【レビュー】美しさと狂気の傑作『ネオン・デーモン』何が彼女を悪夢に導いたのか?
熱狂的ファンが多いニコラス・ウィンディング・レフン監督『ネオン・デーモン』。彼の最新作の公開に、ネットでは絶賛のコメントが多くあがっていた。筆者自身も彼の作品は劇場鑑賞した経験こそなかったが、過去作品を見て完全なファンとなった一人である。そして、本作は間違いなく傑作であった。これを映画館で見ないという選択肢はないだろう。
できるだけ事前情報なしで新鮮な体験をしてほしいので、このレビューはできれば既に鑑賞された方々に向けて、共感と解釈のネタとして提供したい。
【注意】
この記事には、映画『ネオン・デーモン』のネタバレが含まれています。
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登場人物の強烈な自己陶酔
まず筆者が魅力を感じたのが、狂気じみた登場人物たちの自己陶酔する姿である。モデルという職業を考えると自ら美貌に自身を持つことは当たり前だと思われるが、この作品に登場するモデル達はどこかおかしい。特に整形手術を繰り返し「私って綺麗でしょ?」と執拗なまでに問い続けるジジは、さながら日本の都市伝説・口裂け女にも似た様な恐ろしい姿であった。
主人公ジェシーもそんな世界で、自らの本性を露わにしていく。最も強烈だったのが、トントン拍子で階段をかけあがった主人公が初めてファッションショーに出演するシークエンスだ。純粋無垢な主人公は、ショーのトリに抜擢される。ショーが始まると、ランウェイの先にはネオンで作られた三つの三角形があらわれ、彼女はそのイメージに心を囚われるようにして歩き出していく……。

「三角形」という図形は、古くから精神的なパワーを生むものとして扱われてきた。(ピラミッド、フリーメイソンのシンボル、六芒星など挙げていけばきりがない。)そういった神秘的なネオンイメージが、ジェシーの心の奥底に眠っていた野心や欲望、自己愛を呼び起こし、主人公の無垢さを飲み込んでしまったのだ。万華鏡のようなものに囲まれて周りが全く見えなくなり、無数に映る美しい自分の姿にうっとりするジェシー。そこで鏡に映る自分にキスをする姿は、完全なナルシシズムの表れであり、彼女が自らの“美”の魔力に取り憑かれたことを表していた。自らの美貌に確信を持ったことで、彼女は傲慢で自己陶酔した魔女のように変貌したのだ。
またレフン監督は、タロット研究家としても有名なアレハンドロ・ホドロフスキー監督を敬愛しており、本作の製作にあたっても、ホドロフスキーのタロット占いによって、使用するカットを決めていたそうだ。ネオンの三角形に主人公が入った映像からは、ホドロフスキー監督の『ホーリー・マウンテン』(1973年)を想起することもできた。物質主義を捨てて解脱を目指す精神的な旅を描いたオカルト的映画だが、スピリチュアルなイメージとしての“三角形”がレフン監督の頭のどこかに残っていたのかもしれない。

http://nofilmschool.com/2016/05/82-ways-live-alejandro-jodorowsky
現実と悪夢はいつも隣り合わせ
過去作品を見ても同じことが言えるが、レフン監督はストーリーの緩急のつけ方が秀逸である。前作『ドライヴ』では、とあるドライバーと夫をなくした女との愛を描きながら、容赦ないバイオレンスを見せつけ、暖かく優しさに包まれた愛のシーンから血みどろ暴力描写への急激な変化で観るものを驚かせた。
これは「今見ている現実は容易く変わり得る。後ろを振り向けばそこには別世界が広がっている」というレフン監督独特の思考が映画に体現されているからだろう。彼の作品には、いつも二つの軸が並行して存在し、観客はその間を行き来する。
『ドライヴ』が愛と暴力であったのに対して、今作『ネオン・デーモン』は現実と悪夢である。少女は華やかなファッション業界に夢を抱き田舎を出てきたが、その夢は血みどろの“悪夢”に変わる。モデル同士の競争や美しさの追求などは現実的な問題だが、そこに含まれる肥大化した執着心やナルシシズムは、さながらカニバリズムや悪魔崇拝のように飛躍して描かれていた。この悪夢的な部分を取り除けば、本作のプロットはとても理解しやすいものであるように思える。レフン監督は、ファッション業界という熾烈な競争社会で精神を侵されていく登場人物たちの心理を、目を背けたくなるような悪夢として、圧倒的な映像で描き切ったのである。

正直、華やかなファッション業界や芸能界などに無縁な人間からすれば、信じられないような黒い都市伝説がどこまで本当なのかはわからない。「綺麗なお姉さんたちは女の子を食べたり、血を飲んだりして美しさを保っている」なんていうは子供じみた“おとぎ話”のように感じるが、いざ映像にしてみると、これほどまでにアダルトでグロテスクな“おとぎ話”になるのか。レフン監督のセンスと演出の手腕には脱帽である。
ジェシーを悪夢へと誘う者たち
ジェシーがロサンゼルスに出てきて初めての撮影で、彼女はメイクアップアーティストのルビーに化粧をされる。この描写がラストに繋がる伏線であることは中盤にわかる。最初は都会に出てきた無知な女の子に優しく何でも教えてくれるお姉さんにしか見えないルビーが、実はファッションメイクの仕事をしながら、霊廟で死人にメイクを施す死化粧師でもあったことが明かされるのだ。ルビーは本作における現実と悪夢の橋渡し役のような存在であり、彼女にメイクをされたことは避けられない死を既に暗示していたのである。
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