早川雪洲、三船敏郎から忽那汐里まで ― 1950年代~現在、ハリウッドで活躍してきた日本人俳優たち

その後、ジョン・フランケンハイマー監督の『グラン・プリ』(1966)でハリウッドデビュー。「007」シリーズの監督で知られるテレンス・ヤングの『レッド・サン』(1971)では、チャールズ・ブロンソンやアラン・ドロンという米仏のスターとの競演を果たしています。しかし『スター・ウォーズ』(1977)や『ベストキッド』(1984)といった高い評価を得ることになる作品のオファーを断っているため、彼の海外でのフィルモグラフィは日本での功績に比べると見劣りする点もあります。もしもこれらの作品に出演していた場合、三船の今日の評価はどうなっていたのでしょうか。
三船が「世界のミフネ」と呼ばれるようになったころ、日本でキャリアを確立した俳優がハリウッド映画に出る例も散見されるようになります。日本映画界の大スターだった丹波哲郎は『007は二度死ぬ』(1967)に出演。少し時間を遡りますが、山村聰は名匠ジョン・ヒューストン監督の『黒船』(1958)に出演しています。
1970年代~1990年代
1970年の映画『トラ・トラ・トラ』は、真珠湾攻撃をアメリカと日本、双方の視点から描いた意欲作でした。当初は日本パートを黒澤明が担当して制作が進められていましたが黒澤は途中で降板。紆余曲折の末、舛田利雄と深作欣二が日本パートの監督に起用されます。同作はアメリカ映画にもかかわらず、日本パートはすべて日本語で描かれ、日本からも前出の山村聰や田村高廣といったスター俳優が出演しています。
その後、1979年には既にヒットメイカーとしての地位を確立していたスティーヴン・スピルバーグが『1941』で三船敏郎を起用。
スピルバーグは親日家として知られており、同じく太平洋戦争を題材にした『太陽の帝国』(1987)でも伊武雅刀をはじめ複数人の日本人俳優を起用しています。
名匠リドリー・スコットの『ブラック・レイン』(1989)は、日本の大阪を舞台にしていることもあり日本でも撮影が行われました。主要な役どころとして日本人のキャラクターが登場しており、高倉健と松田優作という二大スターが出演しています。とりわけ松田優作の演技は高い評価を受け、同作を観たロバート・デ・ニーロが彼との共演を熱望したともいわれているほどです。しかし、松田は癌で余命幾ばくもない状態で、『ブラック・レイン』は彼のハリウッドデビュー作にして遺作となってしまいました。40歳という早すぎる死でした。彼がもう少し生きていれば、ハリウッドにおける日本人俳優の系譜も変わっていたかもしれません。
また、同年にはアート系監督であるジム・ジャームッシュの『ミステリー・トレイン』(1989)に、アイドル女優だった工藤夕貴と永瀬正敏がアメリカ映画デビューを果たしています。
その後、1990年代は日本人俳優にあまり目ぼしい活躍が見られない時代でした。
日本を扱った作品には『ライジング・サン』(1993)がありますが、日米貿易摩擦をテーマにしたサスペンスながら日本を誤解した描写も多く、概ね正確だった『ブラック・レイン』や、限りなく緻密に取材された『トラ・トラ・トラ』と比較すると日本への理解が後退していた印象すらあります。
またウィリアム・ギブスン原作の映画『JM』(1995)では北野武がハリウッドデビューを飾っています。すでに映画監督として国際的な評価を受けていたため、その評価と知名度に引っ張られた形でしょう。そのほか、『シャイン』(1995)で知られるスコット・ヒックス監督の『ヒマラヤ杉に降る雪』(1999)には前出の工藤夕貴や鈴木杏が出演しています。
日本人俳優、続々進出 ― 2000年代
2000年代、日本人俳優たちは1990年代が嘘であったかのような目覚ましい海外進出を見せるようになります。
クエンティン・タランティーノのオタク趣味が全開になった『キル・ビル』(2003, 2004)には日本映画へのオマージュが大胆に詰め込まれており、アクションスターとして一時代を築いたサニー・チバこと千葉真一、当時10代だった栗山千明、名バイプレイヤーの國村隼や田中要次、北村一輝、いまや国内で高い人気を誇る高橋一生らが出演しています。キワモノ的な内容だったためか日本人俳優のその後の評価へは繋がりませんでしたが、同作は興行的には成功を収めました。
また同年、日本人俳優のハリウッドにおけるキャリアにおいて、極めて重要な映画が製作されています。
日本を舞台にした『ラスト サムライ』(2003)です。コミックのような内容だった『キル・ビル』に対して、『ラストサムライ』は徹底的にシリアスな映画でした。明治初頭の日本を舞台に、新時代の身分制度によって地位を失った「侍」の生きざまを描いており、細部を除けば日本人が見ても概ね違和感のない内容です。しかも日本パートは多くの部分が日本語でした。主演はトム・クルーズ、監督はエドワード・ズウィックという確固たるプロダクションで、これが俳優の追い風にならないはずがありません。
この映画には渡辺謙や真田広之、小雪など日本でもよく知られた俳優たちが起用されましたが、とりわけ高い評価を受けたのが渡辺謙でした。彼が演じた勝元はトム・クルーズ演じる主人公に侍としての思想を教えるポジションであり、その生きざまを見せるという役柄、しかも英語と日本語の両方を話します。いわば、最高に目立つポジションを得たといって間違いないでしょう。役柄に恵まれたうえ、作品も興行的、批評的に成功したこの映画で、渡辺はアカデミー賞の助演男優賞にノミネートされるという快挙を達成しました。日本人俳優としては『砲艦サンパブロ』(1966)でマコ岩松が候補になって以来の快挙です。