『ジュラシック・ワールド/復活の大地』恐竜が死にゆく理由とミュータント恐竜の背景 ─ ギャレス・エドワーズ監督&脚本デヴィッド・コープ来日インタビュー

『ジュラシック・ワールド』シリーズ待望の最新作『ジュラシック・ワールド/復活の大地』が日本公開となった。監督は『GODZILLA ゴジラ』(2014)や『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(2016)のギャレス・エドワーズ。脚本には『ジュラシック・パーク』(1993)『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(1997)のデヴィッド・コープが約30年ぶりにシリーズ復帰を果たした。
原点回帰を試みつつ、新たなる領域にも足を踏み入れた意欲作。短い期間で監督をやり遂げたエドワーズと、この興味深い物語を紡ぎ上げたコープに、THE RIVERでは来日インタビューを実施。“ミュータント恐竜”の真意や、ゴジラやダース・ベイダーといったエドワーズ過去作に登場するキャラクターとの共通点と影響、製作舞台裏のエピソード、そして恐竜を通じて描かれる“映画”への想いを聞いた。エドワースへは、『ザ・クリエイター/創造者』(2023)での来日時以来、2度目の直接取材だ。
『ジュラシック・ワールド/復活の大地』ギャレス・エドワーズ監督、脚本デヴィッド・コープ 来日インタビュー
ギャレス・エドワーズ:以前お会いしましたっけ?
── はい。前作『ザ・クリエイター/創造者』の時にも取材させていただきました。あの時、来日企画として東京をバスツアーしたの覚えてます?
ギャレス:そうですよね!覚えています!デヴィッドは今回が初来日ですね。僕は前回、屋根のない二階建てのバスに乗って、声優を務めてくれた小さな女優さんと一緒に乗ったんです。彼女のお父さんが日本で有名な方なんですよね。それで、あの映画の撮影地をバスで巡って、トークしたんです。翻訳された完成版の映像を僕も確認したんですが、“あるある”ですけど意味が分からなかった(笑)。いろんなエフェクトがかけられていて、まさに日本のテレビ番組って感じでした。
──バスの中で、揺れながらインタビューしましたよね(笑)。
ギャレス:そうそう!彼女はとても素晴らしかった。
──『ジュラシック・ワールド/復活の大地』では、TーRexが登場する川のシーンが大好きです。原作小説にもある場面ですが、スピルバーグの『ジョーズ』(1975)の系譜を感じました。でもギャレスが以前来日された時、ちょうど『ゴジラ -1.0』(2023)の公開時期で、当時その映画についてもお話ししていました。だから、もしかしたらゴジラからも影響を受けたのではないかと思ったのですが……。
ギャレス:実は、あのシーンの比較映像を見せてもらったことがあるんですよ。
デヴィッド・コープ:どのシーン?
ギャレス:海で、漁船がゴジラに追われるシーンです。でも、僕としてはあれは『ジュラシック・パーク』の1作目で、ジェフ・ゴールドブラムが乗ったジープが前景にいて、Tレックスが追いかけてくるシーンが元ネタです。Tレックスが木をなぎ倒して出てくる。これぞ『ジュラシック』らしいショットです。だから今回のTレックスのシーンでも惹きつけるものにしたく、ジープをボートに置き換え、Tレックスを水中に置いたんです。でも、ゴジラに似ているのもわかりますよ。

──『ジュラシック・ワールド』シリーズではハイブリッド恐竜が登場し、これは好みが分かれました。フェイクではなく、本物の恐竜が見たいというファンもいました。本作ではさらに恐ろしいミュータント恐竜が登場し、よりモンスター映画らしさに傾倒しています。しかし『ジュラシック・ワールドⅢ』で、アラン・グラントはこう言っています。「ジョン・ハモンドとインジェン社がジュラシック・パークでやっていたのは、遺伝子操作された遊園地のモンスターを作っていたにすぎない」と。人間によって、娯楽や学習のために作られた恐竜。そしてミュータントの怪物。これらの違いとは、一体なんでしょうか?

デヴィッド:それは最初の原作小説に立ち戻る話ですね。ジェフ・ゴールドブラムが演じたイアン・マルコムは、“彼らは本物の動物ではない”と言います。DNAを改変し、配列の欠損部分を他のDNAで埋めたのなら、それはもう別のものだと。この考え方と言葉によって、我々は“ある時代”について考えることになりました。
『ジュラシック・ワールド』シリーズでは、インドミナス・レックスが登場し、人々は飽きてしまう。彼らは新しくて、大きいものが見たい。スティーブン(・スピルバーグ)と私は、“うまくいかなかった時代というのはどうか”と考えました。どんな科学プロジェクトでも、初めからうまくいくものはありません。何度も試行錯誤が必要なのです。だから、どこまで描けるか、ミュータントの領域にどこまで踏み込めるかを考えました。
製作の後半には、ミュータドンと冒頭のDレックスのタンクにラベルを貼りました。こいつはバージョン7.5ということにしようと。つまり、少し異常に進化してしまっている。ディストータス(Dレックス)はバージョン23.7かな(笑)。明らかに行き過ぎです。バージョン5か6あたりで止めておくべきだったんです。しかし突き進んでしまった。つまり、アイデアの種はマイケル・クライトンの原作小説にすでに存在していて、それを進めただけなのです。

ギャレス:僕はフィルムメーカーとして、SFをやるときには「アナロジー(類似性)は何か?」と考えるようにしています。モンスター映画をそのままやるのではなく、そこに深い意味があった方が面白い。だから僕としては、この裏にあるメッセージはなんだ?と考えるのです。あなた(デヴィッド)が意識したかはわからないですが、僕はこの生き物たちには“映画”のメタファーのようなところがあると感じていました。彼らには7,500万ドルの製作費もかかっていますしね。
デヴィッド:確かにそうだ。とてもメタ的ですね。損益分岐点があって、それをどうするかという、ビジネスの話です。それこそ第1作で描かれていたことです。テーマパークを作る欲深い人についての映画。劇中にもグッズがあり、現実世界でもグッズが作られた。それが、己の尾を噛む蛇のようになる。そこが面白いんです。

ギャレス:『ジュラシック・パーク』の1作目でいちばん好きなシーンはまさにそこです。カメラがギフトショップの上をゆっくり通り過ぎるところ。もちろんグッズも作られるでしょう。あの映画は公開前から映画のランチボックスが売られていました。
僕が考えたのは、あなたが執筆した通りで、観客は同じようなエンターテインメントに飽きてしまっていて、だから常に進化させなくてはいけない、ということ。それは顧客側の問題なのに、企業が責められる。『レイジング・ブル』(1980)の脚本家の、ええと……ポール・シュレイダー。彼が最近のインタビューで言っていました。最近はフィルムメーカーがダメになったのか?それとも映画がダメになったのか?「いやいや、観客の方がダメになったんだ」、と(笑)。観客の持つ映画のチケットとは投票券のようなもの。そこには、埋もれているけれど興味深いものがあると思うんです。
デヴィッド:つまり君のメッセージは、君たちのせいだ、観客の自業自得だ、ということだね?(笑)
ギャレス:そうです!
デヴィッド:なるほど、まあ良い。それでチケットが売れるかは疑問だが……。僕の仕事もあるから……(苦笑)。