私の愛した男は、ロクデナシの王様…『モン・ロワ~愛を巡るそれぞれの理由~』を観て考える、ダメンズとの恋愛

ダメンズ(ダメ男)とばかり付き合ってしまう女性を、世は「ダメンズ・ウォーカー」と呼ぶ。そして私は、実はダメンズ・ウォーカーだったりする。しかし勘違いしないでほしい。我々は好き好んで、よりによってダメンズを選んでいるわけではない。奴らは最初、その魅力を纏って自分のクズさを隠しているから、我々は付き合ってみないとわからなかったりするのだ(まあ、知ったとしてそれでも好きとか思ったりするんだけど)。
だけど、私たちはダメンズと付き合ったからこそ、学んだ事も多い。彼らとの愛が、普通の恋愛とは比べ物にならないほど、激しく、その経験によって血肉を削る想いで誰かを愛するという事を知るのだ。
『モン・ロワ~愛を巡るそれぞれの理由~』もまた、そんな一組のカップルの激情の日々を描いた作品である。
【注意】
この記事には、『モン・ロワ~愛を巡るそれぞれの理由~』内容に触れています。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=g-DpiQqAgPk]
ダメ男に身も心も引っ掻き回された女性のための、“リハビリ”映画

今作はフランス映画。物語は主人公のトニーが事故によってヒザに大怪我を負って、リハビリセンターに入院するところから始まる。ヒザを痛めるという事は、つまり普通に歩けない事を意味し、患者に否が応でも物事を考える時間だけをひたすら与えるのだ。むしろ、心がしっかりと何かを考える時間欲しさに身体が怪我を負いに行くのかもしれない。
「ヒザの痛みは心の痛みと連動している」と医師に諭されたトニーは、思わず溢れる涙に戸惑いながらも海の見える自室から、自分の中で“問題”となっている記憶を呼び起こす。
それこそが、フランス映画史上最強(といっても過言ではない)ダメ男ジョルジオとの10年間だったのだ。
ジョルジオ(レストラン経営/バツイチ)は、トニーが学生時代にバイトしていたクラブの常連客。彼女はある日、たまたまそのクラブで彼と再会し、秘かに憧れていた気持ちを思い出してそのまま彼にアピールする。実は彼はその時、アニエスというモデルと付き合っていたのだが、彼らは急速にお互いに惹かれ合って、ジョルジオは彼女と別れてトニーを選ぶ。
「彼は私の王」という認識の危うさ

付き合いたての頃は、楽しくて非常に情熱的だった。二人で子供みたいにはしゃいで、色んなところに遊びに行って。しかし、少しずつジョルジオが化けの皮を剥がしていく節が垣間見える。ダメ男が自身の皮を剥がすのは、いつだって「オレってロクデナシなんだよね」という謎の自己申告から始まるものだ。ジョルジオの場合は、トニーに自分は「ロクデナシの王」だと話し、彼女はそれを笑ってなんとなく気に入る。
今作のタイトルである仏語の「モン・ロワ (Mon Roi)」とは英語で「My king(私の王)」と直訳できる。ここから、トニーがジョルジオの支配下にいた事が匂わされているのだが、この認識は非常に危うい。「この人は自分をどうにでもできる」と思えば思うほど、卑劣で無慈悲な扱いを受けてもそれを受け入れはじめてしまうからだ。そして、彼から要求される全ての事をできるだけ叶えてあげたいと思うかもしれない。
このジョルジオという男は「結婚しよう」の前に「子供が欲しい」だなんて、トニーにねだる。男性はどうしても、本能的に子孫を残そうとする。故に、「子供が欲しい」と言われたってそれは「君を愛している」という事とは直結しない場合がある。「子供が欲しい」は「子供が欲しい」というだけなのだ。
結婚が先だろう!なんて思っても、トニーは結局その彼の願いを叶えてしまう。「彼は私の王」という認識は、ダメンズに深くハマっていってしまう思考なので、要注意である。気がついた時には、自分の方がダメになってしまって手遅れなんてこともあるかもしれない。
まあ、そういう点から既に、ジョルジオは明らかなクズ野郎だった。そしてそれが原因で彼はトニーに二次災害さえ、もたらしてしまう。
メンヘラ女が出てくる恋愛には関わっちゃダメ、絶対。
ジョルジオがトニーと出会い、強く惹かれてアニエスのもとを去った事は、トニーが意図していたわけではないが結果的に略奪という形になってしまった。それでも、互いが本気で惹かれていたらそれは止められない感情だし、もしもそれが運命の相手だとしたら仕方ないことではないだろうか。