裕木奈江、現在に続く仕事感 ─ デヴィッド・リンチ監督との出会いと「ツイン・ピークス」出演秘話

女優、裕木奈江。1990年代、ドラマ「ポケベルが鳴らなくて」で一世を風靡すると、2005年に米ロサンゼルスに移住。2006年には、クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』へ出演。2017年には、カルト的人気を誇る人気ドラマの新シリーズ「ツイン・ピークス:リミテッド・イベント・シリーズ(放送時タイトル「ツイン・ピークス The Return」)」に謎の女性、”ナイド”役で出演を果たす。2018年は裕木にとって女優デビュー30周年。亀梨和也主演の連続ドラマ「FINAL CUT」に出演、23年ぶりの民放連続ドラマへの登場で話題を集めるなど、日米を股にかけた活動を続けている。
日本の芸能活動で積み重ねたキャリアは、ハリウッドでの活動にいかに力を与えたのか。あのデイヴィッド・リンチ監督から直接オファーを受けて出演が決定したという世界的ドラマ「ツイン・ピークス」の裏側は。THE RIVERでは、裕木奈江に特別インタビューを行った。
デイヴィッド・リンチ監督との出会い
「もともと、英語がそんなに喋れるわけでもなかったんです。買い物くらいはできるけれど、ペラペラと意思疎通ができるわけでもなかった。」ロサンゼルスに移住して13年の裕木は、渡米した当初をこう振り返る。「英語の勉強をしながら、エキストラ役のオーディションから受けていました。とにかく現場を見たくて、機会があったら何でも良いから声をかけて欲しいって周りにお願いしていて。」
まさに手探り状態だった。ハリウッドでは、役者の雇用と権利を保護するユニオン(労働組合)の存在が絶対的で、ここへの細かな加入条件を満たさなければ出られない現場が多い。裕木も当時は加入が阻まれていたため、いわゆる”ノンユニオン”の仕事を手当たり次第探していた。
「その条件でも得られた機会の中に、デイヴィッド・リンチ監督がプライベートで撮っている企画があったんです。ギャラも出ないかもしれないけど…、と言われたんですが、行きます行きます!と。実際の撮影は、本当に群衆の中にいただけでした。」
こうして、かねてより大ファンだったデイヴィッド・リンチ監督の作品へ出演する機会を手にした裕木は、今でも不思議そうに「凄いですよね。こんなこと起こるんだ、っていうね」と笑いながら、巨匠との出会いを嬉しそうに語ってくれた。
「向こうの人って、役者さんも監督も、付き人に守られてオーラを出しているっていう感じでもなくて、皆さん自然体なんです。これは挨拶してもいいのかな、と思って、プロデューサーさんにデイヴィッドを紹介してもらって。その時はろくに英語もできないながらも、”あなたの大ファンだから、参加できて嬉しかったです”みたいなことを一生懸命話してみたんですね。もう自分で何を話しているかも分かっていないくらいでしたが、多分嬉しくて目がキラキラしていたんだと思います(笑)。
実は監督も、私に日本でキャリアがあることを知らされていたようで、私のことをジーっと見て下さっていて。もう少し一緒に働けるか、というようなことを尋ねられて、”Sure! Sure!(もちろん!もちろん!)”みたいな(笑)。」
「ツイン・ピークス」出演の経緯
実際にデイヴィッド・リンチ監督から連絡が届いたのは、それから1年以上経ってからのことだった。ある日プロデューサーから突然「デイヴィッドが呼んでるんだけど」との電話が入ったのだという。もちろん二つ返事で快諾する裕木のもとに、早速ファックスで台詞が届けられた。
「その頃になると、前よりは(英語が)出来るようにはなっていたけど、それにしたって読みきれないような英語の長台詞が送られてきて。しかも台詞のお相手はテリーさん(テリー・クルーズ)という、とても有名な方でした。こんなに英語喋れないです…って正直に伝えたんです。すると監督は“いや、それ(=流暢に英語が喋れないこと)が面白いから、とにかく台詞を覚えて、一生懸命喋ってくれ”って仰ったんですよ。
で、金髪のウィグとか猿の話とかを延々と喋るっていう、すごく不思議な英語の長台詞に挑戦したんです(笑)。後になって監督がその時のことを覚えていただいていて、『ツイン・ピークス』に出してもらえたんです。」
