キューブリックとドラン、映画界における新旧ふたりの『天才』を比較・考察
キューブリックの登場人物たちは、どこかみんな狂っている。快楽と暴力を好む「時計じかけ」のアレックス、だんだんおかしくなっていく「シャイニング」のお父さん。人間誰しもが秘めているであろう狂気や欲望、世の中の冷たさや残酷さを描いているキューブリック作品ですが 主人公たちがあまりにも狂っているため、私たちはその事実を客観的に観させられていることになります。
ドラン作品は本当に身近な人間関係、近い人間同士だからこそ生まれる複雑な感情を多く描いているように思います。恋人、友人、母と子・・・完璧に自分に重ね、感情移入させるのではなくあくまでも”作品”として客観的に観させることにより、私たちは観終わったあと冷静に 自身のことを振り返り また映画についても考えることができるのかもしれません。
スタンリー・キューブリックとグザヴィエ・ドラン。伝説の鬼才と美しき天才、全く違うのに共通するものもある2人。時代は違えど、社会や人間の真髄に迫った作品を撮る2人の目には 通じる”何か”がうつっているのかも。
躍進が止まらないであろうグサヴィエ・ドラン。これからもどんなアイディアと技術で私たちの心を動かし、驚かせてくれるのか楽しみです!いつまでも色褪せないキューブリック作品も、この冬はゆっくり観返してみてはいかがでしょうか?