復活のメル・ギブソン ─ 『ブレイブ・ハート』に見る徹底した仕事術
メル・ギブソンの主演作『ブラッド・ファーザー』(2016)、監督作『ハクソー・リッジ』(2016)がそれぞれ2017年6月3日と同24日に日本で公開されます。
スター俳優であり、監督としても確固たる評価を得ているメル・ギブソンですが、『ハクソー・リッジ』ではアカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞など6部門でノミネートされ、編集賞と録音賞の2部門を受賞するなど改めてクリエイターとしての能力の高さを証明してみせました。

今後も複数の出演作と、一本の監督作が企画進行中で一時の低迷が嘘のような活躍を見せています。
2006年の反ユダヤ的な差別発言に始まり、同年には長年連れ添った妻との別居、2010年には恋人へのDVとすっかりダーティーなイメージが染みつき、言動のせいで企画が没になるなど不遇の時代が続いてた彼ですが復活を印象付ける活躍ぶりです。
今回は帰ってきたメル・ギブソンの監督としてのプレースタイルを振り返ってみようと思います。
目に見えるリアリティーへのこだわり
スター俳優だったメル・ギブソンが監督としての評価を大きく向上させたのがアカデミー賞受賞作となった『ブレイブハート』(1995)でした。
以降、彼は『パッション』(2004)『アポカリプト』(2006)と立て続けに監督作品を発表し、(主演を兼任した『ブレイブハート』以外は監督専任)監督としての評価を確固たるものにします。
彼は『ブレイブハート』以降の作品でそのスタイルも確固たるものにしています。彼のスタイルには主に2つの大きな特徴がありますが、その1つが「目に見えるリアリティーへのこだわり」です。
『ブレイブハート』はスコットランドを独立に導いた実在の英雄ウィリアム・ウォレスを主人公とした歴史大作です。
王妃イザベラ・オブ・フランスとウォレスのロマンスはじめ、歴史的事実という観点から言うと多分にフィクションが混ざっているのですが、当時使われていた言語や衣装、戦法といった「目に見える部分のリアリティー」に関しては十全な気配りがなされています。
まずこの映画で目を引くのは最初の大掛かりな戦闘であるスターリング・ブリッジの戦いのシーンです。
予算の都合で橋のセットを作ることができなかったとのことで戦地が原野になっていますが、大変に見ごたえのある場面です。
ギブソンは本作を制作するにあたって、実際に中世に行われた戦いのいくつかを研究したそうですが、見たこともないはずの中世の戦闘が本当にこのようであったのではと思わせるリアリティーです。
【注意】
この記事には、1995年の映画『ブレイブハート』に関するネタバレ内容が含まれています。
細部まで宿したメル・ギブソンのこだわり
細かい描写をいくつか紐解いてみるとギブソンのこだわりがよくわかります。
まず戦闘前にウォレス率いるスコットランドの反乱軍がキルト(スコットランド)の民族衣装を捲りあげて相手を挑発するという場面があります。画面では下半身に暈しが入っているので下に何も履いていないというのがわかります。
下着の起源は古代ローマまでさかのぼり、中世の人物が何も下着をつけていないのは奇怪に思えるかもしれませんが、キルトは下には何も履かないのが正しい作法でこの描写はむしろ正しいのです。この習慣は現代にも引き継がれています。軍人や王族が儀式の際、正装としてキルトを着用することがありますが彼らは勿論、下着を着用していません。
戦闘においても細かい気配りがされています。
ギブソン演じるウォレスの剣の持ち方に注目すると、彼は剣の鍔に人差し指を引っ掛けて持っています。
これはほとんどの映画で見過ごされているのですが、中世の西洋剣術における剣の持ち方はこれが正しい作法です。
なぜこのような持ち方をしたのかはいくらかの推測を交えたものとなりますが、重かったからではないかと思われます。
ウォレスが使っていたのは恐らくクレイモアと呼ばれるスコットランドに起源を発する大剣ですが、大剣は切れ味は鈍く、重さを利用して鈍器のように叩きつけて攻撃することを想定して作らていたので相当重かったと推測されます。
そのため、重さに負けないように人差し指を添えることで安定性を出していたのではないかと思われます。
剣身の根元、鍔から10数センチ~数10センチのところはわざと刃をつないのが中世における製造時の作法だったそうなのでこれもまた当時としては理にかなったやり方だったのでしょう。
また、これも細かい点ですが、『ブレイブハート』はイングランド支配下にあるスコットランドを舞台としているのでもちろん全編はほとんど英語です。ですが、イザベラ・オブ・フランスと侍女のシーンはフランス語で、ウォレスの前で王族同士が内緒話をする時にはラテン語を用いています。フランス人同士がフランス語で話すのはもちろん、ラテン語は当時の貴族の子女の間では教養として学ばれていた言葉なので何ら不自然なところはありません。
またギブソンは後続の『パッション』では全編がアラム語とラテン語、『アポカリプト』では全編マヤ語と、現代では死語となっている言語を用いるという常軌を逸したこだわりも見せています。
スローモーション
スローモーションとは文字通り現実より遅い速度で映像を再生する表現技法のことです。相対性理論の話は置いておいて、スローモーションとは現実では決して起こりえない現象です。それ故、スローモーションはドラマチックな効果を生み出すと同時に不自然さも演出してしまい、使いどころの難しい手法でもあります。
ドラマチックかつ不自然であるため小規模なドラマ作品とは相性がよくありません。逆にアクションなどの大作ではうまく使うと絶大な効果を発揮します。日本で特にスローモーションを巧みに使うのはやはりアニメの監督です。特に『空の境界 俯瞰風景』(2007)や『Fate/Zero』(2011-2012)で知られるあおきえい監督はアクション描写にとりわけ定評のある演出家ですが、彼はスローモーションを実に巧みに使います。
監督、メル・ギブソンはこのスローモーションの使い方が極めて巧みです。
まず目を引くのが前述したスターリング・ブリッジの戦いのシーンです。イングランド軍の騎兵隊が突撃するという場面でギブソンは馬の動きをスローモーションで見せると手法を選択しました。これが素晴らしく劇的な効果を発揮しています。
スローモーションによって馬の躍動的な動きが強調され、筋肉の動きまで仔細にわかるようなドラマチックな表現として帰結しています。
ギブソンは『パッション』でも『アポカリプト』でもバイオレンスな場面では好んでスローモーションを用いており、これがギャグになってしまうスレスレのラインで劇的効果として帰結しています。
ウォレスが処刑される場面も見ものです。
ウォレスが臓物を引きずりだされ虫の息の状態で「自由を」と絶叫します。ここでスローモーションになり時間が引き延ばされます。
首切り人が斧を振り上げると、ウォレスの顔のカットに切り替わり、彼の目線の先では亡き妻が微笑んでいます。彼女が笑顔を見せるとウォレスも満足げな表情を浮かべ、こと切れます。
一瞬の出来事をスローモーションで引き延ばすという手法が今際の際に見る走馬燈を表現するという大変にドラマチックな場面であり、
救国の英雄の最期に相応しい適切なスケール感の表現です。
『ブレイブハート』はギブソンにとっての監督第二作目です。初監督作の『顔のない天使』(1993)はあまり評判になりませんでしたが、同作は小規模なドラマ作品であり、彼のプレースタイルが十二分に発揮できなかったのでしょう。『ブレイブハート』で彼は自らのスタイルを確立したと言えそうです。
復活したメル・ギブソン
執筆にあたり『ブレイブハート』をコメンタリー付きで見返したのですが、やはり彼の監督としての腕は一級品で、コメンタリーを聞くとよく考えて作られていることがよく分かります。
メル・ギブソンの次回監督作として『Berserker』がアナウンスされています。今入っている情報によると同作はヴァイキングを主人公とした一大叙事詩とのことで、歴史大作で評価を挙げた彼にとっては力を十二分に発揮できそうな題材です。どのようなドラマチックな作品に仕上がるのか大変に楽しみです。
Eyecatch Image:© Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016