Menu
(0)

Search

マーティン・スコセッシ、「コンテンツ」重視の映画ビジネスに危機感 ─ 「映画という芸術は価値と品位を失った」

マーティン・スコセッシ
Photo by THE RIVER

巨匠マーティン・スコセッシが、ストリーミングサービスのあり方や現在の映像ビジネスに警鐘を鳴らした。スコセッシといえば、2019年秋にマーベル映画を名指しして「あれは映画じゃない」「良くできたテーマパークに近い」と発言したことで物議を醸したことも記憶に新しい。狙いはヒーロー映画批判ではなく、大手スタジオや映画館への牽制だったわけだが、スコセッシは再び自身のやり方で“映画”を守るという動きに出ているようだ。

このたびスコセッシは、『甘い生活』(1960)『8 1/2』(1963)などで知られる映画監督フェデリコ・フェリーニについてのエッセイを米Harper’s Magazineに寄稿。この文章は、「いまや映画という芸術はシステムの中で価値を落とされ、脇に追いやられ、品位を失い、最もつまらない言葉である“コンテンツ”に分類されている」という第一文から始まっている。フェリーニについて論ずる前に、スコセッシは現在の危機感を隠すことなく吐露しているのだ。

「15年ほど前まで、“コンテンツ”という言葉は映画について真面目に議論する時にだけ、“形式(form)”に対応し、比較するための言葉(内容:content)として使われていた。その言葉が少しずつ、メディア企業を買収した人々に使われるようになっていった。彼らの多くは映画というアートフォームの歴史を知らず、考えるべきことを考えてさえいない。“コンテンツ”という言葉は、あらゆる動画を指すビジネス用語となった。デヴィッド・リーンの映画も、猫の動画も、スーパーボウルのCMも、ヒーロー映画の続編も、シリーズのエピソードも、すべてが“コンテンツ”だ。もちろん劇場体験ではなく、むしろ劇場体験をしのぎつつあるストリーミングサービスによる自宅での鑑賞に関係する言葉である。」

スコセッシ自身、『アイリッシュマン』(2019)をNetflixで、新作『Killers of the Flower Moon(原題)』をAppleで製作している以上、ストリーミングサービスには「私も含めてフィルムメーカーへのメリットはある」と記している。しかし、その一方で「すべてが平等に提示される状況が作られた。それは民主的なようにも聞こえるけれど、実際はそうではない」とも指摘している。「これまでに見た作品に基づくアルゴリズムで“サジェスト”が行われ、それがテーマやジャンルでしか提案されないのだとしたら、映画という芸術は一体どうなってしまうのか?」

ここでスコセッシは、人間による取捨選択と提案、管理などが行われる“キュレーション”という考え方を重要視している。「キュレーションは非民主主義的でも、エリート主義的でもない。今ではめったに使われず、意味を失いつつある言葉だけれども、自分が愛するもの、自分が影響されたものを共有するという惜しみない行為のことだ」。これに対してスコセッシは、アルゴリズムは観客・視聴者を「ただの消費者として扱うもの」とみなしている。

「すべてが変わった。映画(cinema)も、我々の文化における映画の重要性も」。フェリーニ作品への愛情と思い入れをたっぷりと記したのち、スコセッシはこう書いている。そこからは、時代の変化を理解し、ある程度は受け入れながらも、あくまでも映画人として抵抗するという姿勢が見て取れるのだ。

「ゴダール、ベルイマン、キューブリック、フェリーニ。かつて神のように我々の素晴らしいアートフォームに君臨したアーティストが、時の流れとともにいずれ消えていくとしてもさほど驚きはない。けれども今は、それを当たり前に受け入れることもできない。しかしお粗末ながら、映画を大切にするために映画業界を頼ることはできないのだ。いまや映画業界とは巨大なビジュアル・エンターテイメント・ビジネスのことで、強調される言葉はいつも“ビジネス”。いつだって価値を決めるのは、与えられた財産からいかに多くの金を生み出せるかということ。そこでは『サンライズ』(1927)も『道』(1954)も『2001年宇宙の旅』(1968)も、ストリーミングサービス上においては“アート映画”というジャンルに並べられてしまう。だから映画と映画の歴史を知る者は、できるだけ多くの人々が、自分の愛情と知識を分かち合っていかなくてはならない。」

スコセッシは、現在こうした映画の“法的所有者”である人々が作品を正しく扱っていないと指摘し、「我々の文化にとって最高級の宝なのだから、適切に扱われるべき」とも記した。「何が映画で、何が映画でないのか。その考え方も私たちは洗練しなければならず、その始まりにフェデリコ・フェリーニはふさわしい。フェリーニの映画についてはいろいろなことが言えるけれども、それが映画であることに議論の余地はない。フェリーニの作品は、アートフォームの定義づけに役立ってくれる」。

あわせて読みたい

Source: Harper’s Magazine

Writer

稲垣 貴俊
稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。外部寄稿に『TENET テネット』『ジョーカー』『シャザム!』『ポラロイド』劇場用プログラム寄稿など。国内の舞台にも携わっています。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。

Ranking

Daily

Weekly

Monthly