【ネタバレありレビュー】これぞスター・ウォーズ!戻る場所のない者たちの『ローグ・ワン』
2016年12月16日午前0時。実写版としては初となるスター・ウォーズのアナザーストーリー作品、『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』が公開となった。フォースの覚醒から一年。来年のこの時期も、新たなスター・ウォーズが公開される。今後数年、年末の風物詩になってしまうのだろう。
当然、筆者も午前0時を目指し、大雪警報の中、車を2時間走らせ劇場へと向かった。
公開まで、いろんな情報と噂が飛び交ったが、頭の中を真っ白な状態で見る事にした。その内容と真意については、是非とも劇場で確認していただきたいと思う。
※ここから先は少々ネタバレを含むので、ご注意いただきたい。
【注意】
この記事には、映画『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』に関するネタバレ内容が含まれています。
さぁ、始まるぞ!懐かしの字幕も
先ずは、オープニング。以前、THE RIVERの記事にもあったように、オープニング・クロールは無かった。だが、A long time ago…から始まったのは嬉しかった。
遠い昔…すら無いと思っていただけに一気に緊張が解け、リラックスモードへ。目に飛び込んできた字幕の文字。『新たなる希望』から始まるクラシック三部作のスター・ウォーズを思い出させてくれた。
若干10歳の筆者が初めて劇場で見た映画。初めて読んだ字幕。1978年の秋を思い出した。
プリクエルからスター・ウォーズに入った皆さんにとっては、あの文字形体には違和感を感じてしまったのではないだろうか?リアルタイムでクラシックを見た方にとっては馴染みのある懐かしい形体であり、「昔の映画の字幕はあの形体だったな~」と懐かしんだと思う。
遠い昔・・・の字幕が現れた瞬間、筆者は瞬時に感じた。
”ローグ・ワンは『新たなる希望』に続くストーリーなのだから、これも『あり』!”だなと。この計らいは、一体誰によるものだろう?字幕翻訳を担当した林完治氏のものであれば、「さすが!」と称賛を贈りたい。
注目のオープニングが終わり、本編が始まる。『ROGUE ONE』 のタイトルは、呆気無い登場となった。
スター・ウォーズは親子が分かれ、善と悪を描くストーリーで出来ているが、早々にその構図がスクリーンで流れる。
親子の離れ…アナキン・スカイウォーカーが、母シミ・スカイウォーカーと別れる場面と重なるように見えた。
戻る場所の無い彼ら
スター・ウォーズを知り尽くしている方は、ローグ・ワンのメンバーの行く末を知りながら劇場に向かったと思う。そう、彼らは全員戦死する。
重大な役目を終えたジンとキャシアンの二人は攻撃を受けて死を遂げるわけではないが、立派な戦死を遂げる。

『新たなる希望』には、一人としてローグ・ワンのメンバーは登場しない。
彼らは第2次大戦の日本の零戦、神風特攻隊そのものである。帰る手段を持たず(考えず)、デス・スターの設計図を盗み出すためだけを目的として、惑星スカリフへと乗り込んだ。
共通点が何ひとつ無い。生い立ちも知らなければ、互いを信じない。使えそうな奴は連れて行く。生き延びる事を考え、人生を送ってきた彼ら。
生き延びる事を考えて生きてきた彼らが、自ら立てた作戦で戦争を仕掛ける。南の楽園的なスカリフ攻防は、日本軍が真珠湾攻撃を繰り広げた背景と重なって見えた。
設計図を盗み出す事に成功しても、彼らには帰れる保証も生き延びる保証もない。強大な攻撃装置を備えたデス・スターという脅威を更なる目覚めへと誘うだけであった。

生き延びてきた命を知らない銀河の惑星に住む人々に捧げる。彼らはデス・スターが破壊される瞬間を見る事が出来ない。破壊されるかどうかも分からずに、死んでいった。
I am one with the Force, and the Force is with me.
ジンが母ライラと別れる時に聞かされた「フォースを信じて」・・・そして、チアルートが耳タコ状態で発していた「我はフォースと共に、フォースは我と共に」。
立った二人のジェダイを残し、十数年前に滅びたジェダイ騎士。フォースの力を知らない彼ら。

スピン・オフであるローグ・ワン。過去に公開されたスター・ウォーズ7作品を引き継いでいるもの…フォース。
フォースという神秘の力は形としての表現を必要とせず、どこにでも存在させる事が出来る。作る必要性の無い表現物。ジェダイが登場しなくとも、言葉だけでその偉大な力を表現できる。
ローグ・ワンでフォースを使える人物は、ダース・ベイダーのみ。そのダース・ベイダーでさえ、「技術で作り上げた物などフォースの力には及ばない」とまで発している。
デス・スターごとき、フォースの手に掛かれば勝ち目はないと言っている。
科学・技術 < フォース なのだ。
彼らはフォースが使えない。だが、戦下のメンバーを取り囲んでいるもの、結びつけているものはフォースである。
「希望」というひとつの言葉だけが彼らの証し。設計図を送信した後にキャシアンが発した、「誰かに届いたかな?」の一言は、見る事の出ない希望だけど、確実に届いていると信じた自問自答。
希望 = フォースであり、形として表現できない希望という名の通信電波を見事に運び、後にフォースの使い手になるルーク・スカイウォーカーへと届いたのである。

例え彼らに結果が分からなくとも、『新たなる希望』へ届く事だけを信じて、散っていった。
『フォースの覚醒』でも表現されていたが、宇宙空間から惑星が破壊される描写より、惑星側から見た攻撃、破壊される描写は数倍もの恐怖心を抱いた。
これが無くては、スター・ウォーズではない!
惑星スカリフで始まった白兵戦。そして、反乱軍戦闘機部隊と帝国軍戦闘機部隊の空中と宇宙空間でのバトル。「これぞ、スター・ウォーズ!」がスクリーンいっぱいに繰り広げられた。
レッドリーダー、グリーンリーダー、懐かしの面々がスクリーンに蘇る。観ながら座席でピョンピョン飛び上がりたくなった。
そして、新たなる希望に続く10数分前、暗闇から聞こえる懐かく不気味な呼吸音。赤い光剣のライトセイバーが起動し、フォースを使いながら暴れまくるダース・ベイダー。「いい加減にしておけよ!」と言わんばかりに。
以前から筆者は、新たなる希望の冒頭で、反乱軍の宇宙船ブロケッド・ランナーにダース・ベイダーが乗り込んだ際のシーンに疑問を抱いていた。ジェダイがいない時代あり、生身でダース・ベイダーに刃向うものなどいない時期なのに、なぜライトセイバーを携帯する必要があるのかと。

だが、10数分前にライトセイバーで暴れるシーンがあったのだと知った瞬間、その疑問が一気に吹っ飛び、解決した。
製作された順番がどうであれ、「ありがとう」と心でつぶやいた。
見るならやはり、エピソード4 / 新たなる希望から
スター・ウォーズを観たことのない方は、『ローグ・ワン』単品で見ても、ほとんどの方がチンプンカンプンで、単なる戦争ものとしか思わないだろう。そして、ダース・ベイダー登場で「あっ、これスター・ウォーズなんだ?」と感じるくらいだろう。
最低でも、一作目の『エピソード4 / 新たなる希望』をDVDで見てから、劇場に足を運ぶ事をおススメする。
そして、ローグ・ワンを見てもう一度『新たなる希望』を見ていただきたい。
筆者は12月22現在、ローグ・ワンをまだ3回しか見ていない。『新たなる希望』は数えきれないほど見ている。
ローグ・ワンを見てからの「新たなる希望」は全く別の感じ方、デス・スター破壊までには本当に長い道のりがあったのだと感じながら観ることが出来る。
最後に筆者はこう感じている。ローグ・ワンが製作・公開されたおかげで、増々スター・ウォーズが好きになった。
『帝国の逆襲』と『ジェダイの帰還』の間の物語も製作されれば、もっとスター・ウォーズというスペースオペラが壮大なものになるのではないだろうか?
ローグ・ワンは「もうひとつのスター・ウォーズ」ではなく、立派なスター・ウォーズストーリーの一角である。
賛否両論があるのは当然であり、見る者の価値観である。
来年の今頃は、お待ちかねのエピソード8の公開予定。
いろんな情報が飛び交いますが、人の想像は無限です!
いろんな想像を楽しみながら、エピソード8を待ちましょう!
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