【レビュー】『LOGAN/ローガン』、それは英雄たちのディストピア…拡張を続けるアメコミ映画に逆流する金字塔

『シェーン』をオマージュし、ネオ・ウェスタンとしての風体を纏うことにより、『LOGAN/ローガン』はふたつの美しさを得ることに成功している。
ひとつは、継承する美しさだ。西部開拓時代後、目的を失ったガンマンたちのように、『LOGAN/ローガン』も戦う日々を終え、傷跡と悲しみだけが残り、生きる目的を失っている。そこに登場する謎の少女ローラに、ローガンと特にチャールズは無垢なままであって欲しいと願ったはずだ。血にまみれた辛い思いをするのは自分たちだけでよい、願わくば子供たちには痛みや悲しみとは無縁であって欲しい…。これは、『シェーン』で示唆される「善」を次世代へ継承するという美しさを共有している。
そしてもうひとつは、終焉を迎える直前の、ほんの最後に香りを立てる美しさ。『LOGAN/ローガン』は、明らかに「何かが終わる」ことを全編通じて示唆し続ける。かつて共に戦ったミュータントはいなくなり、自分たちがついえれば、ひとつの時代が幕を下ろす。ローガンとチャールズは、西部開拓時代後のガンマンであり、明治維新後の侍なのである。時代が変わったのだとしたら、きっと自分たちはその「後処理」の一部なのだろう。ローガンもそう自覚していたはずだ。
ローガンを演じるヒュー・ジャックマンに、チャールズ・エグゼビアを演じるパトリック・スチュワートも、この仕事が今作で最後であることを公言している。『LOGAN/ローガン』上映中のスクリーンからは、なんだか形容しがたい、しかし「終焉」とか「死」に近いものと直感できる何かの存在に気付くだろう。終焉の直前、それは不思議なほどに美しい。

終わらせる、という勇気
さあ、マーベル映画の世界はまだまだ広がり続けるぞ!と活気にあふれる一方で、「”ウルヴァリン”シリーズを終了させる」ということがどれだけの勇気と決断力を要したことか。他作品とのクロスオーバー要素を極力廃し、一本の単作として磨きに磨いた傑作『LOGAN/ローガン』は、拡張し続けるユニバースに「ちゃんと終わりを作る」という、至極当たり前ながら、されどよもや多くの人が忘れかけていたであろう生命的な提案を行っている。「あれもこれも」といった感覚はなく、ただ目の前の一本に没頭できる感覚、そして長年続いた1人の男の物語がどのように終わっていくのかを”見届ける”権利を観客に与えているのだ。
『LOGAN/ローガン』は、史上最もオーガニックでオーセンティックなアメコミ映画でありながら、アメコミ映画のくくりにしたまま放っておくことはできない、重厚でハードボイルドな一作だ。観終えた後は、「良いものを観た」と全身にズッシリのしかかるものがあるはず。
鑑賞後には、過去作やその劇中写真などを見て欲しい。「在りし日だ…」「若い頃はこんな時代も…」と、突然遠い昔のように懐かしく感じさせられたら、それはローガンがあなたの胸にしっかりと三本の爪痕を残してくれた証拠だろう。
映画『LOGAN/ローガン』は2017年6月1日(木)より公開中。