おかえりウィノナ・ライダー ─ 『おとなの恋は、まわり道』に見る「スターの負け方」

「あんた、私の前に割り込んできたでしょ」
中年女性のリンジー(ウィノナ・ライダー)は空港で初対面のフランク(キアヌ・リーブス)に詰め寄る。2人が待っていたのは小型のチャーター便。列を気にするほどの人数は搭乗しないはずなのに、リンジーはフランクの行動を許せない。偏屈男のフランクも負けじと応戦して、2人の関係は最悪に。しかも、機内の座席は隣り合わせだった…。
『おとなの恋は、まわり道』(2018)の冒頭を感慨深く見たのは筆者だけではないだろう。ウィノナ・ライダーが久々にラブストーリーの主演を務めたから、ではない。ウィノナが初めて歳相応のラブストーリーに主演したからである。(『50歳の恋愛白書』(2009)や『僕が結婚を決めたワケ』(2011)は主演ではない)それほどまでに、ウィノナは若手時代の呪縛にとらわれてきた女優だったからだ。以下、ウィノナのキャリアにおいていかに本作が重要なのかを解説していく。
かつてウィノナ・ライダーという名の宗教があった
ウィノナ・ライダーとは宗教である。もちろん、熱心なファンを獲得している映画スターなら、いつの時代でも男女問わず見つけることはできるだろう。しかし、映画を超えたある種の概念を象徴するまでに至ったスターはほんのわずかだ。そして、そこに支持する側の狂信性が加われば、さらに該当者は少なくなる。
ウィノナ教の信者として、この人にご登場願おう。シンガーソングライター、マシュー・スウィートである。1991発表のアルバム『GIRL FRIEND』にはその名も「WINONA」という曲がある。その歌詞がヤバい。
僕のかわいい映画スターになってくれる?
長い間迷子だった女の子になってくれる?
正直君のことはよく知らないよ
でも僕は世界でひとりぼっちなんだ
「WINONA」は、ウィノナ・ライダーという女優が1990年前後、世界中の男子から背負わされていた概念を100%表現している。それはつまり、「無垢さ」だ。ちなみに、我が国でもロックバンド、ART-SCHOOLが「ウィノナライダーアンドロイド」という楽曲を発表している。どうしてウィノナはここまで、清廉潔白な、いうなれば処女的なイメージを重ねられたのだろう。
90年代に打ち立てられたウィノナ伝説
1971年生まれのウィノナは、1988年公開『ビートルジュース』でブレイクした。以後、ティム・バートン監督にとってのミューズとして、彼の作品群に名を連ねていく。バートン作品に出るとき、ウィノナの役は決まって大人たちのシステムからはみ出した少女役だった。もっとも有名なのは『シザーハンズ』(1990)のヒロイン、キムだろう。清い心の持主、キムは街中から阻害されている両手がハサミの青年、エドワードに優しくしてくれる。彼女は世間の評判など気にしない。キムは、オタクとして冴えない人生を送ってきたバートンにとって、理想の女性だった。
バートンに見出されたウィノナは、90年代を清純派路線として突き進んでいく。ウィノナは金髪でグラマーな女性をアクセサリーのように扱ってきたハリウッド大作へのアンチテーゼだった。もともとブロンドの髪色をあえて黒く染めているというエピソードは象徴的だ。そして、アメリカがもっともお祭り騒ぎに浮かれていた80年代以降、植え付けられた体育会系のメンタリティになじめない文化系少年たちの逃避口となったのである。1989年の『ヘザース/ベロニカの熱い日』で演じた、イジメられっ子のヒロイン役もまたキムと並んで伝説化した。
バートン作品以外で、ウィノナが90年代に出演した主な作品を振り返ってみよう。有名文芸作品の映画化である『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』(1993)、『若草物語』(1994)。さわやかな青春映画の『リアリティ・バイツ』(1994)、『BOYS』(1996)。古典戯曲『るつぼ』の映画化『クルーシブル』(1996)で演じたアビゲイルは一見、悪女のようである。しかし、彼女の行動原理はあくまで少女ゆえの思い込みなので、他の作品から大きく逸脱した役柄ではない。
ここまでファンの期待に応え続けた映画スターというと、それこそジョン・ウェインやオードリー・ヘップバーン級のレジェンドくらいだろう。しかしながら、90年代のウィノナは人気絶頂の中である問題を抱えていた。徐々に30代の大台に近づいてきた彼女は「無垢」や「純潔」を売りにできるような年齢でもなくなってきていたのだ。もちろん、世界的にはいくつになっても無垢な女性を演じているスターはたくさんいる。ただ、スターの実生活が逐次パパラッチに見張られているアメリカでは、無垢さの皮を被り続ける限界があった。何より、ウィノナの「無垢さ」は少女性と同義だったため、大人びていく外見上の変化はキャリアの足かせとなりかねなかった。