『パトリオット・デイ』で考える「良心」と「圧力」の違い ─ 事実に忠実な映画の主人公が「創作」である理由とは?

2013年4月15日、マサチューセッツ州の祝日「愛国者の日」の名物であるボストン・マラソン開催中に爆弾事件が発生する。死亡者3人、負傷者183人を招いたこの事件は9.11後最大規模のアメリカ国内テロとして記録されている。
映画『パトリオット・デイ』は本事件発生からわずか102時間で犯人逮捕へと至った経緯を、事実から忠実に描く作品だ。捜査側、犯人側、被害者側の視点を交錯させながら、2時間を超える上映時間中、一瞬たりとも弛緩させることのない極上のサスペンスに仕上がっている。
【注意】
この記事には、『パトリオット・デイ』に関するネタバレ内容が含まれています。
主人公・サンダース巡査部長はどんな人物か?
ところが、サンダースは実在の人物ではない。プロデューサーのスコット・ステューバーによれば「実在したさまざまな警官を混合的に作り上げた人物」とのことである。ならば、ほとんどの登場人物が実名で設定されている本作において、「フィクション」であるサンダースの人物像を追うことは作品のテーマを知る機会となるのではないか。
捜査においては無双としか言いようのないサンダースだが、その人格は決して完璧ではない。事件前夜は夜遅くまで体を張っていたにもかかわらず、帰りに酒をひっかけたばかりに妻から「酒臭い」と怒られる。言葉遣いは美しいとはいえず、当然「Fワード」も気にしない。爆破直後、パニックに陥った通りで警官たちに指示を出す姿は勇ましいが、安全確認で立ち寄った飲食店で、気を静めるためにワインをがぶ飲みする場面もある。捜査責任者であるFBI特別捜査官、リック・デローリエ(ケヴィン・ベーコン)が知的で役人的な冷たさを見せるのとは対照的に、サンダースはどこまでも人間臭いのである。言い換えれば、サンダースは極端に「アメリカ的」な人物造形がなされているといっていいだろう。そう、多くのアメリカ人にとっては冷静沈着なデローリエよりも、少し粗野でも熱さのあるサンダースのほうが共感しやすい人物なのである(世論を恐れて事件を「テロ」と認めたがらないデローリエを、サンダースたちが糾弾するシーンさえある)。
典型的アメリカ人を描き続けるピーター・バーグ監督
ただし、こうした「ステレオタイプ的アメリカ人像」が映画ファンをモヤモヤさせる側面を持っているのも確かだ。『プライド』のアメフトチームは確かに素晴らしい集団だが、彼らへの熱狂が暗い面もあることを我々は知っている。実話を基にした『コーチ・カーター』(’05)では大人たちの思い入れが高校生たちの将来を奪い、アメフトしか取り得のない人間にしてしまうリスクも言及していた。『パラサイト』(’98)のようなナード側の高校生を主人公にした映画を愛する人からすれば、無条件で体育会系男子を英雄視する風潮にもうんざりしてしまうだろう。
バーグ映画は優れた演出力に支えられた息もつかせぬ展開が魅力だが、ターゲットとなる典型的なアメリカ国民以外に属さない限り、少なからず展開に乗り切れない部分も出てくる。しかし、それを批判するつもりも否定するつもりもない。アメリカ国内でヒットすることを目的とした作品で、国民の大多数に合わせた調整を行うのは当然のことだからだ。ただし、そんなバーグ作品にどこか「凄み」が宿るようになったのは、マーク・ウォールバーグというパートナーを見つけてからではないだろうか。