ポール・トーマス・アンダーソン監督「最新作」、レディオヘッド「デイドリーミング」PVを解析する

異例のフィルムによるPV上映

 シネマヴェーラ渋谷レディオヘッドの新曲『デイドリーミング』PVが上映中だ。7月3日までの期間、特定の映画作品の上映に前後して上映されるので、詳しくはHPを参照してほしい。(http://www.cinemavera.com/info.php


さて、世界中の映画館で同様に上映されている『デイドリーミング』だが、いくら世界的人気を誇るロックバンドの新曲だからといって、6分ほどのPVをスクリーン上映する必要があるのだろう?しかも、本作のフィルムは監督から「よかったらかけてください」というメッセージ付きで映画館に送られてきたのだという。

理由として考えられるのはまず、バンドの宣伝(レディオヘッドは「デイドリーミング」が収録された最新アルバム『ア・ムーン・シェイプド・プール』をリリースしたばかりだ)、本PV35mmフィルムで撮影された作品であることが考えられる。しかし、おそらくは本PVの監督、ポール・トーマス・アンダーソンの要望が一番大きな理由ではないだろうか。

『マグノリア』、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』など数々の傑作を世に送り出し、クエンティン・タランティーノ、ウェス・アンダーソンと並んで、現在最も刺激的なアメリカの映画作家、「デイドリーミング」はその最新作と捉えていいだろう。ここでは、映像作品としての「デイドリーミング」を解析してみたい。

アンダーソンがフィルム撮影に執着する理由

まず、先述したように本作は35mmフィルムで撮影された作品である。アンダーソン監督はキャリアの初期からフィルムに執着を見せる作家であった。そして、『ザ・マスター』(’12)では35mm70mmのフィルムを使い分け、迫力のある映像世界を作り出していた。デジタル撮影主流の時代に、アンダーソン監督のフィルムへの愛着は、彼が旧作を浴びるほど見ているシネフィルであることに端を発しているのは間違いない。しかし、同時にフィルムが「切り刻む」うえで「繋げる」ものであるという、映画表現の根底への拘りがあるのではないだろうか。

PV『デイドリーミング』の内容はとてもシュールだ。レディオヘッドのボーカル、トム・ヨークがトンネルを歩いてくる。しかし、カメラがパンされるとトンネルはいつの間にか倉庫に変わっている。「スプリンクラー室」と書かれたドアをトムが開けるとホテルの廊下のような場所に繋がり、その先は子供がたくさんいる家のリビングに通じている…。文字通りこんな「白昼夢」のような映像が続いていく。

こうした全く別の風景が繋がっていく編集は、アンダーソン作品で初めてではない。『パンチドランク・ラブ』(’02)でも主役のアダム・サンドラーが瞬間移動でもするかのように異なる空間を行き来する編集がなされていた。

映画は全編長回しで撮影された『ヴィクトリア』(’15)のような特殊な事例を除き、カットの連なりで構成されている。そして、画面上では一つのアクション、滑らかな時間に見えるカットの繋がりも、実は別々に撮影された異なるアクションや時間を編集によって繋ぎ合わせているだけなのである。

よって、このことに自覚的な映画監督の映画にはすさまじい緊張感が漂う。カットが変わるその瞬間に、今までの時間の流れとは全く違う何かが飛び出してきても不思議ではないからだ。アンダーソン監督の作品に込められた独特の緊張感は、彼が映画の根源を意識して制作を行なっている証なのである。そして、このような映画の定理には、画面上でカットを編集するデジタル(パソコン)作業よりも、フィルムを切り刻んで繋ぎ合わせていく作業のほうが、より近しい行為と言えるのではないだろうか。

聞くところによると、アンダーソン監督は大作『ピノキオ』の監督を昨年末に降板したという。諸事情はあるだろうが、やはり、CGや特殊技術を駆使するハリウッド式ブロックバスターは水に合わなかったのかもしれない。

楽曲と映像世界の阿吽の呼吸

daydream

話をPV『デイドリーミング』に戻せば、曲の終盤になると、トムは白銀の雪山に辿り着く。そこで見つけた狭い洞窟に這って入り込む。奥には焚き火があり、彷徨うことに疲れ切ったトムは瞼を閉じる。そこでPVは終わる。

『デイドリーミング』は現実世界で恋人と破局したトムの傷心を歌った曲だと言われている。クライマックスを盛り上げるストリングスの不穏な旋律は、トムの心境を代弁するかのように痛々しい。ここでの映像と音楽のシンクロ度合いは非常に高く、阿吽の呼吸を伴っている。映像作家が楽曲にこじつけて自己主張をしているような代物ではなく、単なるPVの域を超えた映画作品として、監督が上映したがった気持ちも十分に理解できる。

それもそのはずで、レディオヘッドのギタリストで音楽的ブレーンであるジョニー・グリーンウッドは『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以来、3作品でアンダーソン作品の音楽を手がけてきた。今回の監督人選は間違いなく、その経歴によるものだろう。そして、クラシックの素養のあるジョニーはストリングスを多用した実験的なスコアでアンダーソン作品を彩ってきた。『ア・ムーン~』の特長もまた、こうしたストリングスの使用だが、「デイドリーミング」はその最たる成果であり、アンダーソン監督からすると勝手知ったる作風だったに違いない。

ロックミュージシャンと映像作家がコラボレートすることで、想定外の相乗効果を発揮した例は多々としてある。ローリング・ストーンズとジャン・リュック・ゴダール、トレント・レズナーとデヴィッド・フィンチャー。ジョニーとアンダーソンもまた、その系譜に属するだろう。

レディオヘッドの素晴らしい最新アルバムと、そこに花をそえた『デイドリーミング』のPV。こうなると、アンダーソン監督の次回作にジョニーが、あるいはレディオヘッドがどう関わるのかと期待せずにはいられない。

About the author

京都在住、農業兼映画ライター。他、映画芸術誌、SPOTTED701誌などで執筆経験アリ。京都で映画のイベントに関わりつつ、執筆業と京野菜作りに勤しんでいます。

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