【ネタバレ】食べちゃいたいくらい、可愛い『ネオン・デーモン』が定義する“真の美しさ”
『ドライブ』(2011)で名を知らしめ、そのバイオレンスの中に潜む繊細なテーマを美しい色彩とともに描いた鬼才、ニコラス・W・レフン監督。待望の新作『ネオン・デーモン』が2017年1月13日(金)より公開となった。
以前、監督ご自身に直接この作品について取材を行った記事はこちらである。
ファッション業界、特にモデル職を取り上げた作品である今作のコンセプトを聞くと、ある映画を思い出す人もいるのではないだろうか?そう、『ヘルタースケルター』だ。ほぼ全身整形をして、完璧な美を手に入れた主人公のモデルが、その整形が崩れていくと同時に精神的にも崩壊していく様を、毒々しいタッチで描いた作品である。
監督をしたのは、フォトグラファーとして大人気の蜷川実花。彼女が手がけるもののカラーは極彩色というのが定番であり、そこもまたレフン監督との共通点となっている。
そして、登場するモデルが枕営業やら整形やらをしながら必死に仕事を保っていく中、『ネオン・デーモン』のエル・ファニングにあたる、手が加えられてない美女も出現し、彼女の嫉妬心をマックスまで煽るという筋書きも似ている。
『ヘルタースケルター』との相違点
しかし、『ヘルタースケルター』と『ネオン・デーモン』では大きな違いがあるのだ。それは、“美”の捉え方である。
『ヘルタースケルター』は、整形をして美しく保つ事に執着したモデルが主人公であり、完璧な美を追求しすぎた故に転落していく顛末だ。つまりこの作品の中で“美”は「整形」という完全さに置かれている。
しかし、『ネオン・デーモン』は逆であり、決して完璧なものではなく不完全さに“美”が置かれている。そして“美”は全てのものではなく、唯一のものとして描かれているのだ。
主人公のジェシーは、生まれ持った容姿で人を魅了する。しかし、この役を演じているエル・ファニングもそうであるが、彼女の顔は決して完璧ではない(勿論、完璧な程の美しさを持っているが)。左右非対称な顔立ちや、唇。完璧ではないのに、それが個性として美しさを際立たせるものとなっている。
実際、この“美しさ”の定義を巡る議論は映画内でも行われている。
【注意】
この記事には、映画『ネオンデーモン』に関するネタバレ内容が含まれています。
—–
—-
—
—
–
美しさの定義を語る、物語の核となるシーン
ラウンジでは、彼女の先輩モデルであり整形を重ねているジジと、彼女の枕営業相手であり、デザイナーが談笑をしていた。さて、話の流れでジジは同席していたモデル友達に「大丈夫よ、顔ならいつでも直せるわ」と言う。
すると、それを聞いていたデザイナーは「やめろ」と言う。続けて、
「美しさは造れるものだとも言える。しかし、生まれもって美しくない者は、決してそうなることはできないのだ」
と話す。これに明らかに不快感を出すジジを、今度はジェシーの彼であるディーンに見せ、彼女が美しいかどうか問う。
ディーンは「うーん、Fine(まあ普通にいい)だと思うよ」と答える。
その答えに賛同しながら、今度はジェシーをジジと比較させるデザイナー。
彼女の美しさは、何も偽りのない。デザイナーはジェシーを「The diamond in a sea of glass」と表現し、
「真の美しさは、最も強い力を有している。それがなければ彼女の価値はない。」
とまで言う。ジジに戦慄が走って行く瞬間だ。