する「強い女性」についても、たっぷり語っている。

『ハウス・オブ・グッチ』リドリー・スコット監督
ⓒ 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.

『ハウス・オブ・グッチ』リドリー・スコット監督 インタビュー

──本作は、ファッション帝国を扱った映画でありながら、ギャングスタ映画的なトーンも感じました。ゴージャスな衣装を撮っている時でさえ、色彩度が低めだったこともあるかと思います。また、当初はロバート・デ・ニーロがロドルフォを演じることになっていたと聞くと、自然に『ゴッドファーザー』のことを思い出しました(アル・パチーノも出演していますし)。監督は、この作品は殺人ミステリーではないと考えていらっしゃるようですが、ギャングものの要素はあると思っていますか?グッチ家についての映画にこういうトーンを持ってきたところが興味深いと思っています。

ギャングスタとは何だろうかと考えると、それは違法行為をする者たちのことだから、グッチ家はそれに当たらないと思います。もちろん、アル・パチーノ演じるアルドは脱税と言う意味では一線を越えるけれど。彼はコピー商品を作り、海外で安く販売していたが、その利益を申告しませんでした。つまり、それは本質的にはブラックマネー。税金として申告していなかったんです。そういう意味では、彼は法を犯しはしたが、彼らはギャングとは言えません。

でも面白いなと思うのは、実は準備中に全編モノクロで撮ろうかとも思ったんです。デンゼル・ワシントンと作った『アメリカン・ギャングスター』も実はモノクロで撮ろうとしたんだけど、あの時はもちろんスタジオがOKしなかった。TVが壊れたんじゃないかって思われたらいけないって、そのぐらい単純な理由でね。本当ですよ(笑)。

でもそう、『アメリカン・ギャングスター』の作られ方は気に入っているんです。デンゼルが演じたフランクをわかりやすい悪役として描いていなかったからね。何なら、彼はベトナムを走り回り、中国人とヘロインの商談をし、戻ってくるような勇気のあるキャラクターだとも言える。肝っ玉が据わっている。面白いことに、パトリツィア・グッチもまた強いキャラクターで、すごい肝っ玉の持ち主です。何度も一線を越えてしまったけれど、あまりに豪胆でどこか敬意さえ感じてしまうところがある。男尊女卑だったアルドが彼女に向かって「これは男の話だ、女の出てくる話じゃない」と言うが、どんな男とも張り合えるぐらい強いパトリツィアに対して最も言うべきではない言葉でしたね。

『ハウス・オブ・グッチ』リドリー・スコット監督
ⓒ 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.

──『ゲティ家の身代金』(2017)も実在する金持ちファミリー×スキャンダルでした。この組み合わせのどこに惹かれるのでしょう?

どんな映画も、物語も、小説も、その中に挑戦がなければいけません。そうでなければ、そこには物語などないわけだから、それはドラマというものの根本的な基本です。そして、コメディだったというところですね。グッチの物語を見ていたら、その多くがあまりにも突飛で、ほとんど滑稽に感じたんです。これは風刺だなと。起きることが風刺としか言えないようなことでしたから。まるで15〜16世紀のボルジア家やメディチ家を模倣したかのように、家族として自滅していった。すごく似ています。唯一の違いは、服が違うこと。彼らが乗っていたのは、馬に引かれた素敵な馬車ではなく、素敵な車だった(笑)。面白いと思いましたね。私はそうやって、現実の、より面白味のある側面に興味を惹かれるんです。とは言え、コメディ調だったり、コメディにするつもりはなかったけれど。

でも、例えばジャレッド・レト演じるパオロ・グッチは私らの知る範囲で実際の服装をコピーしました。彼は実際にああいう格好をしていたし、ああいう服を身に着けていたんです。パオロが話しているところはあまり記録として残っていないが、多分心優しい、人の好い人物だったのではないかと思うんです。実際よりも自分に才能があると信じていた彼は、グッチという会社における時限爆弾でした。パオロは自分の服飾ラインにグッチの名前を使おうと望んでいたが、グッチはそれを望んでいなかったからね。それが大きなハードルのひとつになった。

そしてもちろん、マウリツィオの妻として進化したパトリツィア・グッチが、自分にも家業に口出しをする権利があると感じ始めた時に……その権利は彼女にはなかったから、そういう行動を取ったことで、マウリツィオを遠ざけてしまい、そこでジグソーパズルにひびが入り、壊れていったんです。とても興味深く、複雑なストーリーです。まるで組み立てたレゴが崩れていくような感じ。

『ハウス・オブ・グッチ』リドリー・スコット監督
ⓒ 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.

──『ゲティ家の身代金』も実在の事件を元にした映画でした。そういう題材を扱いながらも、エンタメ性のある、興行成績的にも成功するような作品にするためにどんなことに留意されましたか? 

フィルムメーカーとして行き過ぎの暴力表現には気をつけなければいけないと思っています。特に伝記ものを作っている時は、敬意の念を持つ努力が必要だし、無分別な暴力表現には気をつけなければいけない。とは言え、夫を殺害し、父親は脱税で服役しているとなれば、権利なんてないんです。申し訳ないですけど。そこまで行ったら、もうパブリック・ドメイン(公有財産)の範囲。そこまでだよね。

グッチ家の人々が文句を言っていることは、このストーリーと何ら関係はない。彼ら自身もグッチ帝国と何の関わり合いもない。それはとっくに彼らの手を離れていたのだから。グッチが買収され、トム・フォードが雇われた時にね。そうでしょう?グッチのビジネスに関わっているグッチ家の人間はもういないんです。

──あなたは“世界”を構築する第一人者です。70年代のイタリアやニューヨークを再現する上でもっとも留意した点は?そこに、あなたが実際に70年代に感じていた要素や記憶は含まれていますか? 含まれているのなら、どこか教えてください。

イタリア映画やフランス映画に何が起こったんだろうね?(あの頃の作品はどれも素晴らしかったのに。)いや、本当に。

当時はフランス映画やイタリア映画を観るためにナショナル・フィルム・シアターやロンドンのアートハウス系の映画館に通っていましたよ。特にフェリーニやアントニオーニらのイタリア映画は傑出した芸術作品だった。映画はアートだったんです。日本映画もまたアートだった。黒澤からはたくさんのことを学びましたよ。そう、60年代、私は学生だった。映画学校には行ったことがない。グラフィック・デザインを学んでいて、腕のいいグラフィック・デザイナーでした。そこから映画を、と思ったが、当時は道がなかったので、弟のトニー・スコットと自腹で100ドル出して…100ミリオン・ドルじゃないよ(笑)、小さな映画を作った。その作品は今でもブリティッシュ・フィルム・インスティテュートで観られます。『Boy and Bicycle』というタイトルで、不思議なことに(映画として)ちゃんと成立しており、これをきっかけに映画を作りたいと思うようになった。そこから始まったんです。

──70年代に感じた空気感みたいなものは反映されているのでしょうか?

みんな、スウィンギング60sとかスウィンギング・ロンドンとか言うけど、私は学生でお金がなかったから、全然スウィンギングしていなかった(笑)。お金がなかったから全然遊べなかったんです。だから覚えているのは、大学に残れるようにずっと勉強/仕事をしていたことだけ。それはいいんです。多くの学生が同じような経験をするし。

でも文字通りいつも勉強と仕事をしていたから、ロイヤル・カレッジ(オブ・アート)から高く評価されて、奨学金を得てそのプログラムの一環としてアメリカに1年行き、レキシントン・アベニューで広告業界に触れ、色々と新しいものを発見した。でも私はまだ補助金で暮らしている貧乏学生だったから、とても豊作だった偉大なファッション・フォトグラファーたちをフェンス越しに見ているような感じでした。

当時はファッション・フォトグラファーになりたかった。それに惹かれたんです。スチールは結構上手だったから、スチール写真に興味があった。人生って本当にちょっとしたことで変わるところが面白いけど、NYに行った時に、バート・スターンという人物に電話をかけた。彼は60年代、70年代、そして80年代にも活躍したファッション・フォトグラファーで、もしかしたらまだ存命なんじゃないかな?マリリン・モンローがネガに×印をつけた一連の有名な写真を撮った写真家で、そのことには怒っていたけど、そんな彼と一緒に座って、モンローが前日に印をつけたネガを見せてもらったのを覚えています。今となっては印入りのネガの方が価値があるのかもしれないね。それはともかく、私は当時、彼がやっているような仕事がしたかったんです。それほど惹かれるものを感じた。そうやって、私もまた、スウィンギン60sと70sと言われる時代を少しは目にしたんです。

──その感覚や経験を反映させることは重要でしたか? 

うん。彼はすばらしい写真家でしたからね。他にも時代的にはウィリアム・クラインもいた。彼は東京、NY、ローマをテーマにしたすばらしい写真集を出しているけど、今回はクラインをベースにしているところがかなりある。ストリートにファッションを持ち込んだのはクラインだと思いますしね。

──あなたは『エイリアン』のリプリーのときから強い女性を描いてきました。あなたが考える強い女性の条件とは何でしょうか?その条件に今回のパトリツィアは当てはまりますか?

デミ・ムーアを忘れてはいけないよ。『G.I.ジェーン』(1998)は忘れられがちだけど、私が手がけた女性の物語の中でも、デミが一番強いと思っています。まず、女性がネイビー・シールズになろうとするあの世界観。ネイビー・シールズとは、マッチョな男性性の象徴のような場所だけど、彼女はその特殊部隊に貢献する資質を持っており、その一員になりたいと思っている。その上、あの映画の悪役も女性上院議員を演じるアン・バンククロフトだ。バンクロフトは通常ではなかなか女性が入れない軍の分野に女性が投入されることを支持しているように見られたくて、策を打つ。デミが失敗することを目論んでね。もちろんデミは失敗はしないわけですけど。『G.I.ジェーン』はいつも忘れられがちだけど、デミは素晴らしかった。もちろん『テルマ&ルイーズ』や『エイリアン』もそうだけど、私が手掛ける作品にはどれもとても強い女性が出てくる傾向があるんです。 

──その女性キャラクターたちの何をもって彼女たちは強いのだと感じますか?また、パトリツィアもその1人だと思いますか?

私に言わせれば、男性と女性とで差はない。私はそうやって育てられたんです。母親は5フィート2インチ(158cm)の強い女性で、3人の男の子を育てた。その一人が『トップ・ガン』や『ビバリーヒルズ・コップ2』を監督したトニー・スコットで、兄も27歳で自分の船を持ち、上海からオーストラリアまで南シナ海を航海していた。母はとてもいい仕事をしましたよ。 

──パトリツィアは強い女性として見ていましたか?

とてもとても強いと思います。少しだけでもやり方が違ったら、グッチ帝国のビジネス面の一部になれたかもしれないぐらいね。でも超えてはいけない一線を何度も超えてしまったし、はっきり言うと、無神経だった。彼女がもう少し繊細な人間だったら、いまグッチ帝国を仕切っていたかもしれない。まだ、70代、74とか75歳ぐらいだしね。面白いよね。彼女があんなことをしなければ、間違った形で一線を越えていなければ、グッチ帝国を牛耳っていたかもしれないんですからね。


『ハウス・オブ・グッチ』は全国公開中。

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Writer

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中谷 直登Naoto Nakatani

THE RIVER創設者。代表。運営から記事執筆・取材まで。数多くのハリウッドスターにインタビューを行なっています。お問い合わせは nakatani@riverch.jp まで。